我慢をするということは、はしたないことだと思っていた。
べつにいまもちょっと思ってる。
でも、このあいだ、友達とご飯に行ったときに。
一軒目ではビールを軽く飲もうと、入ったお店で、素晴らしく美味しそうなピザやパスタがあったのだ。
やむなく厳選したピクルスとバゲットとあとひとつなにかだけ、注文したが。
マルゲリータもだいすきで、アンチョビのったやつなんて垂涎もので、パスタにおいては期間限定のカニのやつ、しかし夜は長くまだ18時にもなっていなくて、これからまだ美味しいものを食べる予定にしていた。
友達は「食べればいい」と言ってくれたが、私は大変な努力をしてピクルスを食み、おいしくてフレッシュなビールを飲んだ。
今から、だってお肉とか、食べるのだ。
そうしてstill、腹ぺこでお店を出て、道すがら私は気づいたのだった。
「我慢することってはしたないと思ってたけど、のちの快楽のためになにかをしないでおくなんてとっても浅ましいことと思ってたけど、でも、そうでもないのかもね」と。
友達はそもそも我慢にはしたないイメージがなかったようで、それでもそうだねと笑ってくれた。
「我慢することがはしたないと思ってたから、だからだいすきな人とその日に寝てしまったわけなんやけど」と言ったらそれは苦笑に変わったにしても。
空腹に耐えている時間がそのまま、次のお店への期待に変わる。わくわくしながら夜の街を歩く。これが我慢によるベネフィットなら、まあ取らない手はないか。
そのまま恋に置き換えるなら、私があの日に彼と一緒にいたいと離れたくないと、感じたあの原始的な望みをお腹のなかに隠しておいて、次までくつくつ煮込んでいれば、"次"は訪れたのかもしれない。
お皿に盛られた食べ物をばくばく、節度もなく口に運ぶなんて赤ちゃんだった、の、かも、しれない、大人は、我慢をして、快楽を貯めて、どばっとのちのち、楽しむ、の、だ、べ…………つに はしたなくなくはないな!
はしたないけどそれを隠して快楽をナイフとフォークで嗜むのが大人、かいな。
そしてそれもまあできらいでか。選択肢としてね。
まあそんなふうに思える分だけ大人になったというもんだ。
はしたないことは悪いことだけど、悪いことでも消化できる肝臓を拵えた。
私にはいくつもの超えてきた夜がある、ぜ。
だからまあ次の恋には試してみようかな我慢を、