さけのみ

 

 

 

誕生日の時期に思い出すのは、ママが去年きちんと別れた男のこと。

彼は結果的には器の小さなナルシシストだったけれども、いいところなんてもちろん、私の目から見てもあった。

 

そのうちのひとつが、シャンパンだ。

鉄板焼きを食べに行ったときの話は、何度かこの日記でも触れてきているが。

彼は私たち親子には有無を言わせず、「1杯目にはシャンパンを」と勝手に3つオーダーした。私はそのころワインをまだ飲めなくて、自分の飲むペースを乱されるのが嫌だったので、「ええ〜」と内心思ったのだが。

今考えると、お祝いの席の乾杯には当然シャンパン(あるいはスパークリングワイン)だ。私はビール党であったので、抗議するように2杯目からはすぐさま生ビールにかえた(「次もシャンパン飲む?」という愚問)のだが、今は思う。シャンパンだ、当然。

そのあと彼がどのようにグラスを重ねたのかは覚えていないけど、たぶんお肉が焼かれると赤ワインを飲んでいたのではないかと思う。

 

なんという美徳だろうか。頼もしいとさえ思う。

それだけでも価値のある男の人だ。

 

私の父は高校生の頃から居酒屋の常連になっていたくらいの酒飲みで、それによって早くこの世を去ったも同然なのだが、彼とお酒を飲むことはついぞなかった。

私の方こそ中学生からお酒を飲んでいたのだが、その頃には父はもう家にいなかったし、明らかに未成年ルックスであった私が外で生ビールを飲むことはできなかった、というより、昔の私はビールさえ飲めなかったんだったか。

そしてまあビールもワインも飲めるようになった私は思う、父もそのようにお酒を飲んだのだろうかと。

彼はたいへんなビール党であったと思う。煙草とビールと阪神タイガース。そんな父は、コースでお料理を出すお店ではどのようにお酒を飲んだのか。

お寿司屋さんでビールから日本酒にシフトチェンジする父は浮かぶが、フレンチで赤ワインを飲む父はまったく浮かばない。

 

今年の誕生日は友達に祝ってもらった。どっしりしたお料理を出してくれる、お料理は重厚なのにお店の人の人柄がよくてとっつきやすいフレンチのお店だった。

彼もちゃんとスパークリングワインからお祝いの席を始めてくれた、私は、やっぱり鉄板焼きでの席を少し思い出した。

今の私なら嫌な顔せずに乾杯のシャンパンをすいと飲める。そして彼のプレシャスな面を誉めてママを誇らしく思わせられる。のに。

その日の、たくさんの前菜や海鮮のリゾットは素晴らしく美味しくて、身体におさめると勇気が出るほどヘヴィなのに素材が活きていた、白ワインがすいすいと進んだ。次のお肉料理には赤ワインを頂いて、私は、このように食事をすることこそが正解だと思った。

一昨年の秋までワインなんてすこしも飲めなかったのに!

ワインを飲めるようになりたいと思わせてくれる出来事(それ以外の影響もあまりにたくさんあった出来事でもあるが)によって、私は、人生において食べる喜びのあと3割を知った。今まで6割で食事をしていた。(あとの1割は日本酒で、まだ飲み方を知らない。)

 

お酒を飲めない人に対してオフェンシブになる気はないけど、飲ない人にはならざるを得ない。トライしてこなかった人にはなおさらだ。しかるべきときにお酒を飲むための準備をしてこなかった人。

 

 

誕生日、もう満腹の大満足で、さて出ようかというときに、隣に男女のお客さんが座った。

「ごめんなさいねえうるさくて!」と話しかけられて気づいたことには、かなり酔っている。聞けば「私はお昼の1時から、この人は2時から飲んでるんです」とのことで、そのときすでに20時くらい。ストイックな4,50代のふたり。

「いいお店でしょう」と言う、常連さんらしい。私は「はい!とても。今日はお誕生日で祝ってもらったんですよ」と返す。するとおじさんの方が「おめでとう!じゃあ飲んでくださいよ!」と、ワインクーラーから白ワインを出す、私たちのテーブルはすでにデザートを、もはやお会計さえ終えていただいてすべて片付けられているというのに。

しかし私が「いいんですか?」と喜色を見せると、お店の人がすかさずワイングラスを2脚出してくれて、そこに常連客の女の人がすいすいすいとワインを注いだ。「おめでとうございます!」、グラスを合わせる、なんて、自然なんだろうか。

お酒を飲む人にはこれができるのだ。

もちろん、祝われる側もお酒を好きな必要があるけれども、となるとこれは酒飲み同士の共通理解?

それにしたって、お酒を飲めない人にはできないんだからアドバンテージであることに変わりはない。

 

酒飲みに吝嗇っているか?節約家にはお酒は飲めないか。

しかしふだん派手な人でなくたって、お酒を飲む人は祝い事を正しく祝える人だと思う。お祝いの日の1杯目に泡を!オーダーできる人は、自然に物事を祝える人だ。

その日の席を華やかに飾る、種類はなんであれアルコールという魔法の1杯をこつんと重ねる乾杯の仕草が。世界に共通する(スペイン語でサルー、イタリア語でチンチン(!)、韓国語でチャン、英語でチアーズ)酒飲みの喝采が、その日の食事をただ特別にする、お祝いにする、今日会えてグラスを合わせられたことへの感謝、appreciationを表す。

 

今まで「お酒飲んで失敗ばっかですよ!」あるいは「飲めない方がいいですよ!」とかぺらぺら言ってきたけれども、金輪際そんなこと言わないだろうと思う。

だって失敗してきたから今お酒が飲めるんだもん、感情の昂りを制御できずに迷惑かけてきたけど、まあ、そのおかげで今お料理が美味しいんだもん。

まだぜんぜん失敗するけど、失敗するまで飲むのは楽しいからやもん。

「お酒飲めるとねえ楽しいです」と、これから言おうかな。

一般的に、お酒のない人生がつまらないとは言わない。けど、私の人生にお酒がなかったらたぶん今の1/1000000000000000くらいまではつまらなかったと思うもん。

お酒を飲めると感情が拡大する。みんなに広がる、優しくなれる。他人を慮ることができる、理解ができる。ような気がする。

少なくとも他人の存在を許容できる、酒飲みにはその空間に対する感謝があるから他人を尊重することができる。

べつに自慢とかじゃないもんね!ただ事実としてそうなだけで。

明日は外食だ!美味しいお酒が飲める☺️!