剃刀を長い時間使うと ぜったいに指の爪をガッといってまう
血が出たり、出なかったりだ
右手に集中して左手がお留守になり、左手の所在について思考がいかず、ガッといってまう
手を滑らせて剃刀を落とし、咄嗟に掴んでガッといってまう
まあ主にこういった理由でガッといってまうのだ
花が咲いていて、名前も知っているのに、咲いている時期についてどうしても覚えられない
だから毎回新鮮に、あ、咲いてる!となるのだが、花の咲く季節について 知っていることは お上品だと思えるので、知っていたい
でもどうしても覚えられないから 生活のなかに唐突に花は現れ、わたしを驚かせる
記憶というのは不思議なものだ
人間は学習するはずなのに わたしはいつも同じように爪をガッといってまうし 小回りの角度を間違えてドアのへりに肩をぶつける
人の印象は 記憶によるものだ
鮮烈に記憶に残ったその人の言動が その人の印象を決める
でも どういった言動がその人にとって鮮烈なのかは 他人にはわからへんし、人それぞれすぎるし、だから、「この人はどういう人」っていうのはすごく、曖昧で地に足のついていない表現ということになりますね
翻訳された小説が 翻訳される前の小説とぜんぜん違ってしまうように、
人の印象も、誰かを通してしまったらそれは、わたしにとっては真実ではなくなる
真実さえ 人それぞれで ほんまのところの所在も そのときによって違って
じゃあ なにを信じればいいのか、わからんくなるね
一対一の一問一答でさえ相手をほんとうには知れない
知る必要があるのかどうかもわからない
でも誰かと接するとき、その人のことを知っている、ということはとても安心なことですよね
逆に ぜんぜん底知れねえ と思う人といるとそわそわしてしまって、自分がどう思われているのか恐ろしくなってしまって、落ち着かない
相手の思考パターンを少しでも そのひとつでも 知っていると、自分が相手に好ましく思われるかそうでないか、ちょっとでもわかるんじゃないかと思う
なにが相手にとって不快なのか 知っていると地雷を踏まないで済む……
嫌われるのは恐ろしいことだ
だれにだって嫌われたくない でも 好きでいてもらうことも恐ろしい くない?
好きでいてくれてるということは いつか好きでなくなるという可能性をどうしても孕んでいる
幸せだということが 不幸になる可能性を孕むように、もはや幸せというのは 不幸であるということとほとんど、同義なのではないかと 思うわけですよ
相手を否定することは怖い
否定されることよりも することのほうが怖い
わたしが言ってることは間違っているんでしょうか
否定してくる人がいたらきっとその人のほうを正しいと思ってしまうだろう
おわりでーーーす