そうなんよね、なんでわたしが『君の名前で僕を呼んで』をめちゃくちゃいいと思ったかというと「自分と相手の同一化」がテーマやからですね。
そしてそれがたぶん男女の恋愛より男同士、女同士の恋愛の方が叶えられうるんやないかと思ったからなんですよね。
わたしは、もうめちゃくちゃ、相手と自分を同化させたくて境目を、もうゼロにしたくて密着して1つになりたくて、そういう恋愛をしたくて、でもまあ……叶わないわけで。
「人生はかたわれ探し」っていうのも、さんざっぱら好きな言葉やと言ってきたけど、やっぱり自分と相手を同一化してるわけで、ぴったりかけてるところと余分なところが重なり合う相手って、二人で1つってわけやから、そう、そういうことで……
だからそれがそもそも恋愛なのか?っていうのも大きなテーマなんですよ。
そして友情とはなんだ、という話にもなるわけですよ。
満ち足りるには一緒にいて完結しないといけなくて、あなたさえいれば何もいらないわ、世界の他の要素なんて余計で、なにも付け足す必要はない、そんな状態が二人で1つの究極の形でしょ?
で、まあわたしはそれを他人と達成したいんですけれどもなかなかむつかしくてそれはまあよくて、
そんな状態になるにはまず友情が必要でしょ、何にとってもどんな関係においても友情は必要じゃないですか。それが先輩後輩の友情でも上司部下でも親子でも、多少なりとも友情がないと居心地のいい場所をその人と築けはしないわけで
友情を築くには同じような世界で、少なくとも同じ世界線にいなくてはいけなくて、だから、多少なりとも似てるところがないと友情は生まれないと思う。
普通の友達と恋人との違いはなんだろうと常々考える。
一緒にいて居心地がいいならば同性の友達と常にぴったり一緒にいればよいと思う。
それをせずに恋人とずっと一緒にいたいと思うならそれは、友達とのそれより大きな友情が恋人とはあるのだろうと思う。
あ、ここで言ってるのは
「ツレと嫁とガキで俺の世界は回ってる」みたいな人のことではない。そういう人は全部大事なんだろうし、嫁のことも「女はわからんなあ」とか思ってるやろうから。男女の別がはっきりしてるとでも言うのかなあ。女を守る!みたいな感じやん。
まあそれで、恋人って言っても友情ありきやねんから、その相手は別に「恋人」って定義する必要はないのではないかという話で、
二人で1つ、欠けたところなしのまん丸になれるならそのまん丸に名前は要らないはず。
そういう定義が必要になるのはだから、二人以外の他人が常に存在するからですよね…。
でも恋人というラベルに縛られて関係が変わってしまうのは本当に悲しいと思う。
女扱いされたくない んではなくて 友情の元一緒にいられたらと思う……が問題は性欲である。
男女が一緒いて、ときどき「あ、あの二人ヤったな」とわかる場合があるだろう。そういうことを経てしまうと、友達からは違った何かに進化してしまうのだ……でも、
根本にあるのはやっぱり友情なのだから、友達から何かに進化する必要はあるのか?
そもそもだからやっぱりラベルが悪いという話に戻るのだ、二人きりの星に住めたならそんなことを気にせずに生きられるのに……
ずっと一緒にいたいとか
この人しかいらないとか
この人だから好きになったのだとか……
そういう大切な熱い1つ1つの気持ちの結果が、恋人というたった二文字きりの単語で表されてしまっていいものか??
『君の名前で僕を呼んで』を観てない人はぜひ観て欲しい。
二人は……息の詰まるほどの熱い感情で結びついている。
そうだ、結びついているのだ。結びついてひかれあっている。強い力で、二人きりで。ひかれあいすぎてガツンガツンとぶつかるほどだ。
こういう関係を誰かと築けたなら万々歳だと思うだろう。人生のうちその人と過ごせた瞬間が1ヶ月でもあったなら生きていけると思うだろう。
……あー、もっかいみよ。
おつかれさまあ