じてんしゃのことじでんしゃていう人おる

 

 

 

春は曙、夏は夜

いやいやわたしは

春は夜、夏も夜

やと思うね。

そもそも曙、寝てるしね。

 

女というのは不便なもんで、夜に一人では歩けない、どんな目にあっても、そんな夜中に一人で人気ないとこ歩いてたらしゃあないやろってなるからね。

いいよな〜男は。

ちょっと前まで、女の一人旅と言えば 自殺する場所を探してると思われたらしいですよ。前って言っても10年前くらいじゃないかな。ここ最近なんですよね、女性も一人で生きていいよって世間が提示し出したのは。

わたしも 深夜3時くらいに 徘徊したいんやけどな〜。

 

桜ってよく考えたらすごいですよね。

今日ねドライブしたんですけど そこここに桜並木があって、ほぼ100%の確率でその下に人々が集ってんですよ。ブルーシートが敷かれ、据え付けられた椅子には空きがなく。

みんな楽しそうにお酒飲んだりしてんでしょーね。桜以外にそんな風に、人間を、させてしまうものはありますか?

ないですよね〜、花火は夜やしね〜。浜辺でお酒飲んだらあかんしね〜。

魔力があるよねやっぱりね〜。

平和やね〜と思うよね〜お花見とか、言葉自体が、もう、平和やもんね〜。

みんなきっと殺伐とした日常を送ってて、でもその中で、一旦全部忘れましょうよと桜の下に集うんでしょうね〜。

いいんじゃないですかそういうの。

 

 

話変わるけど「くっきーの大ファン」って言ったら いいと思ってるやろみんな。な。

 

 

 

お前らなあ、わかりやすいもんだけに流されんなよ。

そりゃあわかりやすいもんは簡単に吸収できるし、自分のもののように使えてしまえるから、お手軽でええやろうけどさあ

そんなもんに全部を乗っ取られんなよ。

ちゃんと脳みそ使え、クソ。

いいと思うものだけを摂取しろよ。

ちゃんと繊維質のあるものを噛み砕いて飲み下せよ。

馬鹿みたいな言葉遣いをすんなや。

好きなものだけを見て、自分のものにして、使え。ボケカスが。

 

あとさあ、CMとかネット広告とかでさあ、やったら巨乳の女の絵ばっかり 目にするけどさあ、そんなもんに、そんなもんが需要のある世の中はクソやろ。

なんやねん、悔しくないんか?

「巨乳女キャラならなんでもええんやろ〜ほらぼいんぼいん揺らすぜ〜」って、ソシャゲの、広告うつ人は、思ってんねんで。

いやエロゲとかやったらいいと思うし、出会い系サイトとかやったら納得するよ。そういうのに惹かれるのは当たり前やろうし。そういう目的で利用するものやし。

でも違うやん、違うやんソシャゲはエロゲじゃないやん。

そやのにそれを売り込むものが 巨乳女の絵って!!!おかしくない?

言ってること伝わってるかなあ…

だから…その………

「媚び顔の巨乳女が出てくるゲームやったらお前らやるんやろ?ちょろいなあ」って思われてることが 悔しくないん?

って……まあ、こっちには何の損もないからいいねんけど…………

 

そういえば今日春キャベツのパスタを作って食べて、べつにお腹すいてなかったし美味しくもなかったけど、エリンギもウインナーも入って、春を感じられて嬉しかったよ🤗

おやつにはジェラートを屋外で食べて、春を感じたよ☺️

 

愛されたい〜、楽しませるので。

おやすみなさあい

 

 

シタシキナカニモレイギアリ!

