LALALANDとかいうすごくよい映画

 

 

 

LALALANDってあるじゃないですか。

あの めちゃめちゃめちゃめちゃよい映画であることでおなじみの、ミュージカル映画なんですけど

色んな過去のミュージカル映画のパロディを随所に散りばめていて、それを知らないわたしでも「なんかのパロディなんかな」と思うくらい、

でまあ わたしは ミュージカル映画を ディズニーくらいしか観たことがないので LALALANDという映画を 「ミュージカル映画の歴史をパロディとして組み込んで新しいものに昇華したミュージカル映画」としてではなく ただ普通の恋愛映画というか青春映画、という風に観たんですよね。

その上で めちゃめちゃめちゃめちゃよいな〜って思って大好きな映画になりました。

 

やっぱり 色彩と音楽ってすごいなって思って

原色を散りばめて画面として完成されてるみたいに鮮やかで よくて

ドレスやネオンの色、夜空やライブハウスの色、もう〜視覚的に楽しい。

音楽も すごく好きな 進行というか たぶんみんなが好きな進行の音楽を作ってはると思うんやけどそれにしても よくて

 

それでもやっぱり一番、好きなのは 内容で

ありきたりでは あるじゃないですか 観たことない人にはネタバレになるので、注意ですけど

 

「夢を叶える途中の若者二人が出会って恋をして別れる話」って、まあ言ってしまえばそれだけの話で ありきたりな、東京にもロサンゼルスにもニューヨークにもパリにもありそうな場所を選ばない若者カップルの1つの季節の話、でもその普遍性がいいなと思ってるんですよねわたし!

骨組みはごっついシンプルなんやけど 誰にでもある話で 片方が女優になり片方がミュージシャンになりって言うと規模の大きい話に見えるけど、そういうことではなくて 周りの関係を排除した二人きりの話としてみたら、ほんとに小さなお話で

到底卑近な話ではないのに否応なく身近に感じてしまうんですよ。

ミアとセブは、例えばどちらかが夢を叶えることを先延ばしにしたり、どちらかが取り返しがつかなくなる前になんらかのアクションをとったら、そのまま結婚してたような二人じゃないですか。

あの〜、「SUMMER」のときの二人のデート!あのシーンだけを永遠と観てたい。

今まで同じ街に住みながら出会わなかった二人、今までお互い人生に燻りながら一人一人として生きていた二人が 偶然出会って惹かれあって惹かれあって最初は間にあるものをそれと認識してなかったのに恋愛になって(セブは始めから結構意識してたぽいけど)、それで一緒に色んなところへ出かけて好きじゃなかった音楽を相手のおかげで好きになったり行ったことないところで笑って歌って踊って、楽しく、今まででは考えられなかったくらいに楽しく過ごして、一緒にいたいから一緒のお家に住んで、一緒にご飯をたくさん食べて、一緒に眠って夢を語り合ってお互いの夢に近づいたときに全力で祝って でも、やっぱり変化は変化で。

人生は恋愛の敵!もうこれはほんとに、またまた江國香織さんのあれなんですけど

人生は恋愛の敵なんですよ。時間経過で人は嫌でもほんまに嫌嫌嫌でも、変わって 環境もそれぞれ変わって 時間は自分たちの外側を流れてくれない、いっそのこと 自分たち二人を無視して流れてくれたらいいのに!

人生は一人一人のもので 一緒に過ごしていても同じ人生を生きることはできなくて それ自体が二人を隔てる決定的なものなんやないかなっと思うんですよね

だからできるだけ同じものを食べて、同じものから血液を作って肉体を作って、それで同じものを見て、一緒の布団で眠るんですよね。できるだけできるだけできるだけ。

でもほんとに同じ人生を生きてしまうことができたなら、たぶん…

一緒にいる意味がなくなってしまうのかもしれないから でもそんなことを言ってもミアとセブが別れたのはほんまに悲しいいいい

 

