最近ブログも私生活もなんかネガティヴに。
なってたんですけどすごく
こんなネガティヴだとは思わなかった自分。
沈丁花の盛りですね。
すごくいい匂いが町中に、しております。
姿は ちゃんと見たことないんですけどわたし。でも母が「もうすぐ沈丁花やね〜、あの匂い大好き」と言っていたので この匂いかな〜と思って それということにしています。
見守られている安心感というのは本当に心地よいですね。
自分たちが はしゃいでいるのを 見て笑顔で、時にクスッとして 一緒に笑ってたまにはしゃいでしてくれる人たち。
それが心地よいことを わたしずっと忘れてました。
大学生になって大好きな先輩が何人か出来てから思い出しました。
わたしと妹のはしゃぐのを見守ってくれた周りの大人たち。そういうの忘れていたよな〜
4回生って 2つしか歳は変わらないのに 大人ですよね〜。
うんと 自分たちよりものを知っていて 経験もたくさんあって 懐も深いような そんな気がします。
先輩というのは いつまでも先輩ですよね。
年の差が縮まらないし。当たり前ポエムやな。
卒業ですって、今週の日曜で、もう、卒業ライブですって。
びっくりするよな〜
魅力を獲得するのってすごく難しいですよね。
なんかね、オーラめいたもののあるというか
いるだけで存在感のある人になるのは。
小ささであったり大きさであったり 高さ低さ おしゃれさだったり顔の綺麗さだったり
人それぞれセールスポイントとか目立つ力となるものは違うわけですけど
ただ 大きくても ただ 顔が綺麗でも ピカピカ、しんしん爛々と発する 魅力って手に入らないと思うんですよ。
やっぱり 存在することへの自信、確信、周囲からの容認が1つの要素として大事かなってわたし思います。
そういう、ピカピカの魅力のある人が ね、4回生の先輩には何人もいて
やっぱり舞台に立たはるからかなあ、と。
舞台に立つ4人5人6人のうちの、1人として確実に存在してきたことが その人の魅力になるんやと思う。
舞台に立って 俺はここや!私はここや!という気概のない人は(わたしも含めて)かっこ悪いですからね〜、、はい。
なんの話してるんかわからんくなってきた。
まあ、あれですよ
そんなピカピカ爛々しんしんな絶対的先輩たちが卒業しちゃったら 寂しすぎるなあって話で。
まだ全然実感がわかないから 寂しさにもリアリティがなくて、あれなんですけど
恐ろしいです日曜日。卒業の儀式が行われるわけですよ
去年は前日練習の時点で泣いていたのになあ
今年はほんとに実感がわかないや〜
存在することに自信のある人は、すごく強いよ、ぜったい。
母も、昔の(大嫌いな)祖母も、背筋をしゃんと伸ばして 存在することに自信を持って、毅然とした態度で存在しはる、しはってたんですよ外出の際。
ものすごく目立つんですよね、人がたくさんいたってすぐに見つけられる。
別に振り返られるほど異彩を放つわけじゃないんですけど、ただ、目立つんです。紛れない、馴染まない人たち。悪目立ちもたまにしてしまうんですけど。
順当に行けばわたしもそうなるはずやのになあと思いつつ…
女の人も 男の人も
女であること 男であること 捨てたら終わりやと思うんですがどうでしょうか。
別にあれですよ女たるもの!みたいなジェンダー論ではなくて。
突き詰めれば 性別だって自分らしさでもあるわけで 女でなければ自分ではありえない私が今女として、生きているわけですよ、ね?
だから、うん
自分らしく 自分として いられなきゃ終わりですよ。
それは 若い頃には 比較的簡単にできて
年を取るほどむつかしいねんやろな〜。
でも 人としての味って 大人になんなきゃ しゅんでないわけで
濃い人生の濃い味がしっかりしゅんだ大人になりてえな〜
先輩の卒業嫌やの話から飛躍しまくりましたね。
寝ましょうね。
おやすみなさあい