ウイスキーロックノーチェイサーあやっぱチェイサーあり!

 

 

 

昨日、久々にお友達と飲みました。二週間ぶりの居酒屋。

そのお友達とは、飲食の量と速度が同じくらいなので めちゃくちゃ楽しく飲食ができます。

そこで、居酒屋で二人暴飲暴食ののち、前から気になってたバーに行かない?と提案しました。彼女は快諾。美点の一つ、ノリがいいんだよな。

ほろ酔いで向かったバーは、あまりオープンな雰囲気ではなかったんですけど、友達は「こんにちわー!」と言いながら入っていきました。マスターは白髪のロン毛を一つくくりにした、渋いおっちゃん。

そこからわたし達はまたお酒をたくさん飲んだ。途中でマスターが喋りかけてきてくれて、話はとなりのお客さんのおっちゃんにも広がって、みんなでお酒を飲みながらお喋りした。

楽しかった〜、バーってあんなんなんやね。最高やん。

友達が「チョコレート食べよう!」と言って、わたしがマスターに「チョコレートに合うお酒ってなんですか?」とか聞いて、初心者向けウイスキーを見繕ってもらって、「ロックで」って言って、お水のことをチェイサーということを、教えてもらって…

酒瓶が溢れる 狭い店内で おっちゃん達とマスターは親しげに喋ってて、わたし達も酔っ払って笑って、なんてない話ばかり、重ねたけれどこういうの、すげえいいなあって思うわけでさあ。

友達も、「うわあいいなあこんなん、大人やあ。大人になってもこういうの、やりたいなあ〜」ってご満悦で、そのことにわたしもご満悦で、みんなご満悦やったんですよ。

みんなご満悦の 空間て それはもう まん丸じゃないですか。この世を望月に例えることはわたしはしないですけど、あのバーのあの時の空間を望月に例えることには大いに賛成、という感じでありまして…

とにもかくにもわたし達満ち足りて、すげえいい夜やったんですよ。昨夜。

なんか もっと早く行けばよかったな、とも思ったんやけど いや、このタイミングやからこそこんなに楽しかったんかなと思ったんですよ。

4回生でね、あと1年もないわけで、大学生としてこの街にいられる時間は。

でもそこから、やっぱ登山だって9合目からが本番て言うじゃないですか。9か8か忘れたけど。だから大学生活も、もしかしたら4回生にならな、ほんまの醍醐味って味わわれへんのかなと思ってさ。だから、全然もう、ああこの3年何してたんや〜もっと早く行動してれば…とは思わないわけですよ。

今やからこうなった。今やからこんな自分で世界に接して、いろいろ感じてそれをスポンジみたいに吸収して嬉しくなったり悲しくなったり楽しくなったり泣いたり怒ったり喚いたりする。

全部がカラフルで なまものの鮮度で、そして、この手の中にある。

「詩は感情でなく経験で書く」わたしはこの言葉に大変に救われた。そうだ感情なんて条件反射で、誰でも持ってて誰でも表現できる。

大事なのはその感情をどんな風にどこに結びつけるか、何を見てどう思ったか、自分だけでなく相手の感情も揺さぶることができるか、

だから若いままでは何も、何を何にも、昇華できるはずがないんだよな。

若さこそが価値やと、思ってたけど違うねんよな。

ウイスキーをロックでちびちびのんで、チェイサーの意味も知っている。

大人にならなきゃできないことが、どんどんできるようになっていく。

そういう経験からこそ、詩はできる。小説が書ける。

わたしは 断然経験からなにかを書いて、みんなに届けたいと思う。

エンターテイメント小説をめちゃくちゃ書く人になったるからな!頑張るぞ〜

 

なんか昂ぶって1日に2つもブログ書いてしまった。

とにかく昨日は楽しかったあ、ありがとうね、友達。

おやすみなさあい

 

 

創作技法の授業課題

 

 

 

下記の文章は、「創作技法」の授業での課題、「描写をしてみよう」というやつです。

 

 

 

 

 

 

 