ラストシーンですよ。

もうほんまに。

実際そうではなくても、ミアにとってセブと過ごした時間は人生で一番キラキラしてた、と信じたくなる微笑みですよ。

揺るぎなく過去やけど、その過去はたぶん今より未来より大切、みたいな感じに思ってて欲しいなああああ悲しい…悲しいほんまに…

あのときさ〜〜〜〜〜〜あのとき〜〜〜セブがさあ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜一緒にさあパリにさあああああああ意地を張るなよなほんまに〜〜もお〜〜〜〜〜〜〜〜〜  なにぃあの、最後のエピローグのときのパリの楽しそうな感じ!!!!

もお〜〜〜〜〜〜〜〜やだよ〜〜〜〜〜〜〜〜

 

熱くなってしまいましたね。

実際には存在しない 映画の中の二人の話やのに。。

でも あの二人はきっと誰かの、誰しもの投影なんですよ、みんなのことを撮った映画で

だからこんなにこんなにせつなあい!!!!

はあ…

サウンドトラックを聴いて 落ち着こうと思います、

おやすみなさあい

 

頑張れ頑張れ頑張れ頑張れ!

 

 

頑張ってるかどうかって完全に主観ですよね。

人って見た目がすごく同じなので人同士がすごく同じだと思いがちだけど隣の人とその隣の人では好きなものも好きな人も好きな食べ物も面白いと感じることもまったく違うじゃないですか。

笑いのツボが違うことに文句を言う人はいないのに 頑張った基準には 文句を言うよね、人は。

やっぱり「自分はこんなに頑張ってるのにそんなんで頑張った感出してるのは納得いかない」とか「私の方が明らかに頑張ってるのにお前がそんなに褒められるのはおかしい」とか、"頑張った"と言える基準みたいなものをみんな持ってて、それが高い人ほど 実際にとても頑張ってるんやと思う、けど 頑張ってなく見える人、基準が低い人を許せないというか認められないんかな。

理屈はわかるけど…

頑張った基準が低い側から言えば、常に基準が高い人々を羨ましく思うし、そんなに頑張れたならなあって思うけど 頑張れないのが常で、そしたら頑張れない自分をどんどん嫌いになってしんどくなるので 頑張ったの基準を低く設けて自分が頑張ったことにしないとちょっとも頑張れないんですよ。

低い人は低い人なりに自分を見限ってる部分もあるんじゃないかなあ。。

 

それでまあ、頑張ったなあって人に言って欲しいけど ちゃんと自分を見てくれてる人しか自分が頑張ったことなんてわかんないじゃないですか。

ほんまに 誰の目から見ても頑張ったと言えることをしたって、自分に興味のない人からすれば「うぃ〜」「お疲れ〜」じゃないですか。

人と人は違うけど 違うから〜って完全に見限ってしまうのは悲しい。

「違うから、違うあなたをわかろうとしてくれる」人が一番最高ですよね。

基準は高い低いあるけど、基準が高い人にだって低い人を褒められるじゃないですか、それはちゃんと その人個人を見てるからできることで 世間の基準は曖昧で、だから自分の基準で測りがちなところを 基準さえ人それぞれ違うことをちゃんとわかった上で 頑張ったねという言葉をかけたい。

「○○にしては頑張ったね」なんてちょっと蔑み言葉みたいやけど 嫌味なく言えるならその言葉はよいし、他の方面で尊敬できる関係にこそ使われるべき言葉やと思うんですよー。ねー。

 

もっと頑張れ、とか 自分をよく知らない奴が言ったって 音でしかないですよ。

無責任な外野の声なんて言葉じゃないです、

だから聞きませんしわたし今日ちゃんと授業来れたから褒めて。

 

おつかれさまあ

 

変わらないものは小説だけ!

