TOIEBA

 

 

 

温泉。

最高じゃないですか、雪景色を眺めながら浸かる露天風呂。

38度くらいのお湯なら 一生浸かってられるし、肌もツルペカ、肩こり改善!

雪国の温泉やったら

お猿さんが入ってきたりして 心もほっこり…

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いやいやいや。

わたし思ったんですけど。

お猿さんと一緒にお風呂入りたくないですよね。衛生面衛生面!

でも 温泉イコールお猿さん、というイメージってないですか?わたしはあります。お前らもあれ。

真っ赤な顔したお猿さんが親子共々あったまりに来てる みたいな。

 

で 調べてみたんやけど お猿さんが温泉入るとこは世界で日本だけ、しかも日本でも「地獄谷野猿公苑」ってとこでしか見れないらしいです。

ほんでちゃんとお猿さん専用の露天風呂があるんやって。

 

なーーーんやって感じ。

だって わたしのなかで冬のお猿さんと温泉はセット、いわばバナナとコーヒーくらいの 密接な関係性を持ってたのに。

日本の温泉!イコールお猿さんの入浴!っていうのは 地獄谷野猿公苑ステマやったんですね…とほほ

 

でもあれですよね、日本はいいよね。

温泉あるし食べ物美味しいし各地にいろんな魅力があるし治安がいいし。

治安といえば にちゃんねるのまとめで、「俺の地元がやばい!」みたいなスレッドがあって、

白昼堂々大陸系の人たちがいつも乱暴働いてて治安が最悪 みたいな話が書いてあって 怖え〜と思いましたね。

怖えすぎる〜 だって 外国と地続きじゃないが故 日本人って外国人に対する免疫全然ないじゃないですか。

近くで異国語で喋られるのでもわりと怖いもん。

 

あと〜 いま 村上龍の『限りなく透明に近い…』近い…なんやっけ ちょっと思い出せないけど透明に近くて有名なそれを読んでて。

米軍基地の近くに住んでる日本人の話なんですけど、ドラッグ!セックス!ラリパーティー!みたいな話なので多分あんま読む必要はないと思ったんですがまあそれは置いといて。

米軍基地周辺の治安ってやばくないですか?

沖縄もそうやけど その本の舞台は横田基地周辺で。

別にアメリカ人を悪く言うつもりはまったくないですよ、かっこいいし。

でも 治安面でいくとやばいですよね。映画の「怒り」を見てそういうシーンがあったこともあるやろうけど、、

アウトロー…。

透明の小説では ドラッグの価格がドル表記やったんですよ。

怖い怖い〜ドラッグ怖い〜

 

わたしなんてものはお酒飲むだけで人に迷惑かけるから 絶対しないですけどドラッグなんて。

でも、でもね村上龍の小説のなかに出てくる若者はみんな もう 終わってるんですよ。

終わってる若者がなんとか楽しいように生きてみるために ドラッグをするんかなあって。

ラリったり酔っ払ったりして なんとかその場だけでも楽しく、って。

そう思ったら そんな人たちの気持ちもわかるかもなあ〜

関わり合いにはなりたくないけど…。

 

アウトローって 女の子なら一度は憧れるじゃないですか。

関ジャニ∞ひとつとったって、PVや自分らでの映画とかのコンセプトを裏稼業の何でも屋だったり ヤクザやったり アングラ的な雰囲気にしたりとか してるわけで

やっぱ女ってのはそういうのに弱いんでしょう。

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まずスーツがいいよな〜あと金髪もロン毛もええな〜

関ジャニ∞は アイドルでありながら 唯一 歌ってる時に顔がラリっちゃう系アーティストなので 最高

 

まあそれは今どうでもよくて

アングラ的なコンセプトがいつだって人を惹きつけるのはなんでなんでしょうね…

みんな結局は破滅願望があるのかな?

世界の終わりの後を描く漫画や小説はごまんとあるし そんな名前のバンドもあるし。

 

昔読んだよくあるSF小説で 設定が終わりかけの世界 やったんですけど

みんな ドラッグをするか 好きな夢を見させてくれるカプセルに入って ずっと夢を見てるかして生きてるんですよ。

荒んだ現実より 理想的な夢の方が いいもんねえ

今でももう VRとかいうのがあるじゃないですか。昔のSF小説で描かれた世界は もうたぶん手の届くところまで迫ってきてて。

 

とかって考えると 人間は 小説だとか神話だとかで色々空想するけども

人間が支配権を握る世界なんて 地球の歴史でいえば僅かな期間やし 人間の支配下以前の地球があったってことは人間の支配下以降の地球だって存在しうるわけで。

ある日突然 それはもう突然 世界が滅びちゃうかもしれない そんなこと絶対ない!なんてまったく 言いきれないんやなあって

 

思ったらなんだか 救われますね。

ある日突然全員と全部が終わるかもしれない

スリリングでエキサイティングじゃないですか。

すごいよ、生きてることは奇跡だ!その奇跡をうまく使えないから困るのだが。

 

すごいと言えば 温泉とお猿さんの話から人類滅亡の話まで来たのがすごくないですか。

もうわけがわからないよ。

わたしにしかできないことってなんですかね ないぜそんなこと。

紅茶に添えられたお砂糖になりたいよ

 

あしたは学校だ

寝なきゃ寝なきゃ

おやすみなさあい

 

 

 

紅茶に添えられた角砂糖みたいに

 

 

 

この広い宇宙の中で、やりたいことが一つもないってやばくないですか?

