ほんだな

 

 

単純明快 わかりやすいということはいいことだ。少なくともわかりやすいということは、わかりやすいという長所を持っているからだ。

深いだとか 難解だとか ひとことでは表せないだとか そういう 複雑なのは悪いことだ。少なくともわかりにくいという目に見える単純明快な短所を持っているからだ。

 

たくさんの内臓がいっぱいに人体には詰まっていて 薄皮に包まれたそれぞれの機能をそれぞれに果たしているぐちゃぐちゃの血みどろが澄ました顔をして椅子に座っているのはおもしろい。何十か何百か知らないけれども内臓たちはみなそれぞれ違う働きを働いているわけであるから、ひとつやふたつ みっつやよっつ とおからごじゅうの矛盾くらいあって然るべきである。

 

死にたいと思うことがそのまま生きたいということに繋がってしまうのが私なのだった。

遠くへ行きたいの行き着く先が ふるさとなのが人間なのだった。

排尿を極限まで我慢して我慢して我慢してからトイレに行くのが好きな人がいる。全身が腹の虫になるほどお腹を空かせてからご飯を食べるのが好きな人がいる。

わかりにくいということはそのまま気持ち悪いということだ。そうして気持ち悪いと断言することはあまりにも簡単だ。

気持ち悪い、頭がおかしい、理解できない、そうしてさようなら。

 

気持ち悪いことも気持ち悪がることもほんとうに気持ち悪いのだった。