いくつか話をしよう

 

 

 

 

そうそう 昨日、10年ぶりくらいに水の中で目を開けたよ。それをするのは結構な勇気がいるし、なんてったって空気中に戻った時に目がぼやけんだよな。あの丸い虹はゴーグルをしていたというのに必ず現れるプールの更衣室の照明を見たとき以来だ…。小学生の私は水曜日のプールが好きで、水曜日が英会話に乗っ取られてしまって少し悲しかったけれど、バタフライを習うコーチが苦手で、次からバタフライを習いましょうという週に乗っ取られたので、潔くプールを辞めたんだよ。幼馴染と一緒に通った水泳教室。水泳帽を突き破る、男の子の硬くて短い毛。

 

ポタージュスープというのはいいよな。そもそもスープというのが、いいもんな。じゃがいもも玉ねぎも南瓜も全部ポタージュにしてしまえばいいよ。冷たくてもあったかくてもどっちでもその日の気分で決めてくれていいよ。あの極端に丸い形の、不細工なスープスプーンがまたいいんだよな。頼もしい形だよあれは、この世のどんな液体でも俺が掬ってやるよ、そういう気概を感じるね。優しいよ食器っていうのは全部優しさの塊だ、悲しいくらい痛いくらい使う人間のために設計されてつくられてるんやもんな、切実さがあるよ、健気だ。

 

下宿をしてるんだけども、大学生ばかりが住む街に。大学に通うために下宿しているわけではないんやけど、たまたま大学に近いところに住むのが便利だから、下宿してるわけだ。それで、そこから離れてそこを見ると、なんだかそこが奇妙な世界のように思えてくるんだよな。同じ共同体に所属する人たちがご近所さんなんやぜ。みんなそこらへんでバイトしてさ、遊び代を稼ぐ。チャリンコを駆使してそこらへんを走り回り、お酒を飲める場所を探して美味しい啜りものを啜る(啜りものっていうのは、ラーメンのこと)。世界。彼らの世界。いま、帰りたいと思えるのは、どうしてだかそこだ。奇妙な世界。みんな我が物顔で走り回るくせに四年でいなくなる。ああ愛しきゲロまみれの学生通り。

 

トマト缶ってのはいいよな。トマトの水煮缶な。あれはなんにでもなれるという心強さがあるよな。ちいちゃく萎んでしまったトマトもいい味だしてるよな。ヘタついてるやつな。あれはいいよ〜あの液体の中にトマトは溶け出しててさ、本体は萎んでるのあれウケるよな〜。愛おしさすら感じるね。わたしもお水から煮てもらえば、液体と個体と、どっちでもいい感じになれるんかしらね。わたしがお水、ひいてはお湯に溶ける溶ける溶ける…わたしは萎む。溶けるものの内容にもよるわな。

 

文庫本には世界があるのに、どうしてみんな読まないんだろうか。1000円弱出せば世界が買えるというのに。みんな文字を使うくせにどうして数百ページぽっちの文章を読めないんだろうか。みんな先のことを見越して行動することができるのにどうして文章を頭の中で映像に組み替えられないんだろうか。どうしてそれをする時間を無駄だと思ってしまうんだろうか。ポルノも読書も娯楽か。悲しいよわたしは。出張ついでにデリヘルを呼ぶサラリーマンが、文学部をなくそうとする理系が、悲しい。なにもかも愛のためにあれよ。クソ。

 

おやすみなさあい