にも関わらずそういう人ってたくさんいますよね?ね???

 

どうなんやろう わたしが 自分の未来に妹がいなくなったから なにもやりたくなくなったとこも十分あると思いはするんですけど

それにしても ほんとにやりたいことがなくて。

 

そもそも なにかやるとやらない だったら やらない方が圧倒的に楽やし やることによって努力や苦労をする それに見合うようなやりたいことが ないわけで

だから もう やばいですよねそれって

 

よく大人が言うじゃないですか

「学生時代は楽しかったな。人生で一番楽しかった。」って。

 

いやいやいや それってかなりやばいでしょ。

やばくないですか?

 

「今が一番楽しい」と言えない人でなおかつ「未来のために頑張ってる最中」と言えない人って かなりやばいですよね。

 

たぶん、なんのために生きてるかって

「日常になんらかの幸せや楽しいことを期待して」生きてるんじゃないですか?

だって 別になにかしたいわけではなく、今の状況は全然楽しくないけど打破する方法も気力もなく なんとなくただ生きてるんですもん。

そういう奇跡に縋って 生きてくしか ないんでしょ、、、?

 

もうどん詰まりですよね、

でも現代社会でそういう人はたくさん いますよね?

 

じゃあ 昔はどうやったんやろう。

みんなが お百姓さんやった時代は?

日が昇ると共に起き 朝ごはんを食べて 畑を耕して あるいは収穫して 家畜の世話をして 晩ごはんを食べて 日が沈むと共に眠る

恋をして結婚して子どもを産んで育てて

その子どもも一緒に畑を耕して……

そのサイクルに 昔の人は なにも感じひんかったんやろうか。

もしかしたら 感じる暇もなかったのかな。

生きていくっていうただそれだけのために毎日を過ごしていたのか。

楽しい環境が〜とか 幸せが〜とか 言ってる暇もなく純粋に生きるために生きてたのかなあ。

 

でも思うんですけどそれもまた幸せですよね

だって それ以外を知らないねんもん。

一度大金持ちになった人は中流階級に属するのだって苦痛に思うでしょう。

それに、今の時代生きるためには仕事をしなくてはならなくて なおかつ職業の自由が与えられていて 自分で選んで努力して職につかんといけない。

昔は、目の前にある仕事をしてれば生きられたのに。

 

だからねーーもうね〜農業しようかな、ね。

農家に その〜なんていうの 派遣か?

なんかそういうのしようかな。瀬戸内海でみかん農家とかね、虫嫌いやけど。

 

瀬戸内海ってすごくよくないですか

わたし瀬戸内海大好きなんですよ

急斜面で柑橘類を育てたいな〜 それで海に浮かぶたくさんの島を眺めたい。ああ爽やかな潮風。

瀬戸内海ってあれですしね、津波もこないですし 田舎やから人も少ないし。

母方の家が徳島なんですよ。瀬戸内海ではないけど 四国ってことで。

いいところです徳島って、まあとにかく田舎で。

たらいうどんは美味しいし、香川が近いから讃岐うどんも食べに行けるし。

 

徳島は 小学生の頃に年に一度、夏休みに必ず行ってたなあ、妹と一緒にバスに乗って。

3時間弱のバスの旅、途中のサービスエリアで二人で 自動販売機のカップラーメン買ったりしてね。

当時、わたしの家ではカップラーメンなんてご法度やったので もうわくわくして食べて。

それが めーちゃめちゃ美味しかったなあ、ただのカップラーメンやのに。

徳島に着いたら 親戚のおじちゃんが軽トラで迎えにきてくれてて それに乗り込んで元気してたかとかってお話してたら 見えてくる田舎特有の不必要なほどに大きな家。

迎えてくれる親戚の男の子たち。側溝にサワガニをとりにいったり、みんなでマリカー対戦したり 夜にはバーベキューをして。ゴキブリが出たら 大声でひいおばあちゃんを呼んで ぺしん!と一発退治してもらったなあ

 

ああ〜よかったなあ あの頃は。

 

言ってしまいました。よかったなああの頃は。

小さい頃は純粋に ただ存在するだけで 周りに肯定されてましたもんね。

それがだんだん、大人になっていくと そうはいかなくなって。

存在するにも意味がいる。役割がいる。

 

江國香織さんの小説の中で、主人公が幼少期のことを振り返るときに

私と妹は、ただそこにいた。傘立てみたいに。掛け軸みたいに。あるいは、紅茶に添えられた角砂糖みたいに。

という文章があって、わたしはその的確な表現にえらく感動したんです。

そういう風に、家具のようにお砂糖のように ただそこにいるだけで万事うまくいったんです、小さい頃は。

 

大人になると 今度は 自分が動かなくちゃならないし 周りにもそれを当然のごとく求められる。

木偶の坊みたいに突っ立ってても 邪魔なだけで ほんとうに存在してるだけでよい人間なんて 大人には いない。

そういうことにじわじわ気づかされて大人になっていく。

そういう意味での 「あの頃はよかったなあ」なら、使っても許してほしいな。

 

