カフェイン-ハイ

 

 

 

私は人になにか教えられるような人間じゃないし 立派でもないし ただ自我を保って生きてるだけで精一杯の なんでもないアノニマスだが

後悔しているものの数はあまりない。

 

やり切れない後悔は もちろんある。

妹にもっといろいろなことを見せてあげたかった、感じさせてあげたかった、選択肢を提示できればよかった、決めさせてあげたかった、寄り添いたかった、安定した心でしてあげたかった、

 

叶わないことごと。

 

この先も叶うはずのない 果たされない 覆されない後悔。

 

さいきん、子どもと関わる仕事を アルバイトやけども している。

 

もちろん 教育とはソリが合わない半生だったし、先ほど述べたように 人になにかを教えるなんて滅相もない、自らがまだ子どもな 赤ちゃん大人やし。

 

しかし 子どもたちと関わるなかで、自分が、この大人になることを放棄した、ジェンダーについて不安定な、人のいうことを聞かない、媚びないでいたいと願う、こんな まあ総括してカオスな自分が、

大人を装わずに彼 彼女らに関わるというそのことこそが ひとつの可能性を示せる場合もあるんじゃないかと考え始めている。

 

小中学生と話していると、彼 彼女らのなかに妹の面影を重ねてしまう。

私はあのとき 彼女とほんの3、4歳しか離れていなかったし、姉貴ヅラをいくらしたって もともと人生においてスロースターターな私だ、なにも与えられなかったに等しい、しかしいま、私は。

 

冷静で、我慢強く、機嫌が良くて 話を聞き、心から心配して 一緒にベストアンサーを探そうとできる、

少なくとも昔よりはこれらを これらのポイントを より獲得した、

だから、なにかできる、彼 彼女らのなかにいる妹の幻影になにかを見せてあげることができるんじゃないかと思ってしまうのだ。

 

ほんの塾講師のアルバイトである今、できることは少ない。

精神年齢の低い私には 友達のように彼 彼女らと話して笑い、どうしようかねえとぺちゃくちゃすることしかできない。

 

しかし この気持ちをどこかへ生かせるんじゃないだろうか。

もしかしたら。

I may be able to do something I couldn't have done before.

なんてこんな不確定すぎる言い方、ちゃんとした英語にはないかなあ。

 

精神的に錯乱していた昔にはできないことが 今 自分のやり方に自信を持てる今ならできるんじゃないかなあ。

 

私が大人たちに求めて、与えられなかったものの断片をもしかしたら私自身が、子どもたちに感じさせてあげられるんじゃないか?

 

そんなふうに思うの。

だから今んとこそれについて考えてみようって思うわけ。

 

 

現在地、フリーターでシングルである現在地を誇りもしなければ卑下もしていない。

なんにでもなれるとは特に思わんが、願うようになれない理由はないと思う。

ムカつくことも多々あるし、友達は多くないから休みはネットフリックスやし、家では日に日に独り言 増えて べつにsex dreamも見るし、人と話さないからものを考えるときに英単語交えてしまうし、

でも いま楽しいな。

やらなければならないことを放棄して忙しくしてたくせに楽しいなんてさ。

 

でも時はくるんだわ。今までそうやったように、必要なときに必要なことをしなければならないという決断は向こうからこちらへ流れてくる。

正しい時期を掴めば大丈夫。

 

Everything is alright!!!!!

 

ちゅーて今日もバイトへ行く。