湿度

 

 

 

音楽を聴きながらお風呂に入るという技を覚えてから、お風呂に入るのが怖くなくなったよ。

 

お風呂といえば

わたしに 自分の性を自覚させるのは いつもどうしてか 胸なんですけど

スポブラじゃないブラジャーを初めてつけた自分の姿を鏡で見たときには、愕然としたな。鏡ごしに自分と目を合わせて困惑して見せたっけな。なんだかブラジャーをつける前の自分を裏切ったような、どこかに置いてきたような気持ちになった。もう戻れないぞ、っとどこにも戻るところなんてないのに思ってそれが取り返しのつかない悲しさとなってわたしの足元をさらった。ぐらり。

今日も たまたま横から自分の身体を見て、胸があって(強がりじゃなく、なくはないんですよね)愕然としてしまった。うわあ、女。

むちむちし過ぎた二の腕も、豊富すぎる皮下脂肪も、内腿の柔らかさも、身体の部位の親しい女性性であるのに、胸を見てわたしはいつも傷つく。

どんなことでも自分の外側に流れていて見て見ぬ振りも関心ないふりも関係ないことにもできるけれど、自分が女性だということからはこの先死ぬまでずっと逃げられないのだと思うと本当に…

中学生までは いや、高校生まではたぶん、わたしは男でも女でもない、人間で、一匹の子どもだった。

それなのに突然、女になった。レースのついた、人の目に触れないはずなのに、華美な装飾のされた、下着のせいで。

あの瞬間からもうわたしはずっと女であることを背負っているのですよ。無性別な子どもには戻れない…

 

しかし

 

それを自覚したときにはそれは恐ろしいことだけれど、言ってみれば強みでもあるわけですよ。

女は強い、にも 女は丈夫だ、にも、さまざまな世の中の「女とは」にわたしも参入できるわけですから

それを伝っていけばどこへでもいける。

どんな大人になりたいか、は遠いが、どんな女になりたいか、は いくぶん近い。

 

なってしまったもんは仕方ないよね。男と女、2つあるうちの女の側に生まれた、その果てに、自分の選択の果てに、女という概念に、相成ったのだ。

人はたぶん…生まれたときの性別に、本当に属しているわけではないのだろうな。

知らんけど。わたしだけかも知らんな、それは。

 

とにかくわたしは決して大きくはないがきちんと持ち重りのする(強がりではない)胸をぶらさげて生きなくてはならない。それを直視して認めてしまったから。

 

でも女やから、起きることになかなか踏ん切りがつかない朝、顔を洗ってお化粧してしまえば、お布団には絶対に戻れないという、その事実が、退路を絶ってくれる。そこは、いい点やと思う。どんだけバイト行きたくなくても、踏ん切りつくやん。よしゃ〜やるか〜という気になるやん。

 

 

ああ外出の必要のないときの雨の良さが染みる…それは今日の昼、美容院でしこたま大雨の音を聴いたから。変わった美容院で、断熱材とか全部剥がされてて、屋根への音がダイレクトに建物全体に響くので、雨が降れば外にいる以上に雨の中にいる気がするのだった…。

そして大雨の中20分かけて帰宅したから…。

 

 

ぜんぶぜんぶ、身をもって経験しないと何事も、わかんないんだよな。

おやすみなさあい