 

 

怒りっていう映画がすっごい好きで。

と言っても内容がしんどすぎるので一回しか観てないんやけど。

俳優さん女優さん誰をとってもわたしより年下の(!)広瀬すずもぜーんいん演技すっごくて迫真!もう〜〜なんというかほんまにタイトル通り感情に真っ逆さまの、ねー!すごかったな〜〜

やっぱり 内容とか、題材とかがよくたって 演じはる側、つくらはる側が伝えよう!という意思というか、そういうエネルギーがなければ 伝わらないじゃないですか。

それが、そのエネルギーが、ふんだんに、あって、怒りには、だから観終わってあんなにしんどかったし、やりきれなくなったし、

涙を流さない感動というか、純粋に感動した、心を打つ映画だったですね〜わたしのなかで。

で、原作を読んでるのだけどすっごく面白い。

 

わたし もうご飯中とか授業中とかも続きを読みたくて仕方なかった本が、その中で記憶に強く残ってるのが、あるんですけど、

江國香織さんの本は全部そうなんやけどそれ以外では、

上海ファクターっていうハヤカワ文庫の本。たぶんハヤカワ。

海外の人が書いたスパイの本で、ほーんまに面白かった!

スパイものが好きっていうのもあるのやけど。

あと、ピルグリムっていうのも面白かったな〜、三部作で、夢中になって読んだんですよね〜

オーデュボンの祈りもそうやったかもな〜、わたし伊坂幸太郎では圧倒的にオーデュボンの祈りが好き!3回くらい読んだな〜

 

でまあ、怒りも なんかねえ映像をそのまま字に起こしたみたいな丁寧な、というかなんやろう読みやすい?文章で、かといって事務的なわけじゃなくて、ずんずん読めてすっごく面白い!

 

すっごく面白い!って言って思い出したんやけど前に書いてた村上龍の本、ファシズムのやつもコインロッカーベイビーズも、途中で放棄してもーた!

自分が読んだ村上龍で圧倒的一位は5分後の世界?やっけ、なんやけど、あれを期待して他のも読んだらなんか違うなあって思ってしまった、あ、5分後の世界も夢中で読んだ本だなあ

 

でも本のいいところはさ、どこかで見たんやけど、買った今、必要ではなくたって読まなくたって、後々読もうという気になったり必要になったり、してもいいところですよね。

だから直感で、始めの数行を読んで うし! と思ったら本は、買うようにしております。

実際に 買った時は放棄した本を 今になって読んだら面白いなんてこともあるし

本の内容は変わらないけど 自分は変わるもんね。

いろんなものを受け入れられるようになったり 逆に受け入れられなくなったりして…

本当にふと、突然、変わってるもんですよね、気づかないうちに、自分のことなのに。

だからわたし、大ヒットした君の膵臓を食べたいやっけ、あれがどうも、読めないんですけどなんか雰囲気が苦手で、でもみんなが面白いって言うじゃないですか、もうちょっと大人になったら読めるのかなあって思うんですよね。

あと最近わたしお酒にめちゃめちゃ弱くなったんですよ、あんなに飲んで食べてがははははだったのに。

はあ、辛いな…。

 

ブログかいてんと 怒り読も!

おやすみなさあい

 

あめあめやんだ

 

 

 

雨の日。

雨は外に出ないで良い理由になる。

それに びしょびしょに濡れるのは気分が悪いけど、でも濡れて惨めな気持ちになっている時に、もうすぐ家についてタオルで拭いて着替えてしまえば さらぴんの気持ちになれる、と思うのはすごく嬉しいこと。

びしょびしょになることなんて最近滅多にないけど。

 

何かをするにも理由やきっかけが要るし…

何かをしないにも理由や言い訳が要る…

がんじがらめだ………

何かをすることより何もしないことを選択しがちなんですけど、それは動きたくないからで、発言したくない、傷つけたくない、その倍以上傷つきたくないからで

傷つかないためには 人と関わらなければよい、それはそうなのだけどどうしたって人と関わらなければ生きていられない、寂しくてどうも、生きていられない、だから人と関わるのですが

それによってわたしはたくさん人々を傷つけて、関係を破綻させては見て見ぬ振り、破綻しかけては見て見ぬ振り、なかったもの、要らないふり、

 

まあどうだっていいんですけどね本当のところは。

いやどうだってまったくよくないんですけど

いいということにして、それでストレスフリーに生きて、ますわたしは。

 

 

着うたフル!