  午後の早い時間。構内を歩くと今日という日の光量に驚く。
  太陽は家に帰り始めごく小さな角度ではあるが傾いて木を建物を人を照らす。理科の授業で習ったみたいに真上から照らすより斜めから光を入れた方が屈折とかなんとかをしてめちゃくちゃ輝くのかな、と思うけれど根拠とか科学なんて本当にどうでもいい、くらいにただ、空気が、酸素の粒子が、しゅわしゅわ輝いているのだ。弾ける炭酸。素晴らしく嬉しい午後はサイダーのなか。
  いっそう存在感を示しているのは若い若い葉をたくさん抱えたイチョウの木。葉っぱの一枚一枚が、大層な気合いでもって輝いている、小さな表面積で、目一杯の陽光を浴びて吸収して増幅して放出。生まれたてのセミが鳴きわめくわんわんと響くカオス、がただ立っているだけの木、から確実に感じることが、できる。「あっとーてき生命力」!
  人間の群れの上で鳴り続ける大音量の産声に似た音の塊。あ、ふ、れ、る、緑みどり み ど り !その下で何にも気づかず見ようともせず、地面ばかり見て歩く二十歳そこらの人間たちは死んでいるのと同じだ。
  死んでいるのと同じ、仮死状態の若い生き物が溢れているのだ。自然界でそんなご馳走が放置されるはずがないのでやっぱりすかさず根が伸びてくる。普段はニュースとかになったら嫌なので大人しくしているのだが、実はイチョウは変幻自在の根を持っているのだ。
  根は無駄な動きをしない。すっと伸びて音もなく、伸びて人間を、人間に巻きついて、動きを止める。捕食する際はまず餌の自由を、奪わなくてはならないからだ。それから首に根の先端を突き刺す。刃の鋭さは要らない、代わりに木には力と上背がある。難なく血管を突き破り、一滴も無駄にせず根っこで血液を飲む、飲む、飲む。人間は干からびてしまうけれども、元から死んでいるようなものなので倫理的にはなんの問題もない。
  動物の血は真っ赤であるのに、イチョウの若葉は、さやかな緑をしている。輝いている。輝きを増している。
  割れたコンクリートと盛り上がった土。湿った大地の匂いが辺りに充満し始める。本当に全ての血液を持っていかれたらしい人間の見た目は奇しくも枯れ木に似ている。生臭い匂いも血の匂いも全然しない。なんて清潔な食事だろうか。
  ……自分が立ち止まっていたことに気づいて、図書館へ向けて再び歩き出す。空は馬鹿みたいに晴れていて、だからこんなに粒子が輝いているのだが、それだというのに私は、うっかり感動してしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以上が

作家の先生に褒められて、いいものもってるて言われて、びっくり嬉しいやばやばぴーなので ここに書かしてくださいってやつでした。

デビューしたら教えてねとか

プレッシャーに弱いでしょ?ゆっくり自分のいいと思ったものを書きなさい とか

そもそも課題出してすぐ読んでくれはったことも嬉しすぎるし

わざわざ 井上さん、読んだよよかったよて言ってくれるとか嬉しい嬉しいがバースト

グループワークした子たちも ファンですて言ってくれたりとか表現褒めてくれたりとか教科書に載ってる詩みたいって言ってくれたりとか

なんか最近肯定されすぎてやばい

昨日も友達と飲んでたら 読んでるよ、て言うてくれてほんまに嬉しすぎたし

どれが一番嬉しいとかじゃなくて全部嬉しくてそれが今日飽和点に達してバーストしました

 

 

はい。

文章書く人になりたいな。書く人にはなってるか、それで食べていける人になりたい。なりたすぎて吐きそう。

 

 

おんな

 

 

 

 

『百円の恋』をみました。

あれほどまでにガツンと、女優!な映画はあんまり、日本では、みないんじゃないかと、思いました。

 

みおわってすぐフィルマークスに感想書いたんやけど

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言いたいことはしょうみこれだけです。

あと、ポエティックなのは いつもや、とかは言うな。フィルマークスでポエティックになったら、食べログを日記みたいに使ってる人みたいな痛さがあるかなとおもたんや。

 

まあでも改めて感想を書く、書かざるを得ない気持ちになったので。

 

最近、「女として生きる」とは、みたいな話に凝ってるので 今観られてよかったなあと思う映画だった。圧倒的安藤サクラ。映画は人生だっていうのを体現している。

 

いま世界では男女平等が声高に叫ばれているが、夜中に一人で歩けない時点で男でなく、女として生まれたことはだいぶ損だ。

女はイイヨナ

売春すればブスでも稼げるシー

専業主婦にナレバー

最終的に子供ウメバー

男の人はいろいろ言うかもしれへんけど、男の人には到底わかりはしないのだ客観的に見たって女が損ってこと。

まあ、男として生きたことないから男の苦悩はわからないんですけどね、はっはっは

でもセックスだってそうや、男は突起物を穴に突っ込んでくぁ〜気持ちええ〜ってなるだけやけど

女は 身体をこじ開けられて 内臓を圧迫されて揺すられて 快感を得る以外にいろんな苦を伴うし

出産だって 女しかできひんのに おかしいやろ、出産の負担で死んでしまう人だっている、そうやって痛みに強い身体の仕組みをしてるくせに、男より圧倒的に非力で、殴られてホテルに連れ込まれたら抵抗もできないなんて。