 

 

 

思ったんだが

わたしは人生で一番辛いときに 人間にとても助けてもらいたかったのに 彼らは一切 見向きもしてくれなかったので

人間を 好きになれるわけがないんだよな。

 

でもそれは 自分に魅力がない というただそのシンプルな理由の元の ことであるから 当たり前なわけで、つまり、逆恨みをしてるに過ぎないんよな。

 

で、まあ、見向き、して欲しかった わけで、わたしはおこがましいながら。

その気持ちがずっとあるねんな。常に心の中では手を伸ばし続けている。人間に。

でも それが 掴まれるはずがないことを知っている。

だから、特定の「誰か」に向かって 手を伸ばすことができずに、ずっと 「人間」に、顔の見えない不特定多数に、手を伸ばし続ける。

 

人生で一番辛かった時期に そういう決定的な感じを、得たわけやから きっとこの先の人生もずっとそうなんやろうな。だってわからんもんな。特定の誰かに助けてもらうのなんて、どうやってしたらいいかわからんもんな。

 

でもさ、なんでも慣れるもんでさ 一人行動も訓練したら、慣れたし、外国に半年も住めばその土地の言葉わかるようになるらしいしさ、だから、誰かと一緒にいることにも もしかしたら 訓練したら慣れんのかもしんねーな。

知らんけど。

 

 

 

 

話変わるけど 人々よ、

他人の出す音とか 気にならへん方?

わたしは もうほんまに めちゃくちゃ気になる人で 特に嫌いな音が、鼻をすするガーって音と、指を指で弾く音、紙と紙が擦れる音。

いま、調べたらそういうの、ミソフォニアっていうんやってね。

ある特定の音に生理的嫌悪を持って、精神的・身体的に異常が出る人のことを ミソフォニア症候群?っていうらしい。

わたしそれや。紙と紙が擦れる音を聞いたらほんまに耳を塞がずにおられへんし足がムズムズして吐きそうになる、聞き続けると脂汗が出て発狂しそうになる。

特に無理なのが消しゴムと紙の擦れる音。そんなに仲良くない友達の消しゴムでも、ちょっとごめんと言って中身をにゅっと出す。

それもやし、鼻をすする人も、指を指で弾く人も、自分ではほんまになんとも思わへんっていうのが、わたし、ある程度大きく育つまでわかんなかったんですよね。

なんで、あんなに、定期的に、鼻を ガーッとすするんやろう。ご飯食べてるときとか わたし 気持ち悪くなりますもん。でも、本人も本人の周りの人も、なんとも思わへんのんやんなあ。

ぞっとするね。人々の得体の知れなさに。

宇宙人ってなにも、👽こういうのとか👾こういうのだけやないよね。

意味上の宇宙人って、わたしにとっては自分と家族以外の全人類だ。

初めて1年半も親密に 生活を共にした他人とも、まったくと言っていいほど 通じ合えなかったしな。ずっと宇宙人やったもんな。

わたしもきっとみんなにとって宇宙人。

 

 

コズミックモンスター!

 

おやすみなさあい

 

 

とくしまひとりたび

 

 

 

 

 

徳島へ行ってきました。

難波から2000円で行けるってやばいなと思って。

特急で和歌山へ、和歌山からはフェリーで。

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なんか 切符の持ち方が、かっこよくないな。

 

ほいでまあ、初の一泊二日ひとり旅。

前日に決めて、次の日の朝から行くっていう弾丸でしたが、楽しくもないし楽しくなくもなかったです。

楽しっ!と思う瞬間はありましたが 総合的な評価は5のうち2.8くらいです。

だって特になにもしてないんです、特になにもないから。徳島って。

しかも 交通インフラがクソ。信号の接続が悪すぎて、赤信号で止まりまくる。電車が通ってないので汽車やし、駅が少ない。バスも少ない。

それが良さでもあるのやろうけど。

 

それでもまあ、渦潮を見たり、 「鳴ちゅるうどん」なる、ゆるゆるのおうどんを食べたり、徳島ラーメンを食べたり、したので 祖谷渓以外の徳島観光は コンプリートしたんではないかと思うんですが

たらいうどんは そういえば今回 食べてないんですよね〜、でも、たらいうどんて、一人で食べるもんではないからなあ。

 

