子どもでいてあげてもいいよ

 

 

 

徳島に2週間の滞在をしている。免許をとるために。

比較的慣れた土地を選んだのは、べつに慣れているからではなくて、たんに空きがあったからなのだが

さいきん仲の良い大叔母に乗せてもらって、巡った田舎は懐かしかった。

フィジカル至上人間なので、身体がその土地に行くこと、そして在ることがなにより大事だと思っている。

さまざまを思い出した、そして状態の知らなかった同年代の親戚たちの近況も少し聞いた。

几帳面が過ぎてややこしそうな、同い年の男の子は去年結婚したらしい。それも「籍を入れておこうという感じ」で。

年子の弟は、一度家を出たのにまた戻ってきたらしい。人当たりがよくみんなに好かれるから早く結婚するだろうと思っていたのに、まだしていないみたいだった。

話をしたのは彼らの母親で、彼女は若い頃いわゆるヤンキーだった。夏の間も、彼女は留守にしていることが多かった。車はボックス、土足禁止。髪は茶髪で香水はヤンキーの匂いのやつ。スナックのママをやっていた時期もあったように思う。こんなふうに書くと、彼女と親戚であるということにも少し驚きを覚える。あんまりにも私とは共通点がないから。

そしてそういう母親のもと育った兄弟も、襟足の少し長い子どもだった。私は「卵かけご飯」も「ポイ捨て」も「ミニインスタントラーメンが食事におけるスープの役割を果たすこと」も、スト2も遊戯王も彼らに教わった。なんと新鮮な体験だっただろう。今考えてもわくわくすることだ。

 

そういうあれこれを思い出していると、私の原風景、いやいやユートピア桃源郷というのはこの徳島の田舎にあるのではないかと思い当たった。

なぜなら、いま病に伏している、当時元気だったおばちゃんやおじちゃんの状況を聞いて途方もなく悲しい気持ちになり、それはしみじみ悲しくて、そして、あのバーベキューの日に戻れたらと心から思ったから。

田舎の家の母屋と離れの間の、夏のお昼間にプールを出す場所で、大きなコンロを出して机に2リットルの飲み物が並んでいて、大人たちはビールを飲む夜。

あの夜に戻れたらどんなにかいいのに。あの涼しく虫の音のけたたましい夜。たくさんの人がいて、犬も3匹くらいいた夜。みんな自分の足で立っていた夜。あそこに戻れたら。もう一度あの日を過ごせたらいいのに。

そしたら私はべつに大人の飲むビールなんていらないよ。コンビニなんてなくていいし、スマホで照らせない暗い夜道を歩くよ。音楽も要らない、ドラマなんて観なくていい、英語よりも阿波弁を話せるようになるよ。ずっと地元にいて、そして夏に徳島にくるよ。バスに乗って。車の免許なんてとらないよ、子どもでいるよ。親戚たちとお布団並べて夜早くに眠るよ、夜更かしなんてお正月のときしかしない。

 

でも私はひとりでここにいる。

 

 

徳島が田舎なのは、祖母がそこで生まれたからだ。生前は憎み合った祖母。

ひいばあちゃんがいた家に、夏には毎年遊びに行った。妹がバスに乗れるほど大きくなってからは連れて。

大叔母は徳島のなかで嫁いで、今でも徳島市内にいる。

祖母がひとりで徳島を出たのだそうだ。こんな田舎にいられるかと、まだ20にもならないときに。

そして私も、私の母も、徳島の田舎を捨てた祖母の血のもとで、それを色濃く、濃く引き継いで、こんなふうに生きている。ひとりぼっちずつで。

私たちと、徳島の親戚たちは、ずいぶん違うように見える。しかしその違いを生んだのは明らかに祖母なのだ。早くにうんと年上の社長と結婚した祖母が、私と徳島の桃源郷を引き離した張本人であり、同時に私が桃源郷を焦がれるようなロマンチストになった原因のひとつでもあり、どちらかというと都会志向な人間になった理由でもあるのだろう。

もしも祖母が徳島から出なければ、母は母のようではないし、私は私のようではなかったはずだ。それは自己の存在をまるまる否定することになるけど、でも、親戚に囲まれて窮屈だろうけど、でも、こんなにはさみしくなかったろうな。

 

知らない場所に行くとその土地に根付いた人生を思う。

しかし徳島という土地は、小さな私が確かにある時期を過ごした場所で、自分のルーツのある場所だ。

そこに根付いた人生は、私のどこかのパーツでもありうる。可能性でありうる。

 

日本を離れる前のこの時期に ここの教習所しか空いてなかったのはどこかで運命なのだろう。

そして親戚のおじちゃんの容体が、今まさに芳しくないのも。

人生があまりにも必然なせいで、私は思考を停止してしまう。

私自身以外の物事は当たり前の道筋しかたどらないし、私の決定も振り返ればそうでしかありえなかった。

 

知らない宴会場から帰るときのマイクロバス、いちばん後ろの座席に膝をついて見た国道の景色。

ざぶんと飛び込む遊びを飽きもせず繰り返したスーパー銭湯の水風呂。

サワガニがたくさんいた農道のわきの用水路。

真夏の道路を歩いて歩いて向かった私たち以外無人のスポーツ公園。

 

みんな、いなくなるのが悲しい。ただ心が痛くて悲しい。