 

でも女として生きる。女として生まれ落ちたから。

死ぬまで降りられないリングに上がったら、戦うしかない。パンチ食らっても負け続けても惨めでどうしようもなくなっても悲しくてもゲロ吐いても病んでもポエム読んでも、ああ、ずっとずっと女なのだ。わたし達。

 

作中で主人公・一子はボクシングを頑張る。試合に出たいと熱望して、コーチは渋るがなんとかセッティングしてもらう。

勝てるかどうかわからない試合に、でも一子は両親を呼ぶ。仲がゲキワルの姉を呼ぶ。姉の一人息子を呼ぶ。元カレを呼ぶ。勝ちたい勝ちたい勝ちたい、頑張る、ナイスファイトだ、でも負けてしまう。

最初から 勝てる相手ではなかったのだ。それなのに一子は超頑張った。勇姿を見た姉は、めちゃくちゃ一子と仲悪いのに、大声で応援してしまう。目も潤ませちゃう。

「頑張ってる奴が嫌い」な元カレも、一子に熱い声援を送ってしまう。

女として負け続けの人生だった。32年間守り続けた処女はクソみたいなおっさんにあっさり奪われるし。ニートやったし。言うなれば負け犬の一子。

でも、負け負け負けでも戦う。そこに意味があると、ボロボロの顔の安藤サクラをみて思った。

負けてる姿をみんなに見せる。それでも頑張ってるんだよ、わたしは別に負けたくて負けてるわけでもないし、勝ちたくてもがいてる、ほら見てよお願い見てくれよって。

そして一子は 根はいい奴なので 見てくれる人がいる。もがいたらたどり着ける場所がある。

 

もう一子は ホテルで強姦されることはない。バイト先の社員に、蹴られることもない。太って重たい体を引きずってコンビニに行くこともない。姉と取っ組み合いの喧嘩をすることもない。

戦ったからだ、強いから、反発できる力を持ったから

ああ、ボクシングやろうかな。いややらへんけど。

どうにかこうにか戦うすべを 一子はボクシングで手に入れた。今まで負けやったけど あんなに勝ちたいと思ってるんやからいつか勝てるやろう。

人生に勝ち負けなんかないけどね。でも誰かと比べて自分が劣ってると常に思い続けるのは不幸だ。

一子頑張れ。後付けの愛を手に入れろ!

 

ってまた何を言いたいのか支離滅裂になっちゃった〜

百円の恋、いい映画!クリープハイプ最高!観るべきと言ってくれた友達ありがとう!

 

 

 

おやすみなさあい

 

 

ウォーラー

 

 

 

 

…。。⚪︎◯ぶくぶくぶく……。◯。

 

 

 

 

水の中ぶくぶくぶく

音無し

と思ったらある

意味のない音がある

ああ普段は、音が全部意味を持っているもんな

ぶくぶくぶくぷはっはあ…

……音楽が流れている 人が話している…

水の中ぶくぶく

音の正体をめちゃくちゃ知りすぎてるんやな

音を聞いたら考えるまでもなく音源がわかるからな

音源がわかるということは どういう理由でその音が鳴ってるかわかるってことやもんな

ぶわぶわ〜……

つーん

鼻に水入った

足、地面につかない

腕、空気を掴まない

全部水…普段だって空気に包まれてるのに…水に包まれてるときは めちゃくちゃ「包まれてる」と思う……

ぽこぽこ……ぶわぶわ…

全部放棄している…重力なし……水が、重力を感じることを担ってくれてるんやな…

……ぷはっはあ

水の中ぶくぶくぶく……

腕も脚も体の一部であることを考えなくてよい…

全部位が役割を放棄している……

呼吸さえできない…ずっと息ができひんかったら脳みそもなにも考えられんくなるんやろなあ……

水は全部を奪う…全部やらんくていいよ〜ってめちゃくちゃ甘やかしてくる…

ぶくぶくぶく…

 

 

 

水難事故に見せかけた人のニュース見て考えました。

嘘です、いや嘘じゃないけど、最近プールに通ってるもので考えました。

水。

ぶくぶくぶく

シェイプオブウォーター、観る気がなかったけど観てみようかなと思う…

 

 

おやすみなさあい

 

 

今日よりいい日ある?ってくらいいい日やな今日は

 

 

 