あ、そうそうさっき 渦潮を見たと言ったんですが

あれは嘘です。

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なんかずっとこんな感じで 潮の流れが荒く、たまに渦潮のタマゴみたいなゆるっと巻いてる海流があっただけなので、渦潮を見に行きはしましたが、見たわけではありませんでした。

そのために 鳴門公園というところまで、往復3時間かけて、行ったんですが

渦潮 べつに 特に見たいわけではなかったので、ただただ 風吹きすさぶ 歩道を歩きに行っただけ、みたいになったんですけど、残念やったとか無駄足やったとか何のためにとかはまったく思わなかったのでよかったです。

でもこれかっこいいやん鳴門海峡大橋、鳴門公園にあるねんけど好きなんですよわたしこれ、明石海峡大橋も好きなんやけど。

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ほいでこの道路ちょっとかっこいいやん車のCMみたいで

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この道路を見ながら、難波への帰りのバスをとりました。

 

言っても、行きしなのフェリーがピークやったかな。

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あと、ビジホでの晩酌も。

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いやちがうんですよ、わたしの下調べがゼロやったから、徳島ディスみたいになってもうてるけど、本来別にがっつり観光するつもりはなかったんですよ。

何しに行ったかって 心の隙間を埋めになんです、つまり、郷愁。

過去に 会いに行ったんですけど

夏休みの度訪れた親戚の家の近くを歩いてみたら ひょっとして あるんじゃないかなと 転がってるんじゃないかなと思って。

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でも、でもやっぱり過去はもう、どこにもなくて 道は舗装し直され、家の目印の岩はなぜかコンクリで補強され、ため池は埋め立てられ、なにも、もうなくて。わたしの いた場所ではもはやなくて。

近くにバス停も駅もなく、徒歩でひたすら、頑張って行ったんやけど、なにもせずにまた、引き返した。

 

何をしてるんやろうという無力感はなかった。

だって「もう何もない」っていうことを知れただけで収穫やんと思ってさ、もう、過去なんてどこにもない。ということが。

それでまたひたすら歩いて、バスに乗った。

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夕方の町は、なんていうか 見慣れないのに親しみ深い。それがどこであっても永住したくなるような 胸が つんとなるような 春霞(あるいはPM2.5)の中、今なら世界に馴染めるような 感じがする。

本当のところは帰る場所などどこにもなく、馴染める町などどこにもなく、会いたい人ももういない、そんな自分でもなんだか、帰結したような 気持ちにさせる。夕方。

 

 

 

桜というのは 咲いた時毎年毎年感じ方が違うが、今年は盛んに 感動しようとしてみたものの

まったくなんとも思わない気が、していた、が、なんとなく 見つけると嬉しい、とまだ思えて、それが嬉しい。

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参った春だ。ガスの蔓延。

 

 

帰りはバスでして 足が もう浮腫むんですよね最近、ほんとに、それでまあ、昔は、バスね、サービスエリアに止まってくれたんですよね、それで、妹と、当時禁止されてたカップラーメンを、自動販売機で買って半分こした、という大切な思い出、思い出があるというのに、今日は止まってくれなくて、サービスエリアに、それでまた、わたしには過去しかないのに過去はもうどこにもないなって、思って、道理で一人でラーメン食べれるわけだ、地元密着型定食屋へ入れるわけだ、ビジホで晩酌できるわけだ、宿泊手続きできるものだ、と、思ったね。

大人になることを 当社比で物を知ることとするなら、わたしは大人になった。

 

どこへでもいかれるぜ。

逆に言えば 止まってはいられない、だってここには何もないのだから。どこかになにか、あるかもしれない。

 

 

おやすみなさあい

 

 

 

おえぇ

 

 

 

 

苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい

おえっ

なんや この世は 地獄か。そうか、そもそも、大切な人を失うという運命が用意されている時点で、地獄か。

 

ひとりぼっちは辛いよ。

誰も一緒にいてくれないわけではないのに。

寂しいんじゃなくて辛いよ。

だって わたしがひとりぼっちなのは みんなが群れてるからなんだよ。

みんなが ふつうに群れることのできるみんなが、ひとりぼっちのわたしを 時に敵視するから

みんなというのは、世界のことなんだけども

みんな なにかに なにかの集団に所属して その中で 笑って それを 自慢するでしょ?

