ふ、と本が読みたくなって Aは突然住んでいるアパート(ロフトつき、だけど夏がきて暑くなり使えなくなった)を飛び出して自転車で駆けた。唐突に本を買いに走ることへの高揚感、そして夏の夕方の、何かの予感を孕んだような意味深な明るさ。

Aは常日頃から断固として冬好きを宣言しているが、今年の夏ようやく気づいたことによると、随分と夏が好きらしい。特に夕方。帰られるような気がする、という表現が一番近いのかもしれない。わりかし大声で歌を歌いながら自転車を漕ぐ。立ち寄ったコンビニの駐輪場所で、地面にあいた消火栓の穴から、突然ゴキブリが出てきたらすごく嫌だな、と思いながらしばし観察をする。自分について気づくことは、他人とは全く関係のない場所で、大事な何かを発見したような高潔な気持ちにさせる。

最寄りの本屋さんは、大型ショッピングモールの中にある。自転車で駆け抜けて15分。夏ともなるとまずまずな距離だ。今年の夏は本当の本当に暑いようで、連日連夜情報番組で暑いですから注意暑いですから注意と騒ぎ立てている。

…休日の大型ショッピングモールの馬鹿げた明るさとだだっ広さはなんと安心させてくれることだろう。それぞれに役割を持った人たちの群れ。収まるべきところにみなが収まっているという、紛れもなくこれは安心だ。喧騒、すぐ傍を走り去る葉っぱみたいに軽い少年、知らない顔の男女のカップル、目の前のことたちがこんなにも遠い。一人で歩くわたし。その周りの他人たち。

たどり着いた本屋さんで、海辺が舞台の本を探し歩きながら、Aはまたしても気づくことになる。ショッピングモールがそうさせるというよりも大きな割合で、夏がそうさせるのだと。人々は、夏、あるいはそれと同じ意味での夏休み、あるべきところに収まっているのではないか。父親は子どもの前で父親として。母親は子どもと父親の前で母親として。彼女は彼氏の前で彼女として。子どもは親の前で子どもとして。彼らは皆、それぞれから許されてそれぞれの役割を当たり前にこなしている。自分の役割の中で役割を忘れた気持ちになって全力で夏を楽しんでいる。そしてやっぱり私はそれから遠いので、そしてやっぱり役割の中で全力で夏を楽しめる勇気がないので、いつも夏に乗り遅れてしまうのだ。夏に焦がれたまま夏を手放す。たぶん、手の中に切符はあるのに。

そうしてAは帰路につく。行きしなに歌っていたのとは違う、夏の歌を歌いながら、カバンに二冊、夏の小説を詰めて。今年は夏に乗り切れるだろうか。たぶん無理だろうなあ。手放しで夏を楽しむことはAには少しこっぱずかしい。だから彼女なりに海に焦がれ、手持ち花火を手にぶら下げ、夏をなんとか自分のものにしようともがくのだろう。

 

 

重たい脳みそ

 

 

 

私というのはいつもこうである。教室の、前から三番目、出口から二列目の席に座ったAは、緑色の黒板を見るともなく見ながら思う。

私というのはいつもこうなのでこうなってしまったのだ。去る者を追う勇気もなければ来る者を拒む勇気もない、途方もないくらいに臆病者だから、なので、こうなっているのだ。

こうというのは具体的にどうかといえば まああれである。Aは単に寂しいのだった。物理的な寂しさではない。友達だって少ないけれどいるのだ。多くても息がつまるので、少ない方がかえってよろしい。大切な人間が多いほど人を大切にできないたちなのだ。そういう寂しさではない、ではなぜ寂しいのか。