でもそうですね、あの頃から中身は変わっていないのに 世間からの目は変わって。

どぎまぎしながらもついていかなくちゃならない、大人にならなくちゃいけない。

そういう単純な、ほんとに奥底にある"生きることへの苦痛"というものに 相対するのが面倒くさいです。

 

そうです、もうほんとに ただただ 面倒くさいですね。

町の小さなお惣菜屋さんを開きたい。

そこで細々と生きていきたい。

 

寝ましょう、おやすみなさあい

 

 

 

eighter的日記

 

 

 

関ジャニ∞ってすごくて。

今じゃこんなに売れてる風やけど 昔は全然売れてない人たちで 苦労もとてもしてはるんやけど

わたしが今回言いたい すごい はそこじゃないんですよね。

 

数年前、ドッカーン!と売れ始めた時は グループとしての魅力が それぞれにとって最高の環境であるはずのライブという場での力が 本当に低かったんですよね。

というより、ぱったり ファンと関ジャニ∞の心が通わなくなって その前までは抜群の歌唱力やったのに 売れ始めたら歌がめちゃめちゃ下手くそになったりとかして

ライブ中だって メンバーのうち何人かの目が死んでたりして。

その時にファンになった人には その魅力の半減はわからなかったかもしれない でも過去のDVDとか見たら明らかなんですけど。

ほんとに、純粋なファンからしたら ショックなほどに ファンのことを思ってくれてなかったんですよ関ジャニ∞が。

 

というか言い忘れてたけど わたし 中一の時から eighterなんですよお。

eighterというのは、関ジャニ∞を教祖レベルで崇めてるファンのことなんですけど。(持論)

 

途中 好きが少なくなったり まあほぼなくなったりしながら なんやかんやeighterなんです、わたし。

中学時代からeighterということは それはもうエイトと言って思い出す記憶は痛いものばかり…

例を出しますと わたし 当時ものすごく渋谷すばるになりたかったんですよ。

憧れとか好きとかも超えて 崇拝してました

だから 彼とまったく同じ髪型にしてました、黒髪ヘルメットヘア。縮毛矯正10000円。

服装も真似したけど いかんせんデブなので 華奢なすばるくんには なれなかったです。それに全然気づかなかったのは若かったからです。

 

その他いろいろ 痛い記憶はあるのですが あの時は痛いほど純粋やったってことですよね。

今考えたら 泣けるくらい。

今の百倍くらい 周りのために喜んだり心を痛めたりしてて。

関ジャニ∞を見ていると 変わらないけど確実に良い方に変わっていってる彼らを見てると 自分の中にある中学生の時と変わらない可哀想で痛い純粋な部分が 戻ってくるんです。

すごいよね、記憶は脳みそより体に 感情の奥深くに 刻まれている。

それほど わたしという人格を構成するうちの重大な要素になってるんです 関ジャニ∞が。

 

いやいや関ジャニ∞が!? たかがアイドルやん!ってなるかもやけど

関ジャニ∞が、です。

もうね 規格外なんですよね 関ジャニ∞って。

 

まず、公式に推されてるメンバー内カップリングがあるでしょ。

そして メンバー全員に強い結婚願望があり、なおかつ熱愛もわりとばれるし クラブでベロチューしてるとこを大勢に見られた人がいる。

インスタのアカウントがばれて、仕事辞めたい〜と言っていたのが明るみに出たメンバーもいる。

依存し合いすぎてお揃いのピアスお揃いのミサンガお揃いの指輪をして休日も常にベタベタベタベタしてた二人もいるし

ロケ先であるメンバーがいなきゃ一人で寝られないほどバカ寂しがりやった人もいる。

自分がアイドルであることを最近になってやっと認められるようになった人もいる。

アイドルやのに歌が下手な人もダンスが下手な人も 作り笑いが下手な人もいて。

 

なんだか みんな 闇を持ってて かるーくメンヘラなんですよ。

だからこそ 重い言葉が言えて その言葉が沁みるんですよね〜。

 

って言っても わたしは彼らが仲良く笑っているだけで全然幸せなんですけどね。

 

そう、仲良く笑っているだけで 自分たちが楽しそうなだけで 周りの人たちを幸せにできるんです関ジャニ∞って。

でも逆に 自分らが楽しくなさそうで 歌うのさえしんどそうな時って 全然ファンの心にすら響かないんですよね なにも。

 

たぶん 人の心を動かしたい人は

自分たちがまず楽しくなかったら 絶対にだめなんですよ。

そんなね 自分たち内輪ですら 楽しめない人たちが 誰かの心を動かせるわけ 誰かを勇気づけられるわけ 誰かを元気に幸せにできるわけ ないんですよ。たぶん。

 

関ジャニ∞は 1、2年前から そういうとこも最強に網羅したので その上ライブに参戦するeighterみんなが楽しめる会場作りだって自らしちゃうので もう最強なんですよね。

 

だからといってみんな関ジャニを好きにならないでね。

チケットとれなくなるから。

あと新規ファンはどうにも信用できないから。

 

と、こういうところはジャニヲタの闇ですね。

 

今日は関ジャニ∞のライブめちゃめちゃめちゃめちゃ楽しかったでした、

当ててくれたありささんありがとうほんとに。

 

では さっきまでエイトのDVD見てて眠すぎるので寝ます

 

おやすみなさあい

 

 

うらぎられた!!

