あーあーあー

 

 

 

帰る場所がない。

どこに行っても安心することがない。

ただいま と口にしても 心から思うことがない。

 

枕も ソファも 絨毯も お布団も

慣れるだけで 決してわたしに馴染まない

 

すべてがわたしの外側を 

それは 世界の出来事に留まらず 自分の内側の奔流もわたしとは無関係に ずんずん通過していく。

 

感情。郷愁 虚無 怒り 悲しみ

全部が 今にしかない ので ほんとうに自分が何を考えているか なんて 考えた瞬間に 後ろへ後ろへ 流れていく ので わかりっこない

いつだって自分は、周りだけでなく 自分からも取り残されてい   る

 

やっぱり間違いだったな、と思う決定的な過去がある。

すべてにおいて なくてもよく、あってもよい 何がどうでも、誰がどうでも、いい今において どうこう言えるあれでもないのだが

なにしろただいまを言える場所は 過去にしかないのだから

 

ところで、わたしの宗教は母だ。

母以外の何に、誰に否定をされても拒絶されても自分を変える気はまったくない。それらは体の輪郭の少し外側をつるつる滑り落ちて地面にしか染み込まない。

母だけは違う。世界で唯一の家族だからだし、わたし達を守り続けてきてくれたからだし、わたしより何倍も世界に疲弊しているからだ。

そういうことでしょう宗教って。そういうことだと思う。

 

今日、世界を憎んでも 明日はそれを忘れて眼を覚ます。

今、誰かを欲しても 1時間後には一人で笑う。

すべてが 今一瞬にしかない、だから

今なにかを思うことに 一切の価値も保証もなにもなにもなにもない。

感情なんて重視されるべきではない。なんてことない 0.01秒の瞬きでしかないのだから。

 

なにかを強く思っても そんなことは自分にとって毒にも薬にもならない、ほんとに一切、一切ならない。

右か左か、決めるのは直感だけだ。

 

 

 

ポエトリーでした。

おやすみなさあい

 

 

 

ららら

 

 

 

アメリカはロサンゼルスに行ってきた。旅行で。

思ってた30倍、ホームレスが多かった。

街にはチープな匂いがしてた。

思ってたより黒人と白人の収入格差がありそうだった。

カリフォルニア州が昔、メキシコ領だったから los angelsとかsan Franciscoとか、街の名前がスペイン語なのだということを知った。

アメリカ人はみんな肩の力を抜いて自信をみなぎらせて歩いていると思った。日本人って、背中を見るだけでそれとわかるのんよな。

好意を態度で表すことのできる彼らが羨ましいと思った。

おデブちゃんも全然愛されていて、日本より見た目が重視されない国なんやなと思った。

街中にクスリやってそうな人がゴロゴロいた。

想定していたよりは、中国人に間違えられなかった。

 

感じたことはたくさん。

このタイミングで アメリカに行けてよかったなあ。

価値観は変わらないし 人生に対する意識も変わらないが 自由を より求めたいと思った。

LALALANDのおかげで、ロサンゼルスにいこうと思い立ったので、映画ってすげえ。

 

 

話変わるけど

人は人にまるごと愛されたままそれでも自由でいることってできるのだろうか。

愛は制約。

恋であるうちは自由なのかなと思う。主観だからだ。

無償の愛なんて。他人同士の間にあり得るのか?

どうしたって「裏切られた」と思う気持ちは拭えないだろう。

それを、それを受け止めきれずにわたし達、SNSで発散するけど。

誰かに見られている、ということはそれだけで救いで感情の消化なのだ。誰か が誰であってもならない、不特定多数でないと。

 

アメリカ人はわたしのような異国人にでも笑いかけてくれる。小さな子どもでさえ目を見てにっこりをくれる。

あれは小さなハート飛ばしだと思うのだ。

小さければハートをびしばし飛ばすことができる。小さな愛を数振りまいて、たまに返ってきたら嬉しい、

そんな感じに人々を愛して生きたい。

 

なにもかもに心を痛めるのはしんどい、それはなにもかもに期待をしているからだ。

世界が優しいという期待

世界が善意で溢れているという期待

わたしが愛されるという期待

わたしの大事な人が愛されるという期待

決して期待なんてせずに、小さなハートを飛ばし続けたい。

 

アメリカ人と結婚して永住権獲得し、ロサンゼルスに住みます。

頑張るぞ。

 

 

おやすみなさあい

 

 

 

湿度

 

 

 

音楽を聴きながらお風呂に入るという技を覚えてから、お風呂に入るのが怖くなくなったよ。

 

