このブログ、去年の12/10に始まってました。
つまり1年前。
え…!?1年前ってそんな……ほんまに?誰か操作してる?陰謀?
1年前の12/10のわたしは、寒くなさすぎることにびびっていました。その日のブログを読んでみると。
今年はめちゃくちゃ寒いぜ。安心しろよと言ってあげたい。
いやでもほんまに?そんなに、わたし、このブログとともに生きてきた!?信じがたい。1年というのは なんだ?長かったような短かったようなもうわかんないよ。
時というのはほんとに掴み所がないな。長さは同じはずやのに人によって体感がこんなにも違うなんておかしなものだ。
この1年、思い返せばたくさん書いたような気もするけど 言いたいことは全然書けてないような気もする。いつだってそうだ。言葉を尽くしても、本当のところは全然外には出せない。ような気がするだけか。本当は、言葉を尽くしてる最中には、全身全霊で全部を出せてるのかもしれない。
この1年で変わったことはなんだろう。バイト始めた、ゼミが始まった、サークルを辞めた、就活が現実的になった、…でもやっぱり本当のところは全く変わっていない。
いつまでも捻くれた、自虐的な、内向的な、独りよがりで独善的、無趣味で気まぐれ、太っている…ままだ。変わらない。
もうこの歳になれば変われないだろうな。社会人デビューという言葉はあれど(あるんか?)、高校デビュー、大学デビューという言葉よりはメジャーじゃないでしょう。
もう固まった。今ある個性は死ぬまで付き合うものだ。よろしくわたしのヒステリー。うんざりするけど上手く付き合っていかなきゃ破滅だね。
最近のわたしは、隠居生活をしているかのごとく静かに過ごしている。一人でずっと本を読むかブログを書くか荒野行動するか。本を全く読まない期間が明けて、馬鹿みたいに本を読んでいる。
本というのは、わたしの場合は本=文庫本なのだけれど、本というのは本当に、巡り合わせだ。世間の流れにこんなに乗らなくてもよいものもないなと思う。音楽も映画も、その節はあるが、本屋さんというのはCD屋さんよりもTSUTAYAよりも、時間を超越している。
だって、本には年代は関係ない。復刻版として改めて出版された100年前の小説と、1年前にハードカバーで出されてやっと今日文庫化された小説とがとなりに並ぶ。そのどれを手に取っても、誰にも何も意見されることがない。中身がエロくても。18禁のシーンがあっても。
さあ〜、あのさあ、18禁のエロ漫画もエロいけど、普通の小説の中のベッドシーンって目を覆いたくなるほどエロいよね。むしろ漫画より視覚的じゃない分イヤラしいよね。
あと、漫画からは匂いはしないけど小説からは匂いがするし感触もする。あ、もうエロの話は終わったんですけど。
例えばトマト潰す。漫画やと、ぐしゃり 白黒の、潰れたトマトの絵。トマトを潰したんやな、それで終わり。
小説では。トマトを手に取るところから書く。漫画ではせいぜいコマの隅っこで小さく描かれるようなことも、文章は視覚的ではないから細かく描写しなければならない。いちいち全部が瞬間的にでも主役になるのだ。
手に取ったトマトの赤さを描写する。頭の中のトマトに色がつく。手触り。感触を想像してトマトがリアルになる。それを潰す。グロテスクな音が何となく聞こえる。滴る果汁。緑色の種。トマトを潰した後の不快さまで伝わる。
別にどっちがいいとかどっちが悪いとかじゃない。そんな細かなことまでこだわる必要ないやんって人もいっぱいいるんやろう。漫画ではいちいち秋の空の青さに言及したりしないし、落ち葉を踏みしめる感触を伝えることはしないし、それは本編には関係ないから描写する必要も言ってしまえばない。
でも小説の良さはやっぱり、そういう本編には直接関係のないところに大いにあると思う。個人的なもの。絵は誰が見ても同じやけど、文章は読む人によって再現される世界がまったく違う。
だから読書家は内向的なのかな。自分だけの世界を持っていればそりゃ、閉じこもるわけでなくても持たない人よりは外に向かう意識は減るものな。
でも芸能人も著名人も芸術家も、何かを成したりする人には陽キャより陰キャの方が多いでしょう。自分だけの世界を持つことは、そんなに悪いことではないのでは?とそういうとき思う。
わたしは本を読むときだけ本当の意味で社会からみんなから離れて一人きりになれる。テレビもSNSもオンラインゲームも、本当にはわたしを一人にしない。
社会から離れて一人になることが良いことかはわからないけど、わたしにはそういうことが必要だというだけだ。
そして、それをしない人よりはする人との方が分かり合える気もする。それは気がするだけかもしれんけど。
今じつは授業中なのやけど、こんなにたくさんの人に囲まれているのにわたしは自分の世界の中にいる。ブログを書くのも、この1年でわたしにもはや大切なことになってしまったのかも。
いや授業きけ。
おつかれさまあ