 

 

みなさんこんにちは、いかがお過ごしですか

わたしはやっと冬休みが明けた感じ しかし正月ボケが治らない感じでお送りしています

ずっと正月ボケしてるみたいな性格ではある。

 

 

 

 

先述の通り クリスマス 鳥羽に行ってきたわけですが

鳥羽駅は 特急がとまるにも関わらず ものすごいシケようなんですね。

 

海だけに シケです。

 

退廃感がすごいし、昭和の香りが磯の香りと同じくらいしました。

 

なんで いま そんな話をするのかというと

そのシケシケタウン・鳥羽で

貶すのは好きやからなので悪く思わないで欲しいんですけど

シケシケタウンで ある廃墟を見つけたんです。

 

わたし、廃墟が好きなんです、家族単位で。

母がまず廃墟好きで 属性はコンクリート系の施設好きなんです。

わたしは 工場廃墟系が好きで

妹は なんなったんかなあ、、でもまあ 付き合うよ〜みたいな やつはいつもそういうスタンスやったんですけど

 基本的にどういう廃墟でも好きなんやけど。3人とも。

 

それで、まあ 今回シケシケタウンでも 廃墟を見つけたんですよ。

その名も 『鳥羽国際秘宝館』。

 

 森山くんと 鳥羽駅付近をぶらぶら 歩いてたときに なんだかびっしり蔦の張り付いた廃墟があったので あーあそこ見に行こう!と言ったんです。森山くんもわりと廃墟が好きらしいので。

 

そして歩いていたら、まあ、あって。鳥羽国際秘宝館が。

蔦の廃墟のことなんて 忘れる衝撃だったんですよ。

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いい雰囲気してるじゃないですか。熟成度としては浅めであれ。

しかも 国際秘宝館ですよ、なにが展示されてたんやろう!?って平均年齢弱冠二十歳のわたしたちは湧きました。

「秘宝が置いてたのに いま 廃墟って… その秘宝はどこに行ったんかな!?」

「SF・未来って、大阪万博に展示されてたみたいな 人間洗濯機みたいなんあんのかな!?」

重ねて、入り口が少し開いてて、受付が見れたんです!

うわあ、なんか独特の空気がむわぁっと くるね…!

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受付から SF感があるね…!

 

…この時点で少し、おかしいとは思ってたんですよ

受付の料金表に 子どもの値段設定がないこと。

 

年は開けてお正月、一月二日の恒例行事 母と最寄りのお寺へ初詣。

も終えて一休みのコメダ珈琲で そういえばとわたしは 口火を切った…

 

「こないだ鳥羽行った時の国際秘宝館、調べてみよーっと」

 

そう、旅行から帰ったときにすでに母には報告済みであった。

鳥羽国際秘宝館という建物の廃墟があったよと。わくわくっとしたよ と。

その時の反応は へえー!いいやん中入ってみたん? というような感じだったのだ、

なのにまさかお正月に こんな事実を突きつけられるなんて…

 

母「思ってたんやけどさあ、その 秘宝館って

       大人の……やつじゃない?」

私「……え?」

 

大人の……やつ?

 

秘宝館(ひほうかん)とは、性風俗や人間の性・生物の性に関する古今東西の文物を収蔵した施設のこと。(Wikipediaより)

 

……?

 

母「調べてみ、あやちゃんが調べるの嫌やったらママが調べるわ」

母「ほらやっぱり…うわあ……これあかんやろ……」

母「…ちょっと見せられへんわ……」

 

そう、秘宝館とは 言うなれば大人の博物館、大人のテーマパーク であったのだ…!

 

わたしは激しく裏切られた気がしましたね。

しばらくショックで 項垂れました。

だって平成に生きるわたし、秘宝館なんて言葉を聞いたって そんな下賎なものやなんて まったく思わないじゃないですか。

あろうことか こんなに性的やのに 母親に無邪気にそんな話をするなんて、恥ずかしいし ほんとに なんか 大人に裏切られた!と思ったんです、生理的に萎えたというか。

 

鳥羽国際秘宝館、と調べるとショッキングな画像がたくさん…

まぐわう男女のマネキン…いたぶられる女性のマネキン…馬の交尾ショー……おっぱい丸出しの女の人の動画…性的な拷問の展示…

 

母いわく、昭和は 男性が女性に対してめちゃめちゃにギラギラしていた時代やったんや、と。

「男性の性の対象が 世間的に 成人女性に絞られていたから こんな秘宝館なんてものが成立したんやろうね」

なるほど 現代では ロリコンを筆頭に二次元趣味だって 同性愛だって 全員によく思われることはないにしろ

おおっ広げに言ったって 仲間も見つけられるし 受け入れられだって する。

もう 秘宝館なんてなくたって そんな 開かれた性に執着しなくたって ネットでいくらでも他人に見られたくない性癖を満たせる。安全に仲間を得られる。

 