楽しいことに飛び込めず、楽しいことを持続させる努力もできなくなってしまったことが寂しいのだ。これは成長(、あるいは老い?)と言えるのだろうか。

言えてしまえば 成長糞食らえ、と思えもするがそれができて何になろう。成長はとっくに高さのピークを超えて、あとは老人になるまで下がってゆく一方だ、私の鮮度は。

それとは別に(つまり下がりゆく鮮度とは別に)、そういう時期なのだろうか。世の中の女性の気性はだいたいがその言葉で片付けられがちであり、そして案外そのラベルは的を得ないわけでもないのだ。しかしAとしてはそのラベルもまた気に入らない。個人個人で別であれ、と思うのだ。百均のラベルにサインペンで走り書きしたような、そんなクソみたいに無個性なラベルを貼るな!自分に貼るラベルくらい、自分で、例えばパソコンで作って印刷したり色とりどりのペンやキラキラのストーンやでデコレーションしたりして、作らせてくれよ!「世の常識」とかいう幻想を誰か、誰かぶち壊してくれ!そんなものは存在しないというのに!…存在しないものを、では誰が、ぶち壊せるというのだろう。

「この教室は、窓が背後にあるので息苦しいな。」

己のどうしようもない主義主張に辟易してAは頭の中でしっかりと発音してみる。見えるのは扉と机と椅子と黒板、それから先生だけだ。テストというのは余った時間に外の景色や空の青を見て暇をつぶすものなのに。カラカラに乾いた咳がでる。数日前にひいた風邪をまだ引きずっている。頭も酷く痛む。奥歯で頭痛を噛み砕きながら黒板を睨むしかすることがない。寂しいことすら忘れてしまえるようになったことには、気づかないふりをする。

 

 

 

夕方、川べり、お祭り、夜店

 

 

最近、よくチャリンコを長時間漕ぐので、お尻が大変痛く、たまにできもんができる。

どこに何をしに行ってるのかと言うと、冒険だ!

今 もっとも興味があるのが コリアタウン

それでしょっちゅう、チャリンコで片道1時間くらいかけて、猪飼野まで ゆくのだ。

鶴橋って、在日コリアンの 文化が根付いた土地じゃないですか。ちょっとびっくりするほど。

なんか すごい キムチ屋さんと焼肉屋さんいっぱいあるし。道行く人の喋る言語は 日本語韓国語半々やし。

すごいとこやなっては 前から思ってたけど 自分が 縁あってその近くに住むようになってから、余計に 異質なものに思えて、思えばわたしは、異質なものが大好きなんですよ。

昭和のまま時を止めた建物やとか、崩れかけの住居とか、宗教色の強い強い建物やとか、在日コリアンめいたお店やとか、廃れていくがままになっているエロい施設とか、新地とか。

平成の世の中に 不似合いなもの、日本文化から浮き出たもの、わたしの日常から外れたもの、がめちゃめちゃに好きで。

だから コリアタウンも、何回も見に行っちゃうくらい好きで。

平野川沿いを チャリで走って 突然!現れる韓国語で溢れた商店街、お昼間に行くことはないので 夕方から夜の コリアタウンしか見たことがないんですが、その なんというか お尻がふわふわするような 自分が異物だ、と感じさせられるような 独特のふんいき。

道行く子どもたちの 喋る韓国語。

日本にいたはずやのに 日本ではない 異国に来てしまったような感じが すげえ よい。

嫌韓やとか 右翼やとか いろいろあって 世間的には どうなんか知らんが わたしも 母も 在日コリアンの友達がおるし、きっと北朝鮮拉致問題とか 鶴橋の昔の治安の悪さとか わたしは知らないから、母は知ってるやろうが わたしは知らないから、だから 「そういう文化」として見られるんですよ。

そしたら 別に 文化に好き嫌いとか ないやないですか、差別とかも 文化自体には 別に ないやないですか、知らんけど。

だから、「在日コリアンの人たちが築いて来た文化」として ある 鶴橋の風景が 好きで。

なんかこういう、デリケートなことを、ネットの世界に、ぶわあと 書いてはいけないんやろうな。

どうしよ、なんか怖い人からコメントきたりしたら。やめてね。

 

平成生まれの、歴史を文字でしか知らない、だから差別もしない、自分の世代やからこそ 持てる視点というか 感覚やと思うねんなあ

 