お風呂といえば

わたしに 自分の性を自覚させるのは いつもどうしてか 胸なんですけど

スポブラじゃないブラジャーを初めてつけた自分の姿を鏡で見たときには、愕然としたな。鏡ごしに自分と目を合わせて困惑して見せたっけな。なんだかブラジャーをつける前の自分を裏切ったような、どこかに置いてきたような気持ちになった。もう戻れないぞ、っとどこにも戻るところなんてないのに思ってそれが取り返しのつかない悲しさとなってわたしの足元をさらった。ぐらり。

今日も たまたま横から自分の身体を見て、胸があって(強がりじゃなく、なくはないんですよね)愕然としてしまった。うわあ、女。

むちむちし過ぎた二の腕も、豊富すぎる皮下脂肪も、内腿の柔らかさも、身体の部位の親しい女性性であるのに、胸を見てわたしはいつも傷つく。

どんなことでも自分の外側に流れていて見て見ぬ振りも関心ないふりも関係ないことにもできるけれど、自分が女性だということからはこの先死ぬまでずっと逃げられないのだと思うと本当に…

中学生までは いや、高校生まではたぶん、わたしは男でも女でもない、人間で、一匹の子どもだった。

それなのに突然、女になった。レースのついた、人の目に触れないはずなのに、華美な装飾のされた、下着のせいで。

あの瞬間からもうわたしはずっと女であることを背負っているのですよ。無性別な子どもには戻れない…

 

しかし

 

それを自覚したときにはそれは恐ろしいことだけれど、言ってみれば強みでもあるわけですよ。

女は強い、にも 女は丈夫だ、にも、さまざまな世の中の「女とは」にわたしも参入できるわけですから

それを伝っていけばどこへでもいける。

どんな大人になりたいか、は遠いが、どんな女になりたいか、は いくぶん近い。

 

なってしまったもんは仕方ないよね。男と女、2つあるうちの女の側に生まれた、その果てに、自分の選択の果てに、女という概念に、相成ったのだ。

人はたぶん…生まれたときの性別に、本当に属しているわけではないのだろうな。

知らんけど。わたしだけかも知らんな、それは。

 

とにかくわたしは決して大きくはないがきちんと持ち重りのする(強がりではない)胸をぶらさげて生きなくてはならない。それを直視して認めてしまったから。

 

でも女やから、起きることになかなか踏ん切りがつかない朝、顔を洗ってお化粧してしまえば、お布団には絶対に戻れないという、その事実が、退路を絶ってくれる。そこは、いい点やと思う。どんだけバイト行きたくなくても、踏ん切りつくやん。よしゃ〜やるか〜という気になるやん。

 

 

ああ外出の必要のないときの雨の良さが染みる…それは今日の昼、美容院でしこたま大雨の音を聴いたから。変わった美容院で、断熱材とか全部剥がされてて、屋根への音がダイレクトに建物全体に響くので、雨が降れば外にいる以上に雨の中にいる気がするのだった…。

そして大雨の中20分かけて帰宅したから…。

 

 

ぜんぶぜんぶ、身をもって経験しないと何事も、わかんないんだよな。

おやすみなさあい

 

 

窓を開けていて寒いよ

 

 

 

 

お風呂で歌を聴いてたらその歌が水色をした歌だったので、割れないシャボン玉がお風呂場に充満しているという想像をしたけどああいうのは初めてだったな、ドラムの音が気持ちよかった

 

電気をつけたまま夜に洗濯物を干すと、部屋が丸見えになるので、電気を消してしたら、テレビの色がピカピカして、海底か海遊館にいるみたいな気持ちになって、そんなに水族館好きじゃないが、久々に行きたいと思ったよ

 

風が乱暴にドアをノックするので、なんとも、風とはデリカシーがないな、とわたしは少し怒っている

 

それにしてもいい夜だ、少し寒いが風が部屋の中まで届く、街の音って実は好きなんだ、ゴォー…と車が遠くで走る音

 

春になろうとしているな、春は本当にどこにでも行きたくなるしどこの場所も来られたがってるフシあるよな、でも冬もわたしはどこにでも行きたいから、やっぱり向こうの、場所側の、気構えの問題よな、春のおでかけってのは

 

ベリーショートの女の子は、首が長く見えるけど、首が長いからベリーショートにするのか、ベリーショートだから首が長く見えるのか、わからない、1つわかるのは1つわかるのは、首の後ろに大きなリボンをつけたら素晴らしく可愛いってこと!