秘宝館は 全国にもう 一つっきりしかないらしいです。熱海にしか。

時代と共に淘汰される されて自然な施設やと思いますね。

まさしく 男尊女卑な文化の表れで。

 

でも そういう 平成に生きる若者たるわたしにとって "バカみたいな"昭和の遺物って やっぱり惹かれるものがありますね。

調べたら 出てくるんですけど 鳥羽国際秘宝館の廃墟には おっぱい丸出しのマネキンの残骸などが 転がってたらしいんです。

なんて 間抜けなんでしょうね。

性に対する剥き出しの探究心って ほんとに間抜けじゃないですか。

そういうの最高に面白くて、よいな〜

 

と、しばらくしたらショックも忘れていろいろネットサーフィンを 親子揃って(もちろん別々に)してたんですけど。

 

わたしが受けたショックって あの廃墟がある限り わたしより下の世代も十分受け得るんですよね。

現代では 明らかに異物である あんなものが 十数年前には当たり前に人々の心に存在してた、それってものすごく なんというか 一種怖いとも思えるような ことやと思うんです。

でも 廃墟好きでなかったり 秘宝館というものに好奇心が湧かなかったりしたら 真相は知らないままやし

知ったとしても 昭和って変なの〜 としか思わない人なんてたくさんいるでしょう。

そうして今を生きるみんながスルーしていって 昭和を実際に生きる人がいなくなったら

もうあの建物が何かなんて 誰の興味にも晒されず、誰も知らずに ただの意味不明の施設の廃墟になるんですよ…

ネットに残る、って言うかもやけど そんなん調べなかったら 秘宝館にたどり着くのなんて めちゃめちゃ難しいじゃないですか。

 

だから 何が言いたいのかと言うと

その事柄の ナマの体験を持ってない ナマの知識を持ってない人が 居なくなることって 恐ろしいことやなということです。

なんであれ、興味を持つ人がいなくなれば 興味を持つきっかけさえどこにもなくなれば その事柄は なくなってしまうのと同義なんですよ。

 

別に秘宝館が忘れられたって 誰も何も損しないですよ、そりゃ そうですけど

でも面白いじゃないですか、ちょっと興味をそそるものがあるじゃないですか、一般的ではまったくないけど。

そういうものがなくなっていく、昭和という猥雑でギラギラしててちょっと間抜けな時代、わたしには 未知の でも知ることなく過ぎていった時代を象徴するものが 風化していくって 寂しいなあ〜、と思いました。

 

だから 誰しもに 感受性を豊かに持って欲しいです

どんな分野にであれ。

みんなに面白いこといっぱい教えて欲しいしなあ

一人で知れる 面白いことには限りがあるし。

そういう 面白いことに対する興味を持ってる人って 面白いじゃないですか

 

決めました わたし たまにこのブログで面白い建物とか施設のこと紹介します

アンテナ張って 記します

二十歳になって 始めることにします。まだなってないけど。

 

まだなってないといえばわたしの誕生日は三月五日なので覚えてたら おめでとうと一言言ってくれたらとても嬉しい。

言葉だけでいいので。

 

 

 

ということで夕方なのでおやすみなさあいで締められないなあ〜

 

ええと、じゃあ

 

おつかれさまあ

 

 

でろでろのわたし

 

 

 

いま、わたしぬくぬくと

暖房器具の前のソファに座ってブログを書いてる。

あーあったかいな、ちなみに 4時間のお昼寝を終えて頭はぼけーっとしている。

こんなに寝てしまって 夜 どうしよう。

 

形のない平和。

 

わたしという存在は、固まってないチーズケーキを早々と型から出してしまったようなもの、と昔のわたしは言ったけれど

言い得て妙である。

台所にどべーっと広がってしまう液体とも個体ともつかない物体。

あれがわたしだ。

 

個体として生きるのは荷が重い、液体として生きたいというのは常々言っていることだが

どこかの小説で読んだ、人間はほぼ水で、皮膚の袋に入れた液体だ と。

それならばわたしは 体内の水分と同じ浸透圧の水の中で生きたい。

ずっと漂っていたい、ぷぅかぷぅか

 

暖房器具の話に戻るけれど 原始の人々にはこんなものはなかった

焚き火を囲む夜。

毎日がキャンプファイヤーぱちぱち爆ぜる火を見て子どもはきゃっきゃ言うて

でも そんな余裕はないかな。

森の中 いつ獣が襲ってくるかとびくびくして

眠りも浅いのだろうな〜

 

 

 

 

と、ここまで書いたのが19時頃。

もう12:30、あれからお買い物に行って晩御飯を食べた。

豚バラ丼。

豚で一番美味しい部位は豚バラやと思う。

牛はホルモン以外全部美味しい。

 

牛と言えば、

国産牛と 和牛の違いをみなさん知ってますか。

和牛は、日本で飼育された黒毛和種とかの 日本のブランドの牛

国産牛は、黒毛和種とかの和牛プラス ホルスタイン種とか 他のも全部 とにかく日本で半生以上育てられた牛のことを言うんです。

だから より 国産にこだわるなら 和牛を食べた方がいいですね。

 