奈良県は部落差別の盛んな県で、結構 小学校で 被差別部落についての授業をしてたんですよ。実際に 部落での食べ物の お馬さんの干物?馬刺し?かなんか忘れたが、全校集会で 食べさせられたことがあるんです…けどあれは今思うと衛生的に大丈夫やったんかな……………燻製してたんやろか、生やったら あんな全校集会で………まあ今生きてるのでそのことについて考えるのはやめましょう。

それでね、そういう被差別部落の授業で「授業などで取り上げないことで若者が差別問題を知らなければ 差別を知らない若者は 部落差別しないだろう、だがそれでいいのか」という議題について クラスでディベートした記憶があるんです。

今思うと なんちゅう闇深な授業やねんと思わないでもないが、どうなんでしょうね実際。

わたしは、奈良県出身なわけで 被差別部落という存在は知ってるけど、部落出身者とはお近づきになりたくないわ!とかは全く思わへん。

そやって授業受けたけど、完全に「受けさせられた」授業で、記憶には残ってるけど 全くリアルでなかったわけで。

あのディベートは 「知らなかったらいいわけではない、忘れ去られるべきではない」的な結論になった気がするけど、差別する側の理不尽な主張も、差別される側の悲しみも、生の体験者がいなければ 記憶、記録として 文章として ただただ残って行くだけになるんやろうな。

でも、差別の歴史を刻んで行くことになんの意味があるんやろう。

先祖の悲しみは 深いし軽視すべきではないけど、子孫がそれに引っ張られて身動きできなくなるのは絶対にあかんやん。

今、生きてる人たちが 昔の負の歴史を 完全になかったことにしてはいけないやろうけど 生活の中では切り替えてなかったことにしていかにゃいかんくない?

今と昔は違うもん。

 

とか こういうシゲキテキなことを たまには 言ってみました。

でも今日、気づいて 自分が異質なものが好きやってこと。だから、異質なことは 悪ではないし そっから多分 治安の問題とか 色々な噛み合わなさの、問題が出てくるから 差別とかがあるのかもしらんけど。

わたしは 思うんですが、違うってことは 美徳ですよ。

自分とは、自分の生活とは、違うものに 惹かれる。

だから この場所に 下宿してる今のうちにしかできない冒険を たくさんしたいなあっと 思いましたあ

はい、今日もいっぱい漕いでつかりた。

おやすみなさあい

 

 

あなたとたわし

 

 

美容院で 美容師さんと わたしの髪が多い話になる際にわりと「でも、髪の毛少ないって悩んでる人はたくさんいますしね〜」って言われるんですけどいやいやいやいや!いや!

関係ないやん!

いま、わたしの髪の毛が多くてうざい話と、誰かの髪の毛が少なくて悲しい話、関係ないやん!

って思ってしまうんですよね〜

「髪の毛多いって 幸せな悩みですよ〜」って美容師さん言うんですよね、まあわたしも

「そういわれればそうですね〜」って返すんですけど、そりゃ、美容師さんとの会話は本気の会話ではないし、ムキになんてなりませんよ!えっへん

でもそんなに無関係な誰かよりマシですよなんて話 しても意味ないよなあと思います。

 

なんだか…

映画とか観てて、とか友達と話してて、例外は絶対あるけど 例外を除いてさ、女の子の人生における恋愛と 男の人のそれとでは 全然違うんやなあって思うんですぅ

それとか、同じ女の子であっても してる恋愛って全然種類が違うかったりするんやなあって

「好きすぎて」悩んでる人もいれば「ほんまに好きなんか」で悩んでる人もいて そりゃ当たり前に、いて

なんかもう〜しんどいなあって思うんですぅ

 

最近 神経がほとほと弱ってて

どうしてだかわかんないんですけど、もう、参っててほんまに

さっきもチャリンコ漕ぎながら泣いてたら、なーんかそういう時に歌いたくなるのはクリープハイプの「自分の事ばかりで情けなくなるよ」なんですわたしの、そういう時ソングがこれで