この世では りんご と 自然 と 海 が同じ「名詞」として存在するのはやばい。りんごは所有できるし、なんなら体内に収めて栄養にできるのに 自然も海も到底支配できず私たちを殺しにくるし。りんごは牙を剥かない。毒に浸されてない限り。

 

いいよな、夜のダイナーはさ。ピカピカ光りやがって。白いビニールのソファは座る人がいるということをこれっぽっちも考えていない、毅然とした座り心地でさ。うっすいうっすいコーヒーは、不味いってことはなくてなぜなら味がわかるほど濃くないから、でもそういうのに嬉しくなっちゃうのは、どうやら脳みそと肝臓の疲弊だ。

 

恋人という枠にはめると辛く、友達にしては近すぎる距離であり、どう呼べば良いのかわからず、言葉至上主義の自分には非常に苦しい状態である男。そういうのが私には いる。その人がこの間、頼みもしないのに私の好きなソフトクッキーを買ってうちに訪れた。世の中には色んな素晴らしいことが存在するがこれより素晴らしいことはそうない。そうないだろ?だから私は「頼みもせんのにさあ、こういうの買ってこられるの、まじで嬉しい。」と伝えて、伝えることに基本的に余念がないので、言うと、「怒られんのかと思った。」と言って奴は笑う。

 

久しぶりに構内を歩くとびっくりする。銀杏の木が本当に発光しているので。キラキラチカチカピラピラチラチラ。イルミネーションなんかより激しく、盛んに、忙しなく。そして皆その下を、スマホを見ながら歩いたりして。勿体無いの〜。と、思いながら、上を見ながら歩いていると、人にぶつかりそうになるし、歩きスマホ反対、歩き銀杏見反対、どちらも立ち止まってやるべきだ。ぐるりを見たらケバブとクレープの屋台が見えた。

 

4回生になって本当に授業が面白い。色んな授業受けたいと思えるほどに楽しい。1回生の頃とはもちろんまったく違うように成長したし、でも3回生の頃とも、ほんのちっとしか時間は経っていないはずなのに、違う。違うわたし。違うくなった。変な日本語だけれども親しい言葉遣いだ。違うくなったねん。可愛い〜。

 

ぼろぼろのTシャツを私は、やっすいのを、着ているのだがそういうのは周りは気にしなくて、誰が気にするって自分で、きちゃない格好で人様の前に出るのは、何がダメって、自分が本来の強気を発揮できないから、そういうのがいけないんだよね。だからオリンピックにバッチバチの化粧をして出る女の、気持ちはわかるんだよな。それを非難するなんて、お門違いなので、非難する男は、是非チンコのところだけ穴の空いたパンツで、外を歩いて欲しい。代償が、同程度である必要はないので、そのチンコを蹴り上げてやろうと思う。

 

 

 

おわり

お腹が痛いので。

 

 

 

 

ゼミの先生讃歌

 

 

 

「進路のこと相談したいんですけど、研究室に突然行ってもいいですか?」

 

わたしが出した勇気は、この一言のためだけでよかった。

授業後に、たったそれだけ、伝えただけで、ゼミの先生はサシ飲みをセッティングしてくれた。

もう正直、自分にとってそれだけで良かったのだと思う。そして、自分がそんなにすんなりと信用できる大人が、いるなんて思っていなかった。

こんなに疑り深く ねじ曲がった子どもにも、先生はわかるように、「受け入れ態勢が整っている」ということを発信し続けてくれていた大人だったのだ。本当に、すんなり、わかってしまえるほど強く。

そうしてわたしは進路について相談して、その後もいろいろと、ゼミ生の話や人生や恋の話、映画のゼミなので映画の話も少しだけ、した。

先生はわたしを「君はいいね」と言ってくれた。かっこいい関東弁で。

「言葉で伝えないと伝わらない」というわたしの熱弁にも大いに賛同してくれたし、

就活にどうしても抵抗があるわたしを「そう思うのは決して間違いじゃない」と肯定してくれた。

最後には、「いやあ今日はとてもいい日だった、ありがとう」と言って奢ってくださった。

 

先生は何一つ、本当に何一つ、正しくないことを言わなかった。

そしてわたしの言うことを一度たりとも否定しなかった。

あんな大人になれたら 人生成功やなあ。

 

だって先生は、生徒の 若い若い子どもの言うことでも 最後まできちんと聞いて、「そうそう、子どもがそう思うことは知ってる」というお決まりの反応をまったくしない。

母以外の大人は大概子どもの話を聞かないし、「世間一般」を押し付けてくるし、管理下に置こうとするし、思想統制しようとするし、ろくなもんじゃない。

なんなんやろうなほんまに。なんでみんな、馬鹿みたいにさ、「一般論」を信仰して、そんな簡単に 人生に指標が基準が、あると、信じてしまえるんやろうな。

…などと、やっぱりそういう反骨心が、常にわたしはあるから、先生が余計に素晴らしく見える。

 