今テレビに出てきましたその言葉が。

こないだ森山くんと着うたフルの話をね、してたんですけど まあ懐かしいなみたいな、俺はお母さんに一曲だけダウンロードしていいよと言われてクラシックをダウンロードしたんやみたいな、そんな話を、したんですけどそんなのってほんのさぁ〜〜5年とか、前ですよ。

5年前には、音楽を一曲聴くのにも ちゃんとお金が要ったんですよね。

今なんてほらもう〜〜アプリでさただで聴けちゃう!

すごい時代ですよねほんまに。

絶対的に好きなアーティストがいない人にとって音楽は、無料で楽しめるコンテンツですよ。

すごいなあ。

そりゃあCD売れないよね、だってほんまにファンになってもらわないと買ってくれないもんね。高いし。

一番最近買ったのがララランドのサントラでその前がもう去年ですよ、ケツメイシのアルバム。

昔は関ジャニ∞のシングルが出るたび、初回限定版A、初回限定版B、時には初回限定版C、加えて通常盤を全部、買ってました。多分お年玉とお小遣いのほとんどをつぎ込んで。

音楽業界に貢献してたなあ。

言ってもわたし買うものなんて食べ物と飲み物くらいしかないんですよね。

交際費なんて 頻繁に人と会わないので微々たるものですし 服もコスメも滅多に買わへん…

ああ、本を買いますね。

 

みんなさまは、どこの文庫本が好きですか?

わたしはねえ〜〜集英社文庫は好きです、カラフルで、なんか紙もつるっとしてて いいですよね〜可愛いもん。

でもやっぱ新潮が好きかなあ。手に馴染む紙質をしてるじゃないですか。なんか読み終わる頃にはくったりしてるというか。ただ、濡れた手でうっかり触ったらたまに表紙のインクとれるんですよね。そこだけ。

幻冬社文庫の背表紙の色があんまり好きじゃない。

他の文庫本には特になんの感想も持っていませんけど、なんか改めて書いてみるまで、新潮文庫が一番好きというのに、はっきりとは、気づいてませんでしたね。

まあどうでもいいんですけどね。

 

わたしたちって誰にでもなれるじゃないですか。

今日授業で性自認の話をされてたんですけど先生が、最近性自認が不確かな人もいるってことがわかってどうの、みたいなあんま聞いてなかったんやけど してはったんですよ。

そんでわたしたちは いま 男女どっちの視点にもなれるじゃないですか。

おっぱい大きい女の子を見るとうおっと思うし触りたいなって思った時触れることに感謝したりするやないですか。

でまあ、かっこいい男の子好きやし、まああんまり細かく書かないけど男の子に触るのだってまあ、あれなわけで

これってどうなん、相手の性別によって視点が変わってるとは言えませんか?

え、これわたしだけ?わたしだけの話?

みんな思うよね?女の子ふわふわで可愛いなあって思うし触っちゃうよね?

男の子だって おお筋肉、愛すべき筋肉、と思うよね?

だからわたしたちはどっちにも 体は関係なくて どっちの気持ちにもなれる 完全になれるわけではないけど、どっちサイドにもなれるなあって思うんですよ。

はい。

だからどうのこうのはないんだけど男も女も好きやなあと思うし いざとなれば好きな女の子と二人で暮らすことももしかしたらできるのかもなあと思ったという話でした。

美味しい串カツ屋さん行きたい。

 

おやすみなさあい

 

 

ちゃんと暮らす

 

 