 深層心理ではわかってるんやなあと、思って。

まさに 自分のために泣いてたり悲しくなったりしてるとき、そんなことは認めたくないくらいしんどくて、それなのに歌う歌は「自分の事ばかりで情けなくなるよ」なんですよ、

よかったぁ〜

ちゃんと 自業自得ってこと、わかってる。

変わったのはわたしなんです、勝手に衰弱してってるだけで。

そのことをわかってないふりしてるんやけどちゃんとわかってて、よかったぁ〜

 

誰と一緒にどこに向かって生きればいいんでしょうね

みんなは どうなん?

誰と、どこに向かって生きてるん?

今日やっとプラダを着た悪魔を最後までみられたんですけど

人生における幸せってなに?

仕事なのか恋愛なのか育児なのか趣味なのか

人それぞれやけど わたし 消去法で全部なくなっちゃうんやけど。

死ねないから生きる。

 

 

おやすみなさあい

 

 

なんてことないお話ばかり

 

 

あれですよね〜

「既読」っていう概念、誰が考えたんですか?

災害時に役立つことはわかってるけど。

自分の送ったメッセージの横に、既読、という恐ろしい言葉がつく、あるいは いつついたのかはわからないけど、ついているのを目にするとき。

はあ、あの 心臓が一段階下に下がったみたいな感じはいつまでたっても慣れないな。

 

 

現代人は 脳みそを 外部委託してますよね。

最近どうもどうも文字が出てこなくて!

授業のミニッツペーパー書くのにさえ、ケータイで文字を…ケータイじゃないのか、スマホで文字を調べて書いてますから。

なぁーんだかな〜、たぶんこれで生きていけるんでしょう。

だってたぶん皆がそうなりつつあるやろうから。それに、ペンで文字を書く時代は終わるやろうし。

好きやのになあ文字書くの。

 

 

電車に乗る際に、何故か「スマホ触らへんぞ!」という気概になるときがあり、LINEの通知が来たときにしかスマホを触らないというのがよくあるのですが

あれは あれですね、あの〜、人の少ない、ガラガラの電車に座っているときは スマホなんて触ってたら勿体ないと思いますね。

地下鉄は 無理やと思うけど 地上鉄は 外の景色をぽーっと、そんなガラガラってことはきっと昼間に乗ってるわけでしょ、だからぽーっと、見るのはあれは電車の醍醐味でしょう。

あとたまに 「電車で文庫本を読んでいる人を見ると、好感を抱きますね」とか言うてる人いるんですけど、文庫本を読むのも ケータイを触ってるのも そんな変わらんくないですか?

それは 本を読むことを娯楽と思ってるからなのかな。

 

 

恋愛をすると、長く続くと、別れ難いじゃないですか。

お付き合い何年目、とかなると 別れるのには大変勇気がいるほど相手との歴史が重なって…

でもそれって ほんまに好きなのか それともただの情なのか って話に今日友達となって。

過去は輝いててたとえ未来が明るくなくてもその人との過去は大事でって

その「情」はたぶん、愛情の情ではないっぽくて。

じゃあ なんなのか、憐憫の情かしら?相手が、客観的に見て 数年付き合ったのに捨てられて可哀想、と思うとか?

うーん?

離れ難いならそれは 愛も少なからずあるのではないか?

その愛は 愛着かしら

愛着と 恋愛の愛情は どういうところが違うのかしら

自分でUFOキャッチャーでゲットしたぬいぐるみを捨てられないような気持ち?