それが もう ステイタスやんか。

集団に所属しているということ、自分を受け入れてくれるところがあるということ。

その事実を 知らしめるために みんな SNSを駆使して

それを 見るだけのわたしは 苦しい苦しいよほんとに、見なきゃいいんやろうけど、根っこが寂しがりやから、世界に依存してるから、やっていけなくてさ。

最近 盛んに 一人で何でもできるアピールを してるわたしですが

今日ね、気づいたんですよ

あったかくなって 外に溢れてきた 隣の隣の部屋の馬鹿どもに 「静かにお願いします」(微妙に言葉のセレクト間違えた)って、言った時に。

彼らは 水を打ったように むっつり黙って それから 代表者が「わかりました」って言って

多対一、完全に、わたし、肉弾戦なら劣勢どころか、袋叩きじゃないですか。

常識を盾に、なんとか、静かにさせることに、成功したけども

そのことが 浮き彫りにしたことは わたしが ひとりぼっちだということだったので

もう なんか 泣けてきて 泣きまくった わけで 明日ほんまは 7時前に起きて ひとり旅にいこうと思ってて もう ホテルもとってるんやけど そやのに もう 一人で暗闇の中で 丸まって泣いてるの 辛すぎてさ

起きだして テレビつけて コーヒー飲んで

それでも まだ ひとりぼっちで苦しい。

 

一人が好きと言って 盛んに そう 言ってるけど 大嘘で ほんまは 一人なんて 耐えられない人間で そやけど 誰かといることがまじに無理なので 無理くり 一人が好きなふりをしてることに どうして どうしてどうしてクソ馬鹿大学生のガキに気付かされないといけないのか、ねえ、大人よ、ガキよ、わたしはこんなに苦しんででも生きてるのに、どうして、わたしを否定するんだ。

全力で攻撃して、上から押しつぶしてくる世界に、なんとかかんとか歯向かって ご機嫌なふりをして 散歩したり カモを眺めたり アンパンマンのマーチ歌いながら、歩いたり、してるのに、なんとか、なんとかかんとか、頑張ってるのに

打ちのめしてしかこうへんやん。

そんなに、だめか、わたしが生きるのは。

健やかに生きたいし、でも、スタート地点から、不幸やのに、マイナスやのに、だから、べつに幸せになることなんか望んでないのに、幸せになりたいなんて思ってないよほんまやよほんまに、思ってないよそんなおこがましいことは…

頑張ってるねんて。ほんまに。それをさ、理解して欲しいなんて思わへんよ。でも、平手打ちとか グーパンチとか しんといて言葉で態度で表情で。お願い。苦しいねんただでさえ

 

一人でいるの、好きなところもあるねんで。好きに動けるし、動かへんこともできるし、でも、でも、それだけやん。

寂しい。

 

例えば 明日 一人で旅行に行くことを やめたとしても 家の中で 街の中で ひとりぼっちなのは変わらないねんから どうせなら 時間を潰すために いこうと思うのですよ。

 

ご機嫌でいたいよ。不幸でもご機嫌でいることはできるやん。一人でいても完結することはできるやん。

苦しい。常に押しつぶしてくる。嫌がらせだ。

苦しい

 

クソ 全人類、透明人間になれ。声もサイレントね。

 

 

サイクル

 

 

 

わたしの母は薬指にいつも指輪をつけているのであるが、それの出所をわたしは問うことができない。

けれども たぶん 男の人の関係するものではないだろうなあと思う。想像することは、できる。

 