和牛は美味しい。

最近は サシの綺麗なサーロインに加え、サシの少ない赤身肉も美味しいなと感じてきました。

大人な味覚になってきたのかな

 

大人の味覚と言えば

ビールも最近飲めるようになって

トマトも食べられるようになって

コーヒーも、ミルクがない場合はブラックで飲めるようになって

ほんとに好き嫌いがなくなってきたんです。

昔は、 「大人になったら好き嫌いなくなるって、味覚が衰えるからやん」って思ってたんですけど

ビールとトマトでは別問題ですよね、

トマトが食べられるようになったのは、トマトが好きになったからではないけど

ビールを飲むのはビールが美味しいくて好きやからやし。

ブラックコーヒーだってあんなに苦いもの、やっぱり味覚が衰えたから飲めるのではないか〜?と思わんこともないですし。

トマトは 食べられるようになって

ビールとコーヒーは 美味しさを知った、、、から??

苦味も受け入れられるようになったからかな

 

一方で絶対に食べたくないものだってある

紫蘇、納豆、くわいとか。

紫蘇は我慢したら食べられるけど。

 

味覚が大人になるって、こういう味があるって知って、それに耐性ができるということなのかな。

いま 大好きな麻婆豆腐だって食べる前は味を知らなかったし

食べる直前までそれが好きか嫌いかなんてわかんないし。

トマトも紫蘇も、食べざるを得ない場を踏んで来て、味に対する耐性がついたから、難なく食べられるようになったのかな。

経験によって視野が広がる というのは珍しいし嬉しいな。

 

わたしは まあ見た目から分かる通り 食べることがめちゃめちゃにはちゃめちゃに大好きなんですよね。

イタリアンもフレンチも中華も日本食もだあいすき

和食はちょっと苦手やけど…

あと、パクチー圏もちょっと苦手やけど……

 

台湾に行った時は びっくりしました、台湾もパクチー圏だったんですねえ

しかも八角もわりと 主張してたので だいぶきつかった…

点心が大好きなんですけど、パクチーの味が結構きつかったので あああ…となりました。

パクチーこそ、慣れないし 大きくなってから出会った味なので、避けてまうし耐性ができないなあ

 

香港は パクチー圏じゃなかったので 点心も美味しかったです。

香港はよいところだったなあ〜

竹の足場で建物を建てていた……。

 

行ったことのある外国は その2つなんですけど

2つとも似て非なるところでしたねえ〜

台湾は、でもずっと行ってみたい国だったんですよ、九份の雰囲気がすごく好きで。

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こんなとこです。

千と千尋の神隠しの舞台と名高いところ。

夢が叶って嬉しかったなあ〜

しかも 小籠包がめちゃめちゃに好きなので 本場で、鼎泰豊という名門で 食べれてすごく幸せだったです。

幸せじゃないですか?

あの、外皮が破らないように 筵からレンゲに移す瞬間。

お箸で 外皮を破ったら 中からスープがぶわぁっと溢れ出る あの瞬間。

スープを すすってから 本体を口に入れたときの ジューシーな 瞬間。

 

他のお料理を摘んでる間に 少し冷めた小籠包を 割らずに食べたときの あの幸せったら ああ、ない。

 

 

行ってみたい外国はもう1つあって。

やっぱり大正義スペイン!

サグラダファミリアが物心ついた頃から大好きなんですよぉぉ

偉大すぎる建築家ガウディの設計した建物は全部見たい!

というか スペインのモデルニスモ建築にはすごく興味があるんですっっっ

というかスペインはすごい、だってダリもスペインですよ あのヒゲピンおやじ!

 

食べ物もすごく美味しそう、

スパニッシュオムレツは言わずもがな大好きやし アヒージョにパンをどぷっとつけて食べたあああい!

テレビで昔見たネギの丸焼きもちゅるっと食べたいし!

スペインバルでタパスを食べるのが夢…

でもスペインはヨーロッパで一番治安が悪いらしいです。

ただでさえぬるま湯な日本の、奈良なんていう田舎で育ったわたしには 厳しすぎる…

でも行ってみたいです、卒業旅行とかで。

 

 

 

ああ今日も支離滅裂なブログでした。

なんてったって サークルの課題バンド以外で外出してない!

そんな日は 話題がなくて支離滅裂になるのです。

刺激がなければ アウトプットもできないなあ〜

 

お昼まで寝て、しかもお昼寝したしまったく眠くない。

みなさんは もうお正月休みから足を洗って 早く寝るのですよ…✝️

 

では おやすみなさあい

 

 

中学時代のわたしの、おともだちたち

 

 

 

今日は成人式でしたよ、みなさま成人おめでとうございました。

成人って なんやね〜 なんか 昔の人の概念やんね

今の人間からしたら 同窓会的な趣があるよね。

て言っても 多少は気持ちが引き締まりは、するかな

式自体には行ってないので 偉いさんの言葉とかも聞いてないわけですが

二次会で 成人式気分を味わえたし

まあ漠然と そっか〜 20年かあ大人かあ〜っと 感じます。

 

地元に居場所はないので せめて少しでも居場所があればと思って幼小中と通った帝塚山の二次会にだけ参加させてもらったのですが

みんな大人になってましたね、やっぱり。

お酒も飲んでたし。

 