牛乳パックを 開けるのに苦労してるときに「こういうのってなくなって行くんやろうな」と思った。

どないかこないかなって、牛乳パックを あの閉じた紙の部分を こじ開けるという動作はなくなって あるいは楽に開けられるようになって

注ぎ口の先っぽがささくれ立ってしまうことなんてなくなるんやろうな。

そんなことは求めてないのに。

不便をなくしてくれるために 研究してくれるのはそれは 嬉しいことやけど 色んな不便がなくなったら もっともっと些細なことでみんなイライラするんやないかな〜とちょっと思ってしまうな

 

だって昔は ネットなんて めちゃ繋がるの遅かったし それにイライラなんてしなかったけど

今なんて繋がるのちょっと遅かったりバグったりしたらめーちゃイライラするじゃないですか。

するじゃないですか。って、しない人もいるやろうけど。

iモードで まあ不便は多かったけど 十分やったし snowなくてもガラケーのインカメで自撮りとってたし。

静かに丁寧に暮らしたいけど 効率や利便性が重視されてやることがなくなったら 今より「ちゃんと暮らしてる」感がなくなっちゃうよ…

 

てか最近まじでお腹壊してトイレに駆け込む率が高くて今もお腹痛いのでもう切り上げます

あとママの北海道のお土産でもらった桃のリキュールが美味しいので。

おやすみなさあい

 

 

棚上げして

 

 

 

〇〇民とか〇〇勢っていう言葉が苦手だ

たぶん、始まりは「地元民」っていう言葉に対するアレルギーで なぜかというとわたしに「地元民」はいないからやろうなあ

奈良県民」はわかるけど「地元民」って…そういう民族はないやんお前らは和民の仲間か?

〇〇勢の方がそれでいうと違和感は少ないんかな それでもなんか ひとくくりに なにかをするのが苦手で

だからと言ってなにってわけではないんやけど。

 

あと ほんま を 本間 と書くのはほんまにみんなやめてほしい、何人かしてるけど

違うんですよねほんまの漢字は 本真 らしいんやけど(本間が気色悪くて調べた)だから違うんですよね本間っていうのは間違い!

あとボーリング!

遊びで地質調査に行くな!といつもいつもつっこみたくなってまう

心が狭いのは重々承知やし 細かいこと言うなって思われるのもわかる、わかるねんわかるけどでもだって違うんやもん!!!!!!

 

あとなんやろな〜

あれやな大学の先生、巣窟のこと「すくつ」って言っててあなたは2ちゃんねらーですか?と思いましたね

 

ちゃうねん別に見下してるわけじゃなくてちゃんとして!って思ってしまうんやけどわたしという人間が人間的に一番ちゃんとしてないので表立って言えないんですよね

 

はい。

 

わたしだって急逝のこと きゅうきょ って読んだりしてましたからね恥ずかしい話

 

 

 

 

 

虫がね めちゃめちゃ入ってくるんですよねうち

なんで?

ドア開けっ放しなんかもってのほか、窓かって神経質に網戸ぴっちり閉めてるのにさ

網戸の網目ってあれ荒いんかこれで大丈夫なんかわからんくないですかやっぱり羽の長さとか含めたらば別に網目より大きいんかしらね虫は。

もう 森山くんと丼屋さんに行った帰り ベポナ虫除けネットと押すだけノーマットを買ってやりましたよ 足が痒いんじゃ!!!

 

今は春ですか?

わたし 今日食後のお散歩中に「初夏の夜は気持ちいいねえだいすき」と言って 森山くんに「初夏wwww 春やろwwww」とか言われたんですけど

五月って聞くと爽やかな新緑の季節、初夏を思い浮かべませんか?

季節の運びとして 春→初夏→梅雨→夏→秋→冬…(一部省略)ではないんですかね

春→梅雨→初夏→夏…?

違う気がする、、、

やっぱり三月四月が春、五月が初夏で六月が梅雨、七月八月が夏で九月が晩夏、十月が初秋で十一月が秋、十二月一月二月が冬…

やと思うんやけどどう?

 

じゃあいま 初夏やん!