わたしの母はお風呂に入るときでも、タグネックレスを外さない。それの出所もわたしは問うことができない、もちろん。

そちらについては 男の人が関係するものではない、と残念ながら(残念ながら?)言い切れない。

 

わたしは物を大事にすることが苦手なので、そんな母が羨ましい。なにしろ母が宗教なのであるし。

 

わたしも欲しい、肌身離さず持ち歩きたいと思える何か。

手始めに指輪、と思うが、どこで手に入れればよいだろうか。

検索してみても(梅田 スペース 指輪)ペアリングしかヒットしない。

「梅田で、学生でも買える、安いカップルリングの売っている店はありますか。」

 

馬鹿、そういうのはさ

そういうのは、二人で指輪の売ってそうなところを巡ってさ

ショーケース越しに矯めつ眇めつして値段を見てうへぇって顔をしてさ

そんで 妥協を重ねて 重ねて 重ねて

手の届く範囲で 欲しいものを 二人でさ 選ぶもんなんだぜ。

 

原始的な大学生でありたかった。

ありたかったよ。

煙草と、麻雀と、酒瓶が不健康に転がるワンルーム。髪の毛がボサボサの男友達と派手な女友達と真面目そうな男友達と女友達。

 

まあそれは置いといて

みんなはなにか、お風呂に入るときでも外せないような 大事なものってある?

そういう ものが たぶん 自分を あらゆる場面で強くしてくれんじゃないかと

わたしは思うわけなんだけれど

 

不安になった際に 中指にはまった指輪を 手で確認して

なにしろそいつはわたしが外さない限り常にそこにはまっているので

そういう不変の

なんというか恒常的に側で息をする

ものを

 

求めてるわけだ。

そうなんや、そういうの求めてるんや。わたし。

へえ。それは必要やね、指輪が。必要やわ、たとえ、10000円しても、必要やわ。

 

大事にするならね。

大事にできるんか?

今まで なにか ものを 大事にし続けたことはある?

 

ないぜ。

これから大事にしていきたいけども

今までの なあ〜やっぱり

戦績が、ねえ。

 

物もお金も愛情も 友情も親しみも繋がりも

なーんにも大事にできないわたしが大事にできるものはなんだ?

 

自分です、ええ。

それのみです。いっそ清々しいくらいに、それのみです。

そしてその自分が欲しいと思ってんやからきっと必要なのですよ。

 

恒常的にわたしの側で息をする小さな親しみ深いアクセサリーが。

わたしを強くすると 他でもないわたしが 信じるのだからきっとそうなるでしょう。

 

仕方ないな、じゃあ…腰を上げるか。大学の図書館でコーヒーを飲んでいるわけだけれども。

雨も止んだしな。

 

おやすみなさあい

 

 

数日でカブレルな!

 

 

 

台詞回しはやっぱりヤマシタトモコが最高なのでみんな、読んで、漫画。特に『HER』ってやつを。

 

欧米人て恋の仕方がめちゃくちゃ自然じゃない?

いや、知らんねんけど。

見てて、ほんまに自然に恋が始まりそうな生活してはるなあって思うわけですよ。

Hi!から始まってHave a good day.で終わる、日本人にとったら異様に爽やかで風が吹くみたいに自然で当たり前のやりとり。

日本人にも「やあ。」が使えたらいいのに、文豪くらいじゃない?やあ。とか言えんの。

「おう!」かなやっぱり身近な、軽い、挨拶。でも女の子には使いにくいし、使えたとして挨拶とは言い切り難い言葉よね。

「こんにちは」じゃ、長すぎる。

 

アメリカで知ったこと(滞在期間ほんの3、4日であるのに)は、他にもあって、それは、笑顔を向けられることって思ったより嬉しいってこと。だ。

目を見てにっこりしてありがとうございますと言うのは大事なことなんだなあと思って、でも、またここでも、言葉の硬さが、コミュニケーションに悪影響を及ぼしてる気もしないでもないけど。thanksで終われたらどんなにいいか。