 

美しいというのは厄介だよな、決まりがないし馬鹿みたいにあやふやな概念だ、みんなが目指すのに目指す途中が一番美しかったりするし生まれたままそのままで美しい場合もある

 

アンティークの指輪が欲しい、けれどバイト先の人によれば古着には塩を振るべきだし、指輪はやばいらしい、人の念というのはたしかにあるが、、、思いもよらなかったなそんなことは

 

親戚の、田舎に一人旅に行こうと思っている、妹とはとこブラザーズと遊び走り回ったあの田んぼまみれの………今はもうない思い出がどこかしこに散らばって落ちているあの場所に

 

パワフルな女性はいいよな、なんでもガハハと笑えるような大家族のオカン、20分も一緒にいられないけど(酸素が全部持ってかれる気がするから)、それでも元気が出るよな喋るとな、あのパワーの源はなんなんだろうね

 

弱さを弱さのまま知らない人にまで見せてしまえる人は得だ…わたしもある意味では見せているから得なのかな

 

おやすみ

 

いくつか話をしよう

 

 

 

 

そうそう 昨日、10年ぶりくらいに水の中で目を開けたよ。それをするのは結構な勇気がいるし、なんてったって空気中に戻った時に目がぼやけんだよな。あの丸い虹はゴーグルをしていたというのに必ず現れるプールの更衣室の照明を見たとき以来だ…。小学生の私は水曜日のプールが好きで、水曜日が英会話に乗っ取られてしまって少し悲しかったけれど、バタフライを習うコーチが苦手で、次からバタフライを習いましょうという週に乗っ取られたので、潔くプールを辞めたんだよ。幼馴染と一緒に通った水泳教室。水泳帽を突き破る、男の子の硬くて短い毛。

 

ポタージュスープというのはいいよな。そもそもスープというのが、いいもんな。じゃがいもも玉ねぎも南瓜も全部ポタージュにしてしまえばいいよ。冷たくてもあったかくてもどっちでもその日の気分で決めてくれていいよ。あの極端に丸い形の、不細工なスープスプーンがまたいいんだよな。頼もしい形だよあれは、この世のどんな液体でも俺が掬ってやるよ、そういう気概を感じるね。優しいよ食器っていうのは全部優しさの塊だ、悲しいくらい痛いくらい使う人間のために設計されてつくられてるんやもんな、切実さがあるよ、健気だ。

 

下宿をしてるんだけども、大学生ばかりが住む街に。大学に通うために下宿しているわけではないんやけど、たまたま大学に近いところに住むのが便利だから、下宿してるわけだ。それで、そこから離れてそこを見ると、なんだかそこが奇妙な世界のように思えてくるんだよな。同じ共同体に所属する人たちがご近所さんなんやぜ。みんなそこらへんでバイトしてさ、遊び代を稼ぐ。チャリンコを駆使してそこらへんを走り回り、お酒を飲める場所を探して美味しい啜りものを啜る(啜りものっていうのは、ラーメンのこと)。世界。彼らの世界。いま、帰りたいと思えるのは、どうしてだかそこだ。奇妙な世界。みんな我が物顔で走り回るくせに四年でいなくなる。ああ愛しきゲロまみれの学生通り。

 

トマト缶ってのはいいよな。トマトの水煮缶な。あれはなんにでもなれるという心強さがあるよな。ちいちゃく萎んでしまったトマトもいい味だしてるよな。ヘタついてるやつな。あれはいいよ〜あの液体の中にトマトは溶け出しててさ、本体は萎んでるのあれウケるよな〜。愛おしさすら感じるね。わたしもお水から煮てもらえば、液体と個体と、どっちでもいい感じになれるんかしらね。わたしがお水、ひいてはお湯に溶ける溶ける溶ける…わたしは萎む。溶けるものの内容にもよるわな。

 

文庫本には世界があるのに、どうしてみんな読まないんだろうか。1000円弱出せば世界が買えるというのに。みんな文字を使うくせにどうして数百ページぽっちの文章を読めないんだろうか。みんな先のことを見越して行動することができるのにどうして文章を頭の中で映像に組み替えられないんだろうか。どうしてそれをする時間を無駄だと思ってしまうんだろうか。ポルノも読書も娯楽か。悲しいよわたしは。出張ついでにデリヘルを呼ぶサラリーマンが、文学部をなくそうとする理系が、悲しい。なにもかも愛のためにあれよ。クソ。

 

おやすみなさあい

 

 

 

すべては想像力だ

 

 

 

 

 

満天の空に君の声が響いてもいいような綺麗な夜〜♫

 

わたしの 美しいな〜とずっと思ってる RADWIMPSの歌の 一番はじめのワンフレーズ。

星の見えない都会では、こんな歌や文章がないと満天の星空は見えない

逆に言うと、星の見えない都会でも 夢の見れない都会でも 歌や物語があれば 満天の星空も、大きな夢も 見ることができる

 

すべては想像力がないと始まらない

人と愛し合うことも 夢を見ることも 何をするにも想像力がないとお話にならない

逆に言うと、想像力さえあればなんにだってなれるし なんだってできる!