わたしにはまだわからないけど、相手の気持ちが恋愛ではなく愛着になってたら 嫌だとは思う…よなあ

 

 

雨が降ってるっぽい、さっきお外を見たときにチャリンコに乗った人が傘をさしていたから。

わたしはずっとおうちにカンヅメで、しかもクーラーをつけるか、今はうるさい音の扇風機を回してて外のことはわからない。

迫って来てる台風も相まって梅雨前線大暴れ、とテレビは言ってたけれど。

毎年よくもまあ律儀に六月になれば来るものだ、梅雨前線というのは、本当に律儀だなあ。

ジメジメジメジメと。

梅雨になるとねえケロロ軍曹がめっちゃ生き生きするんすよ。

何故かめちゃくちゃ覚えてるワンシーン、雨に打たれる紫陽花と、その葉の上にいるカタツムリ、その近くでお肌トゥルトゥルになってるケロロ軍曹

ケロロ軍曹の、第1話はちょっとエッチでしたよね。

ケロロ軍曹といえば、いきなり団子とカラーボックス。

 

 

わたしはめちゃめちゃに重い女なので、「わたし以外のあなたの近くの人間はみな敵です」と本人についに言ってしまったのですけど

そんなことが受け入れられるわけのないことはわかっています。

軽い女の子でいたかったのだけど。ライトガールでありたかったのだけど。ウルトラライトガールで。誰が体重ヘヴィー級や。

体重も中身もウルトラヘヴィー級ガールなので、もうお手上げって感じですよ。

これはもはや嫉妬ではないのかもしれない、嫉妬を超えたなにか。

もっとサラサラと直情的、あるいは硬くて毅然とした何か。

…卒論、詩集にしようかしら。笑

 

 

「〜だわ。」「〜だもの。」「〜かしら。」「〜でしょう?」

などなど、上品な東京女の語尾が好きです。

東京に行ったとき、ご飯屋さんで隣に座ったご婦人たちが東京弁を喋ってるのを聞いて 当たり前やのにすごく驚いてしまいました。

大阪で聞く東京弁とはまったく違うもの。

そして、わたしの好きな上品な東京女の喋り方をしている人には会えなかった。

まあこれはもちろん江國香織さんの小説に出てくる女たちの話し方なわけなんですが、

昼顔の リカコさん、もとい吉瀬美智子さんがそんな喋り方で 最高でした。

昼顔を好きになったのは上戸彩ではなく、斎藤工でもなく、むしろ吉瀬美智子さんの魅力によるところが一番ありました。

上戸彩の 「ふっつーの主婦」像の対比、または昼顔妻の種類提示?としての吉瀬美智子さんの「お金持ち旦那を持ついけてる主婦」なわけだったんですけどそれが完璧でしたね〜あのドラマは。

でまあ、吉瀬美智子さんが「それって〜〜だわ。〜〜だもの。」って言うたびに最高!と思っていました。

 

 

はい、

というわけでね。

赤いペディキュアを塗りました。

おやすみなさあい

 

 

大阪大散策(写真多め!)

 

 

 

 

わたし たっての希望で 天王寺まで大学生二人、チャリを漕ぎ漕ぎ行きました。

案の定、行きしなでは喧嘩。わたしたちというものは 常に喧嘩をしている。雨の日も晴れの日も曇りの日もお外でもお家でも。

小雨の降る中、ひたすらに漕ぐ。降ったりやんだり。

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到着した通天閣は、いつも思うのだけれども、サンポールに似ている。

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ほら、そっくり。普段でもそっくりやのに なんかカラフルに光るもんやから 緑のときは余計にそっくり。

大きなサンポール、それが通天閣

 

小雨が止んで、傘が要らなくなったので 人んちのアパートの前に傘かけチャリンコを置いて歩く。

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下手なラブホより一泊の宿代の安い、旅館やまと。この謎な価格設定は、こだわりなんかなあ。

よく見たら「予約のお客様に幸福ストーン」と書いてあるから、予約したら幸福ストーンなるものを もらえるみたいですね。

これは 予約せねば。俄然、泊まってみたく なった。

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 そしてまた少し歩くと、わたしの大好物の1つである安易な名前のスナックもとい居酒屋。

このネオンの青と、居酒屋の文字の赤、庇の黄色が素敵。あと、アルコールオール500円は別に安くない。

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日劇ストリートという居酒屋街。ほぼお店は閉まってる。唯一開いてた入り口側の居酒屋も、帰る頃には閉まっていた。新世界の人たちはお昼から呑んだくれて、夜は早くに寝てしまうのかな。

 

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この旅でわたしが一番気に入ったところが、ここ!国際劇場。

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なんてったって、寸止めスナック!めす酒場!夜這い村!ねだる若女将!!!