男の子と喋らなかった中学時代でしたが
塾で喋ってた子たちとは また 少しやけど喋れてよかった。
純朴な人たちは純朴に二十歳になってたし チャラい人たちはチャラい二十歳になってて安心しました。
女の子より 男の子の方がそういうの表れるなと思いました。

 

高校受験をした人や 高校からコース変更をした人の多くは 結構肩身が狭かったりするんですが

わたしはもう慣れてるので むしろまだ 「あやーーー♡」と言って抱きしめてくれたり飛びついてくれたりする人たちがいっぱいいたのが本当に嬉しかったです。

高校のときを思い出したな〜

公立高校に馴染めなくて、帝塚山に遊びに行ったら みんな快く受け止めてくれて

あやーー!って今と同じように迎えてくれて

そりゃあ 違う学校で違う三年を過ごしたという壁は分厚いですよ、でもそんなことじゃなくて

ただ そうやって迎えてくれることがすごく救いやったし 今もめちゃくちゃ嬉しかった。みんな 無視したりせず 顔を見たら駆け寄ってくれて すごくすごく嬉しかった。

ああよかった、わたし高校受験した反逆者やけど みんなの心にちゃんと中学の同級生という認識は残ってたんや、ってほっとするというか。

 

勇気を出して行ってよかったなあと思えたぜ。

そして 人種的にはやっぱり こっちの人間やろなあと思った し 高校3年間も 帝塚山で過ごしてたら 楽しかったやろうし 今でも胸張って帝塚山生!として帝塚山の成人式に行けたんやろうなと思う

でも思うだけ、悲しくも寂しくもなってないよっ

 

いややっぱりちょっと寂しいかな、

でも高校受験しやなどうしようもなかったですからね、学力的にもモチベーション的にも性格的にも。

 

人生は選択の連続で、間違った選択だってやっぱり時にはしてしまいますし

それによって得られるものだって ある、

選択した道で、自分がどう楽しくしていくか、でもあるけど まあやっぱり周りの環境はどうにもできなかったので……

間違った選択をしたけど それによって得られた今はとても大事な友達だっているし 多分高校受験したからこそ近大に来たと思うので 今の出会いだって道を間違ったからだ。

 

と思うと 間違いサンキュー!と 言えちゃいますな。

 

でもあれやな〜

幼稚園の頃から知っている人たちが成人したなんて 興味深いですね。

時の流れというのは すげえ。

しかも 時が流れると物は風化するのに 私たちはこんなに伸びやかに大きくなった、枯れることなく。

みんな綺麗やったもん。

 

だからこそ 成人式で暴れたりしたらだめですよね。

普通の日に暴れるだけでも 馬鹿やな〜 と思うのにこんなハレの日に 暴れるなんて

しかも 親に ここまで育ててくれてありがとう、という 成果の日なのに 暴れたりなんて絶対したらあかん。

主役や被写体は自分らやけど、目的は自分らが目立つことやないんやから。

馬鹿は成人しても治らないんですよね。

 

あ、あと 成人式の後はお持ち帰りとかが多いと聞いてたので

あーこの中で誰かが誰かをお持ち帰りすんのかなあっと思うとちょっとニヤけたしそういう想像は面白かったです。

わたしはこういう考えをすみっこ的発想と名付けました。

 

お金持ち学校、帝塚山

みんな お金持ちで その中で物心つくまで育ったわたしは 金銭感覚がバグったまま 治らないけど

すごく楽しかった、すごく良い人たちがいた、今は道を別れてしまったけど あの人たちが今のわたしを作ったんやなあと 思います。

 

そして 「まだメンヘラなん?」っと聞かれたとき、あああや変わってないんやと思うと同時に ああわかってくれてたんやな と、嬉しくなったり。

黒歴史でしかない 痛いわたしをイジられたとき ああこの人たちは知っているんや と、恥ずかしくなったり。

色々心温まった日でした。

 

 

そうそうお昼にはコースを ママンが 食べに連れて行ってくれて 全部のお料理美味しくてサイコーでしたし。

シャンパンも美味しかったし 今日は百点満点の一日でした。

 

みんな いつもありがとう。

これからもよろしくね

 

そして機会があれば帝塚山のみんなともまた会えますように。

 

おやすみなさあい

 

 

はたちぶらんど…?

 

 

 

絶対に叶わない夢といえば

男に生まれたかったな とか そういうことですよね。

男に生まれて無双したかったな〜と思うけど どうなんやろう

女の人見知り愛想なしは まったくモテないけど 男の人見知り愛想なしは クール!となってモテそうじゃないですか?

 

だいたい 世間の女の子の好きな男といえば

「イケメン 爽やか 低音ボイス スポーツ万能 おしゃれ 高身長 優しい スタイルがよい」

とかですかね。

そこに 35歳以上 とか ヒゲ とか タバコ とかオプションをつけていく感じじゃないですか、え、そうでしょうそうでしょう

だいたいのベースは 上記の通りでしょう。

 

で、ですよ

私は 女にしては身長の高い方なので 男やったら180くらいの高身長じゃないですか多分。

そんで、スタイルは…まあ 頑張って痩せるとして 男なら 腹筋割れてた方がかっこいいし。

髪型は 爽やかに黒髪の短髪にするでしょ〜?

