大学生活ってエモいの一言で表せる

 

 

 

酔っ払ったら表現が過激になって、相手のことを考えられなくなるのが嫌だ。

でも酔っ払ってする議論は楽しい。ごめんねみんなと、次の日になって思う。

 

ああ、おい、情熱はよ。

情熱はどこだ。

アルコールがなくたって なれるはずだよ馬鹿に。頭に血がのぼって見られる世界があるはずだ。

なんでもいいよ、なんでもいいから みんな ジンジャークッキーマンみたいに ばつんと型に 切り取られてしまわないでくれよ、なあ…

そんなこと 言う方がたぶん 馬鹿なんやろうけどさ。

 

でも こんな自分でも 丸ごと肯定してくれる場所ってのが、あるんよな。

みんな、ちゃんと社会に足並み揃えてるのに、揃えられないわたしのことも 受け入れてくれるんやあ。

しょせん うわべしか見ずに わたしは 「みんなよお…」とか思ってんだろうな。

心の中ではちゃんと みんな ちゃんと あるんやよなんか、なんかがさあ。

それにしても わたしは 今の大学、高校を選んでよかったなあと 思う、思えて、よかったよほんまに、なあ。

 

劇的に世界って 変わらないけれども

高校からの友達に いろいろ話して 泣きながら話して 大泣きして べろべろになってから なんだか世界で息がしやすくなったよ。

最近ほんとに みんなが 肯定してくれるんや。いや違うな、肯定してくれてることを 教えてくれる。

ほんとは 存在の肯定なんてたぶん、友達である時点で されてるはず、無言のうちに、されてるはずやのに それを 言葉至上主義のわたしは 信じることができない…。

 

しかし こうも思う、言葉を尽くして伝えることを、諦めてしまえるような思いなら、ないのと同じじゃないか。

四捨五入されずに 切り捨てされるんじゃないか。

相手のために 言葉を探して 思いを伝える勇気って…

素敵だ、うん、いま、必要不可欠!と断じてしまおうと思ったけれど、違うな、それを求めるのだって見当違いに図々しい、

コミュニケーションにおいて、なにかが絶対条件であることなんて、きっとない、それをしてあげるしてもらう、なんて、あってはならないのだ、すべきなんて、ない、ないぜ。

 

息がしづらいことが 前提条件である世の中で、どんな風に 酸素の濃い、空気の綺麗な、場所を見つけるか、そういうことなのか、と今は思う

いやちょっと待てよ、違うか、自分が世界にどのように適していくか、か。

気管に空気清浄機を つけてそれを アップデートしていくんや。

 

今のわたし、基本的に世界なんてクソ!しょうもない全部しょーーーうもないほんまクソクソクソばっかりや!

とおもてるが

たまに 世界ってーのは素晴らしいな、花の匂いよ建築美よ、夕方の空よ夏の海よ、音楽と気温よ、とおもうときもあるし

上々なんや、今はな。

だからこれからよ。これからどうしていくかよ。

最高になりたいし最強になりたいな。

独り言で完結できるようにもなりたいし

寒いね、といえば寒いね、と返してもらえることが当たり前でもありたいよなあ。

どのような形を選んだとしても最終的に満ち足りたい。

やっぱり完全無欠になりたいのだ。

 

おやすみなさあい