ひゃーーー!すき!ああ、好き!!!この色彩感覚よ!はあ〜良すぎる

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破廉恥おばさん欲しくてたまらない!あー好きだな〜〜もう好きだなこういうの!この絵よ!

最高です!

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 ちなみに、エロくない映画は千円で、エロい映画は八百円で観られます、ナイターとはいえお得。

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トレインスポッティングもやってるらしいので是非って感じですね。わたしはもちろん、エロい方が観たい。

入り口を入ると 行き先が2通りあって、1階は普通の映画を映すところ、地下はエロい映画を映すところのよう。

写真撮ってる間にも、おじさんが…違うか、おっちゃんが一人入って行きました。彼は地上の普通映画を観たのか、はたまた地下に潜ってエロ映画を観たのか…

門番みたいなおじさんもといおっちゃんが 建物内には おったので なかなかじいと見られませんでした。

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通天閣の …お尻?

下からみた通天閣!うふふ

この青いプツプツには恐怖を煽られますが、なかなか綺麗なお尻をしてはりますね。

「クラブ歯磨」「クラブ化粧水」などなどよくわからんクラブがありますけども字体が可愛いね!

 

そして観光客向け居酒屋街へ行く。よく見る新世界の風景が、そこにはあった。

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その中にまたあった ポルノ映画を上映する映画館。こーんな普通の、キャッチの兄ちゃんの溢れる、居酒屋街に。

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 たぶん でも どこにでもあったんでしょうね昔は。

だって TSUTAYAのない時代、もちろんインターネットのない、クロ◯ビデオのない時代、どこでエロを摂取するかってこういう街角のポルノ映画館か、生身ガールか、で。

生身ガールは 高いし、、そんなにしょっちゅう会いに行けるもんではないしで 映画観に行くしかなくて 日常の、エロス摂取には だからおっちゃん達の 娯楽としてのポルノが 街中にたくさんあったんでしょう。

それにしても未だに、どうやって営業を続けてんのかな。

わたし達の目の前で 国際劇場に入っていった勇気ある新世界のおっちゃん、その世代の人たちがいなくなると共になくなるんやろう。

昔は満員になったりしたんかな、今はもちろん、ならないやろうけど 満員なのはそれはそれでなんか、嫌やし スッカスカのガランガランやったらそれはそれで、……嫌やね。

 

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通天閣本通、あんまおもろいもんはなく 商店街の隙間マニアのわたし、すかさず脇道にそれる。

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「英8都」 の黄色に誘われて入った路地で、謎の文字列がお出迎え。

何語なん、これは、一体。かなり怖い落書きを背にして歩く。

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蛍光灯の下。

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 シャッターを降ろした商店街。

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一軒だけ営業している今風の(なんか洋楽がでかい音でかかってた)ダッカルビみたいなんみんな食べてるところがあった。

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喫茶店と看板。

 

 

 商店街をでたら、またまた通天閣に遭遇したよ。

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香港なんか通天閣なんか、よくわかんない、情報量多めな写真ですね。

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カラーバリエイション。

緑はサンポールで 赤やと、東京タワーめいてるし 黄色やとパッとせんから 普通の 白のやつが ええと思うんよね。

 

ジャンジャン横丁は 21時を前にして ほとんどシャッターを降ろしていた。

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タバコの自販機、アイコスの 本体はないけど 煙草の部分は "入加"したらしい。キュート。

 

 

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預けた荷物がどうなるんかわからんような古くて窓の多い手荷物預り所。レトロお〜〜

 