 

目を開けたまま夢を見よう

それができるのは人間だけやねんから

しかもそれで笑顔にだってなれるんやから

無から幸せをつくりだすことができるのってかなりすごいと思うねんな〜

 

世界なんて 自分の目に見える範囲にとどまる

世界イコール地球全体じゃない

みんなイコール全人類じゃない

どれだけ想像力を張り巡らせられるかが結果的にみんなの幸せに繋がる

 

目を開けたまま夢を見よう

地に足つけたままなんにだってなろう

羽を生やせば空を飛ぼう

馬になれば野を駆けよう

引き金さえ引けば 誰かに背中を押してもらえれば どこにだっていける

コツを掴めば一人でだってなんにでもなれる

 

すべては想像力だ

エンターテイメントこそ 幸せの権化だ 人を笑顔にするためだけに生きて死ぬ人がいるという事実。

 

以上、グレイテストショーマンを観た感想でした。

おやすみなさあい

 

 

shit...

 

 

 

 

ツイッターで めちゃくちゃにいい文章を見つけてしまって萎えた

なんだろうな、なんなんやろうめちゃくちゃいいんだよ

アタシの本垢のふぁぼ欄から見つけて欲しい

でもねきっと…その良さは…

眉毛を濃く描ける奴にはわからないだろうな

あと、肩を出しまくる奴にはわからないだろうな

あと…あと……

なんてこんなのは差別でしかないんだけど

きっと写真撮るときアロハの手の形にする人との間にも共通点はある。

 

 

なんだか今日洗濯物を干していてさ〜

「〇〇な妙子さん」という題名の小説を書こうと思い立ったんです

ちょうど多分ブラジャーを干しているときに…(こういうことは言うべきではない)

でも その 〇〇の部分を 完全に忘れてしまって

その小説は次元の狭間に吸い込まれて消えてしまいました………

 

悲しい

 

こういうことは多々あって、寝る前に あ、明日起きたらこういう小説を書こう!と思っても一億パーセント、起きたら忘れてる。

それやのに 完全に 完全な自信でもって 明日の自分が覚えてると 錯覚してしまうそれは毎回のこと………

どうして学ばないのか…

 

 

そうそう 今日なんか五分くらいのエクササイズのアプリをとって 五分くらいのエクササイズをしたんやけど

五分くらいしかエクササイズしてないのに 太ももが歩くと、わなわなすんだよな

なんだよこれ

むかつく

 

 

太っていることを魅力にしている人はこの世の中、一定数いるが

太っているということは 褒められたことではない…

でも 太っていても自分の存在に自信を持っている人は 可愛いし モテる

自分への肯定感が やっぱ 大事なんだろうな 大事マングローブ

 

 

 

その…未来図とかに 出てくる 空中に映像映せるやつ あれ憧れるね。

いいな〜あれいいな でも映す対象がなかったら映せへんやろうから実現は難しそうやな〜

でもあの〜 電子チップみたいなん郵送されてきて スイッチ押したら ボスのホログラムが現れて 司令とか言ってくるの、あれ憧れるな〜

ほんで 「数秒後に爆発します」とか言ってさ(笑)

慌てて放るっていう、これは完全にミスターインクレディブルの影響。

 

 

 

髪の毛とか 歯とか 気持ち悪いよ

リアルな描写って苦手なんだよな〜

村上龍の小説とか まじで吐き気するもんな

腐った果物ってさ〜ぐじゅぐじゅして嫌やのにそれを詳細に描写するって気が狂ってんのかと思うよな。

気が狂ってるから小説なんか書けるんかも知らんけどさ〜

 

 

 

なんかめちゃくちゃ雨降ってね?

うげ〜洗濯物外に置きっぱだよ〜

友達の助言で、夜通し洗濯物を外に置くことを始めたんです

だから 深夜0時でも 洗濯物が外にある

 

洗濯物って生活感の最たるものですよね

でもさっき 自分の首筋を見て(もうあったかいので半袖のだぼだぼのTシャツを着ている)生活感のあるうなじだな〜と思いました

シワとか ではなく どうしてだか 生活感、と確固たる意志で、思いましたねあれはなんでだ

 

あの〜、結婚とかしてない、する予定もない男女の 同棲する仮住まいのあのまったく清潔感のない すげー、人の匂いしそうな部屋。

いいな〜

全然、入りたくはないけど 写真とかで見ると クソ情緒あるよね〜

 

 

クソ情緒。

 

 

使用済みティッシュと天使ぐらい対極にありそうな言葉の組み合わせやな

 

「天使の使用済みティッシュ

ってなんならちょっと神聖な感じする

 

 

「使用済みティッシュの天使」

にしたら なんか 臭そう

 

 

 

 

 

………

 

 

 

嫌な気持ちになりました。

どうしてくれるんですか。酷いな。

 

ピーターパン 迎えにきてくれ

なんなら 窓の鍵開けとくし

雨やから タオルも用意しとくし

飛ぶとき寒くないように 裏起毛のパーカー着て待っとくわ

 

おやすみなさあい