なんかほんまに先生を讃えるブログになってしまった、先生を知らない人から見たらやばい奴やと思われるほどの狂信っぷりかもしれん…

今まで 恩師というものに出会ったことがなくて、「大人なんてクソ」と掲げて生きてきたので、ゼミの先生の存在がすげえ奇跡に思えるんですよ。

就活生に、「忙しいのはわかってるけど映画はちゃんと見なさい」と言ってくれる先生ですよ。それって、映画から大切なものを得た人間しか言わないセリフじゃないですか。映画から大切なものを得ることができる人って最高じゃないですか。

映画とか小説とか、人が本気で作った虚像で偽物で、心無い人にとっては「ただの娯楽」で片付けられてしまうようなものじゃないですか。

でもそれによって助けられる人がたくさんいて、それらが下らないものなんかじゃないって信じててそれに救いを求めてる人間、読書をする人って現実に少なからず満足していない人やと思ってるから、だから、そういう寂しいところのある人にとって、本気で作られた偽物は、この世の中で、本当に価値のある、なんて言ったらいいのかなあ、宝物で拠り所で生きる糧なんですよ。

そういうものを本気で大事にして なにかを教える材料にして 自分自信がちゃんと映画を大好きな、先生ってほんまに最強すぎる。

ああいう大人になりたい。回り道しても、最強になりたい。

たった2時間の映画に人生を見る。そんなことは、「世間一般」にはできない。わたしだってちゃんと、頑張れば見ることができるし、わたしの周りにはできる人がたくさんいる。

なんて恵まれた環境だろう、ああやっぱりこの大学このゼミを選んでよかったあ。

 

 

おやすみなさあい

 

 

世界でもどこでも行きやがれ

 

 

 

 

渋谷すばる関ジャニ∞を脱退するそうです。

意思の強さや 思いの切実さを いろいろ彼は語りますが、安室奈美恵だって 辞めますって言ってからちゃんと猶予を設けて(ビジネスのためとも言えるけど)辞めたのに

突然、はい辞めますコンサートももう出ませんばいばーい!と言われて納得するファンがどこにいようか。

あんなに勇気付けられたのに。あんなに心酔したし、彼のようになりたいと思ったのに。

俺らがいると歌ったくせに。このグループは最高で最強と毎回繰り返したくせに。

裏切りでしかないんですよね結局。

なにを並べ立てられたって、「ばっさり辞める」というその行為だけが目に見える答えで、

不誠実だ、それが 今まで応援してきたファンに対する態度なのか。

という憤りしか生まれないです。

 

辞めるなら ちゃんと コンサートをこなして 全部の回で 説明してよ。そうして死ぬまで関ジャニ∞でいられないことを謝ってよ。

止められないほど圧倒的な夢があるなら、そのために舞台を途中退場するなら、ちゃんとけじめをつけるべきでしょうが。

 

ファンを信用できないだとかで ファンに笑顔を向けなかったり、自分でつけたeighterというファンの名称を呼ばなくなったり、

好き勝手したくせにそれを受け入れてくれたファンをこんな簡単に捨てるなんてね。

 

恨みつらみしか出てこないですよ。

渋谷すばるはファンを捨てたんだ。メンバーは必死に止めたのに。それでも嫌いになれなかったと言って隣にいてくれたのに。

メンバーにもファンにも感謝で、申し訳なさしかないなら、心の整理をできる猶予を与えてよ。おかしいやんそんなん。絶対おかしいわ。

 

なんかあるんでしょうね多分、裏に何か本当の理由が。

発表することなんて 100%ほんまなわけないもんな。

安田章大が家で転倒して病院におるっても絶対嘘やろ。記者会見なんか一緒に出たないわって言ったんでしょ。

 

なんかな〜。

全然誠実じゃないよな。全然。

結婚をまず第一にファンに伝えた先輩を見習って欲しいですね。

 

渋谷すばるのいない関ジャニ∞が、渋谷すばるのいた関ジャニ∞より上に行けるわけがない。

わけがないでしょうそりゃあ。わけがないよ。

それをわかってるくせに捨てるんだ。すばる君は。全部捨ててどっかへ行く。

 

くそったれ。結局大人になるんだね。ずっと子どもの近くにいてくれると思ってたのに。

 

あーあ、くそしょうもない。

しょーーーもないわ、ほんまに。しょうもない。

 

 

おやすみなさあい