ほんでぇ〜 おうこれ楽しいな

女にしては声が低い方なので 男でも低音ボイスやと思うしぃ〜

スポーツは 能力がゼロなので そこに振る値を全部 顔に振っていただいてなんとかイケメンにしてもらって(神に)

優しいは まあできるでしょ ドアとか開けてあげたり 公園でベンチに座るとき 座るところぽんぽんって払ってあげたり

ようは自分がされて嬉しかったことをしてあげればいいわけですから。

爽やかではないけど まあ ちょっと影のある方が……

 

ってなんやこれ。

 

なんやこれ、楽しいけど延々ブログでする話ではなかったですね。

 

で、男に生まれてなにがしたかったかと言うと

やっぱりアカペラですよね。

もうね〜 ベースもやりたいのはさることながらパーカスもやりたいね。

リードもやりたいし もちろんコーラスもやりたい。

でも一番やりたいのは ベースかなあ〜

それでやっぱりヤロバンが組みたいですね。

男の人がズラッと6人並んでるのってそれだけでなんかもういいじゃないですか。

 

ね。

 

女に生まれてしまったので もちろん女として生きますけどね。

女臭い女に 成長いたしたので…。 情けない…とほほですよほんと

 

女臭いといえば わたし 結構…なんていうのかな婉曲に言うと クソ女認定とでも言えばいいかしら、されてるらしいんですけど

いやぁ、甘んじて受け止めております。

たくさんの人を傷つけた自覚もあるし。

不思議と自分の 正しい正しくないの判断には 背いてないつもりなんですけどね、結構いつも。

でもそれはたぶん わたしが自分を甘やかしすぎてるとこもあるし 世間のそれとはまったく違っているやろうから

人から見るわたしが いい人間なわけないんですよね

 

でもわたし いい人間も好きやけど 悪い人間も好きなので そっち側でも別にいいです

悪い人間怖いけどな〜

ここでいう悪い人間というのはヤクザとかヤンチーとかそういうあれじゃなく 倫理的に危うい独自の感じで生きている人のことです。

 

こっち側の人間あっち側の人間とかいう話で思い出したのですが

半年ほど前、裏難波の 味園ユニバースという複合施設?

なんか、店舗がいっぱい入っている施設に行ったとき。

 

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なんだかすごく "専門的"なおさけやさんばっかりで 怖いと感じもしたし 楽しそう、とも思えるような

みんなが 日常の着ぐるみを脱いで 出かけて来た場所みたいな 雰囲気やって

中には 世間から逸脱してるような感じの人もいて。

それを見て森山くんが あーあやさん、ほっといたらこんなとこまで落ちて行きそうやな みたいなことを言ったんですよ。

ああそうなんかなあって思ったし たぶん わたしは わたしに なんでも許してしまうので。

誰かがそばにいてくれないと どこへでも落ちて行くんでしょう。

 

でも みんな 危ういバランスの中で生きてるでしょう。

きっとわたしだけではなくて。

みんなに ちょっと踏み外せば落ちてしまう穴は内包されていて。

綱渡りで生きてる、みんなもそうなのかなあと最近思います。

 

わたしには 語れるような過去も頑張って来たこともないし

人生における夢もない

けど そんな人は多いやろうし そんな人の方が大多数なのではないかな。

 

そういうわたしたちは ほんとに日々を楽しくするために生きていて

でもそれって本当に矛盾しているよね。

生きるということは 日々の積み重ねなのに わたしたちは 一日一日を楽しむために生きてる。

恋人を得、友人を得、家族を得る。

 

そういうことを思うときわたしはゾッとする。

行き止まり。毎日が行き止まりだ、と思う。

だって未来には 不安しかなくて

後ろから壁が迫って来ているのに わたしが進むのと同時進行的にしか道は現れない。

おちるすれすれ、一歩先は 転落

それなのに 毎日たのしいわあと言って生きている。

今しかない。未来に向かって時間は流れて否が応でも大人にならなきゃいけない、の、に、そこから逃げられないのに それは生きることが苦痛であることと同義だ!

 

ぞっ

 

とする、ほんとに。

 

そういう人間は 未来のために今を生きられない

今のためにしか生きられない

だから どんどん列から遅れる

未来の準備もできずに カゴから出されて、晒されて

 

今しかいらないのに 今を積み重ねると未来が待ってて

恐ろしい。

 

ほんとに生きることは怖い。

 

だから 夢や目標は 必要なんですよね。

目標しかなかったら 人生を"こなす"ことしかできひんけど ないよりはいいのかも。

 

若もんが 人生を語るな って言われそうやけど

若もんなりの 人生観 見たことないもの 未経験のものは 恐ろしい。

 

 

 

 

若もんで思い出したけど明日は成人式ですね。

わたしは式には出ずに二次会だけ行こうと思っておるのですが不安です。

でも不安になることはないと思います

わたしが過去にだいすきだった人たちの作る空気をちょっと吸いに行くだけ。

顔を見るだけです。

みなさん 成人おめでとうございます。

ますますのご活躍を楽しみにしております

わたしは ……🤔

 

 

 

では

おやすみなさあい