画面、ぷるぷるぷるぷるポケモンセンター

 

 

 

未だに、死というものはよくわからない。

妹の出てくる夢を見る頻度が減ったことが悲しい、夢のなかでは当たり前のように私のそばに存在する妹。

昨日から今日にかけて、カナダに一緒に留学する夢を見た。出発当日、「なあんや」と思った。

「なあんや、こいつおるなら安心やん。なにを気負ってたんやろう、よかった。」

そう思ったときの心底の安堵は、実体を持たないはずなのに、履歴に残っている。

 

妹がいなくなって 毎日泣いていたけど、母親のまえでは泣かず、いつもひとりで泣いた。

いちばん覚えているのが、自分の部屋で床に座り込んで泣いた日のことだ。

もういないということが、もう会えないということが、もう一緒に遊びに行けないということが、ほんとうに理解できなくて、雑巾を絞るみたいにぎゅうううう、と泣いた。

自分のために泣いたのだ、恋も 友達とお酒を飲むことも 自分で服を買うことも できずにいなくなってしまった妹のためにではなく、自分のために。

 

四年になる。ふと自分がひとりで生きていることの意味がわからなくなるときがある。あれ、どうして平気なんだ、妹がいないのに。

ふつうの顔をして過ごしているけど、四年前からずっとずっと 状態異常で画面は揺れている。

外に友達をつくらなくても 中に絶対的理解者のいたわたしは、だから人間関係について造詣を深めることに興味がなかった。

外の人間にわざわざ、自分を理解させる必要はなかった。受け入れさせる必要も、なんなら楽しく過ごす必要もなかった。外の友達は余剰資金のようなものだった。

継続していく関係なんて 妹だけでいいと信じていた、だから、人との関係を継続させるのは至難の業で、自分から連絡なんてとてもじゃないけどとれないままだ。

 

妹はいま、今のわたしにのみ含まれる。彼女はわたしという人格の端々に染み込んでいる。そうして妹が妹の友達に与えた印象のなかにもわたしは染み込んでいる。

でも、話しかけても答えてくれず 幽霊みたいなものになって来てもくれず 記憶は薄れ 夢のなかでも頻繁には会えなくなる、死ってなんだ。いなくなるってなんだ。会えなくなるってどういうことだ。

 

母方の祖父は とても穏やかで冷静な人だったらしい。わたしが生まれる3ヶ月前に亡くなった祖父。

印刷会社の社長で、自費出版で本を出し、たいへんな読書家、娘を愛し、20ほど歳下の妻を甘やかし過ぎ、早くに死んだ。

彼の悪いところは早くに死んだというところだ。生きていればわたしはもっともっと賢くなっただろう。もっとたくさんの本を読み、教養を深め、あともう少しだけ愛を知る。大人に。

母親の 少ししかもらしてくれない思い出話のなかでしか会ったことのない祖父。死ってなんだ?彼はたしかに存在したらしい。

 

死の話題は暴力的だ。

身近な人の死を経験していない人にとってはとくに暴力的だ。

否定を許されない、デリケートに過ぎる、有無を言わせぬ話題。

だからメッセージ性を持たせてはいけないと思う。間違っても、わたし自身言ってしまったことがあり後悔しているが、「生きてるうちに親孝行をね」なんて、若いわたしは言わないほうがいいのだ。

適正な時期に親を 家族を亡くした人たち、マジョリティにのみそういうのは許される。

マイノリティの放つ言葉はときとして強すぎ、人々の心に食い込みすぎる。あんまりよくないと思う。否定できないほどの力を言葉は持つべきでない。

だからわたしは ただ、死がわからないということを書くためだけに書いた。同情させるためでも、家族に優しくしようと思わせるためでも、なんでもなくただそこに生まれた思考を言語化するためだけに。

最近よく聞く言葉だが、それぞれに地獄はある。比べることに意味はない。父親がDV野郎でも生きてるだけマシやん、なんてぜったいに言いたくない。

 

死ってなんだろう。永遠に会えなくなるってどういうことだ。そのただなかにあってさえ、あんまり意味がわからない。ずっと状態異常だ。みんなにもあるだろう、その範囲がもし足の小指だけであっても、治らず存在し続ける状態異常。

でもそんなことは関係ないのだ。わたしがそれを抱えている。誰にも同調されたくない、同情も調理も言及もされたくないいちばん生の場所に抱えている。

ステイタス化する必要はない。笑い話にする必要も、酒の肴にする必要も、コミュニティを築く材料にする必要も、弱さを見せるための道具にする必要も、ない。ぜったいにない。そのままで持っておけ。そのままで持って大人になるんや。

なんて、他でもない自分に言っていたりする。

 

 

酒飲みてえ