大学生の着てるシャツ

 

 

 

「大学生の着てるシャツ」とネット検索するために打ったら お、これは好きな言葉だな、と思った。

案の定 大学生の(7)着てるシャツ(5)である。

 

ゴーシチゴー、ゴーシチゴーシチシチ、わたし日本人は五文字と七文字の組み合わせに歓びを感じますよね。

書いてて気持ちええし 読んでて気持ちええし 好きと思った文章は8割、五文字と七文字の組み合わせ。いやそこ5割か7割ちゃうんかい。

 

 

お、今彼氏が隣で 「ほえほほあほえん」と言ったので なんて? って聞いたら

「その言葉以外♪(って言った)」とキレ気味に答えてくれました ちなみに眠ってるんですけど

キレながら歌うなや と思いながら 続きを促したら顔をしかめやがった

急に言葉を発して 続きを促したらキレんなや。

 

 

 

まあ〜   のろけって不思議ですね。

わたしは基本的にのろけなくて 本人以外に「(彼氏のこと)めっちゃ好き!」とかをあんまり言わないんですけど だって恥ずかしいやないですか。本人に伝わってたらいいかなというかまあそんな感じでたぶん

家族のことを好きやと言うのが恥ずかしいのと同じ感覚なんですかね、彼は彼氏というよりきょうだいという方が近い存在なので

じっさい ちょっと妹に似てるとこもあったりして。妹がいなくなって 一緒にいなくなったわたしの8割を 取り戻すまでは言わないですけど 残りの2割にちょっと肉付けしてくれる的存在というか

いやそこ5割か7割ちゃうんかい。

 

 

まあいいじゃないですか。ね。そういう話はやめましょうよ。こっぱずかしいなあもう

 

今読んでる宮沢賢治の『注文の多い料理店』も若干 字余りながらシチゴーですね。いやいつ読んでんねん。文学部のくせに卒業間際になって宮沢賢治読んでるって相当遅れてるぞと、小学生のときに読んどけよというような気もするんですけど

面白いですね宮沢賢治、電車で読みながら一人でニヤニヤしたりして

まあわかりやすいものが好きなんですよねわたし。わかりにくいものとか 抽象的なものとかあんまり好きじゃなくて

絵とかも妙に隠喩を駆使したやつとか 史実や常識を当てはめて見やな意味わからんやつとか 好きくないしね。

直感やろなにごとも。はじめに好き、もしくは嫌いじゃない という印象を持たせないものは要らないからね。

こうして大事なものをぼろぼろと取り落としていくとしてもわたしはそれはそれなりの取捨選択やないかと思うわけよ。

その点宮沢賢治はわかりやすくていいよな、読んでて情景がありありと浮かぶんだもん、胸を張る山猫とか問いかけに応じる松林とか。

 

本の中には真実が書いてある、と思っている。その確信は本の中に救いを求め始めたころからより強くなった。

知っていたけど知らなかったこと 言語化されえないと思っていたもの、自然に目線を合わせて見える自然。そういうものが書いてある。そこにはフィクションもノンフィクションもない。作家がその筆で直に書いた文章、架空の物語も事実に基づいた伝記も その間に違いなんてない。

この言葉以外♪伝えることができない♪唯一無二の文章で世の中のほんとうのところをわかりやすく教えてくれる、ああ小説家ってなんて優しい人たちなんだろう。

 

 

おやすみなさあい