今日バイト中にお客さんに、アメリカに行ったことを間接的に知られて、「だからそんなに今日自然に笑ってんのかー」って言われて傷ついた。

いつも自然に笑えてないのかと。

聞けば、「うんまあ笑顔を作ってはいる」らしい。

今までは 笑顔は自己満やったからな。だって義務ではないもんな。真顔でいたって別に、お客さんに文句を言う権利はないもんな。

欧米人はじっと目を見て話をするらしい。欧米人にとって、日本人は目を見なさすぎるし、日本人にとって、欧米人は目を見てきすぎるらしい。

実際、目を見据えられ過ぎると怯むが、ふつうに街を歩いていて、じっと見てきて視線が合うまで、見てきて、合えば、にっこり笑う人がいるというのは、本当に新鮮な感覚だった、日本では、極力人と目を合わせないよう、合ったらすぐに逸らすよう、努めているのに。

 

これは、ちょっと海外に行った人にありがちな、日本ディスのように見られるだろうけど

日本人てのは自分が存在すること自体に自信が持てないんじゃないかな。だから常に猫背で、目をキョロキョロ動かして、一人で鼻歌さえ歌えない。

誰かと二人以上で歩くときに初めて、その場での生存権を得るのだと思う。

自分が存在することを、自分で、群衆の中では確信できないのかもしれない。

他でもない、わたし自身が典型的な日本人だと、アメリカに行って思ったから、の話。

 

昨日一人でラーメン屋に 初めて 行って

1年ほど前の自分を思い返して驚いた。

ずいぶん一人でどこへでも遠くへ行けるようになった。

一人でも大丈夫だと思っていた。

でも今では、一人が好きだ。

だからこの推進力を保ったまま、一人でどこへでもいけるような気がする。無敵感溢れている。

このまま群衆の中で自分一人で自分の存在を肯定してあげられるようになりたい。

だって世界は広いのだ。どこかに行くには、一人で完結していないと。不安で死んでしまう。

 

 

おやすみなさあい

 

 

あーあーあー

 

 

 

帰る場所がない。

どこに行っても安心することがない。

ただいま と口にしても 心から思うことがない。

 

枕も ソファも 絨毯も お布団も

慣れるだけで 決してわたしに馴染まない

 

すべてがわたしの外側を 

それは 世界の出来事に留まらず 自分の内側の奔流もわたしとは無関係に ずんずん通過していく。

 

感情。郷愁 虚無 怒り 悲しみ

全部が 今にしかない ので ほんとうに自分が何を考えているか なんて 考えた瞬間に 後ろへ後ろへ 流れていく ので わかりっこない

いつだって自分は、周りだけでなく 自分からも取り残されてい   る

 

やっぱり間違いだったな、と思う決定的な過去がある。

すべてにおいて なくてもよく、あってもよい 何がどうでも、誰がどうでも、いい今において どうこう言えるあれでもないのだが

なにしろただいまを言える場所は 過去にしかないのだから

 

ところで、わたしの宗教は母だ。

母以外の何に、誰に否定をされても拒絶されても自分を変える気はまったくない。それらは体の輪郭の少し外側をつるつる滑り落ちて地面にしか染み込まない。

母だけは違う。世界で唯一の家族だからだし、わたし達を守り続けてきてくれたからだし、わたしより何倍も世界に疲弊しているからだ。

そういうことでしょう宗教って。そういうことだと思う。

 

今日、世界を憎んでも 明日はそれを忘れて眼を覚ます。

今、誰かを欲しても 1時間後には一人で笑う。

すべてが 今一瞬にしかない、だから

今なにかを思うことに 一切の価値も保証もなにもなにもなにもない。

感情なんて重視されるべきではない。なんてことない 0.01秒の瞬きでしかないのだから。

 

なにかを強く思っても そんなことは自分にとって毒にも薬にもならない、ほんとに一切、一切ならない。

右か左か、決めるのは直感だけだ。

 

 

 

ポエトリーでした。

おやすみなさあい