信号渡って 「動物園前一番街」という名前の商店街へ。

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ゴキブリが そこかしこにいて キャーキャー言いながらぴょんぴょん跳ねていたら、サラリーマンのおっちゃんに笑われたよ。

ゴキブリ見て叫ぶくらいの20歳くらいの女は その商店街には珍しいように思えたから、それも仕方ないことですね。

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お酒の自販機。今も現役らしい。いつから現役なんやろう。

 

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なんか人がいっぱい出てくるから何かと思って商店街の隙間の路地を見たらば、オーエス劇場だって。 

さすがの隙間マニアも、夜に西成の商店街の隙間には行けなかったから 近づけなかったけど、、、何か怪しい催しがなされてるのかなあと思うと わくわくする。

 

商店街を進むと、地べたに何か敷いて、錠剤を売ってるホームレスっぽいおじさんがいて、怖かったな。前にyoutubeで見たけど、西成のホームレスの人たちは、タダで頭痛薬とかお腹いたの薬とかもらって、それを路傍で売るんやってさ。さすがにその写真は撮れなかったから、また見に行きたいな。怖いけど。

 

そんで、進むと、色々枝分かれしてて キリなさそうやったし怖かったから 先の写真だけ撮って 引き返したよ。

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引き返して、ふらふらしてると レトロゲーム所があった。

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せまーくて、誰もいなかったけど インベーダーゲームとか あったよ。

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おもしろそうな ガチャガチャ。

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一回五百円を、ワリカンで。

中身は 帰ってから見る約束をして、

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突き当たりには、天王寺動物園の入り口。

「うぉーっ うぉーっ」 て声がして、動物の鳴き声や!と言い合って 横見たら、ホームレスのおっちゃんが 自販機に向かって吐くでもなしに吠えてたよ。

 

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顔ハメ看板にこんにちはをして、チャリに跨って一路おうちへ。

あ、案の定 傘は誰かにとられていました。寄付、寄付。

 

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スーパー玉出に 寄り道、

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遠くから見たら テーマパークと思うよね。

 

おうち帰って ガチャガチャの中身、見たら

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わざとらしく「800円」と値札に書いた、セクシーパンティでした。

もっとえげつないエロさを想像してたのにな。ちゃんちゃん。 

 

みなさんも散策してみてください。

 わたしは次は、きっと、まだ陽の高いうちから西成を散歩しようと思ってます。

飛田新地は女が行くと危険なので、その周辺を。

ではでは おやすみなさあい

 

栄枯盛衰がでてこなくて「えいこすいたい」と書いてたよ

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チャリで大阪城公園の JO TERRACE OSAKAに行ってきたよ。

間接照明が素敵で よかった。

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たこ焼きをたべて、スタバに行ったよ。

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チャリだったから、帰りしなに気になるところがあれば、写真を撮れたよ。

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嗚呼、寂れてしまった商店街。

わたしはそれを愛しています。

どこにでも あって でも 突然になくなる場所。

可哀想なほど ボロボロなアーケード、昔々にはハイカラだった字体で書かれた看板

かつて人がたくさんたくさん通ったはずの、でも今は物好きしか通らない、あるいはただの通路になっている商店街、嗚呼、商店街。

  

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安易な名前のスナックも 大好き。

可愛い。

わたしたちとはまったく違う時代を生きた人たちが夜な夜な集ってお酒を飲むところ。

知らない歌を歌って 共通言語として笑い合える冗談もわたしたちには全く通じない。

 

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今では数軒しか営業してない小さなスナック・居酒屋街も大好き

過ぎ去ってしまったけど永遠に体験できないほど自分とは遠い時間を思う。

損なわれてしまった盛り場、残酷な栄枯盛衰にぞくぞくしたよ。

 

今日は つい最近出来立ての JO TERRACEに行ったり 昔々の盛り場に行ったり して タイムトラベルをした気分だよ。

久々に 日記としてブログを書いてみました。

どうも、おやすみなさあい