だってお昼とか熱いしさあ

お昼の暑さといえば着る服をどうすればよいかわからんくさせて嫌ですね!

でも半袖とか七分袖は体が軽くてよい。

夏と冬なら圧倒的冬派だったのだけれど 小さなカバンにお財布とケータイだけいれて半袖ショートパンツで出かけられる身軽さは本当に愛すべき!という気がするハタチです。

 

丼屋さんの丼、すごく美味しかったな。

おやすみなさあい

 

 

どうしたらいいかわからないことだらけ

 

 

 

わたしはマジのガチで子どもなので 物事や人々の裏の面というのがほんとのほんとに苦手なんですよね。

もちろん主観の話なので わたしに見えてる面が表の面なわけで 裏の面というのは わたしに見えてない面なわけで

例えばわたしには「Aさんっていい子やんね」と言ってるのにほんとは「Aさんていい子ぶってうざい」と思ってたり言ってたりするみたいなことです

例えば「Bくんと全然仲良くないよ」って言いながらBくんと付き合ったりすることです

 

それたちって わたしから見たらもう完全に不自然なことじゃないですか

その人たちはわたしを裏切ってるわけではないのに わたしは勝手に裏切られた気になってる

わたしだって 誰の目から見ても不自然なことをしてるかもしれないのに 他人の不自然はもう気持ち悪くて居心地悪くて吐き気がしてしまうんですよ

それなら、もう、ネタバレなしでお願いします!と土下座したい。

真相をわたしに見えないようにするなら 「実は…」なんて知らせてくれなくてもいい、恐ろしいのですあの時誰が何をそれぞれに考えていたかなんて知りたくもない。

 

それで多分、大人になったらそういう不自然にばかり会うんだろうな

恐ろしいことですよこれは、もう本当に人と喋るたびに吐き気、吐き気の連続で

 

 

 

 

 

 

話が変わるんですけど

自分が絶対にこの先食べないだろうなと思うような異国の食べ物とか この先絶対出会わないだろうなと思うような格好や生活習慣の人とか

そういうのをテレビやなんやで見ると ほんとに不思議な気持ちになりませんか?

途方も無いというか ほうけるような 

いや特に絶対に食べないやろう食べ物を見たときの不思議に寂しい気待ちはなんなんやろう。

名前すら聞いたことのないお魚のフライ、グロテスクな昆虫の煮物、見たことない果物を鉈で割って出て来た実だとかそういう、自分とは本当に無関係なもの。

それは電車から見る知らない人の家のカーテンとか灯りとかと同じ種類のものを水で薄めたみたいな寂しさというかまあ系統で言えばそんな感じ。

 

 

 

 

 

あのね言わないじゃないですか、例えば小さい時に迷子になって寂しかったことを未だに覚えてることとか

例えば倒れた妹が目を覚ました時の嬉しさとかずっと帰りたいって繰り返してたこととか

例えば妹とはほんまに仲が良くてもっと写真とか撮りたかったのにとかそういう、そういうの言わないじゃないですか

だって言ったってもうほんとに意味のない、伝える意味もなくて だから心にしまっておくしかないことってそんなん 言わないじゃないですかどんだけ近くにいる人にだって。

でも心の中の一番どうしよーーーうもない、一番のほんとにやばいところに わたしを左右するやばいところに そういうことたちは居て それはもう厳然とというか、どっしりと揺るぎない事実として いるわけでそういうのが

そのおかげで生理やとか 嫌なことがあったりやとか精神がぐらっとなるとまじで そういうのが出てくるんですけど誰かに言いたいんですけどこういうのは 言えないわけで言葉に出した瞬間に言葉に出せないくらい泣けてきて

だからそういうの そういうのってほんとにどうしたらいいのかな。

どうしたらいいんやろう。もうほんとに。

どうしたらいいのか途方にくれるしかなくてもう、

 

はあ。

 

どんどんどんどん生きてくのが辛くなるなあ〜

 

 

おやすみなさあい