性について、飽きなく

 

 

『セックス・エデュケーション』というドラマがめちゃくちゃよいです。最近のドラマじゃないです、2019年頃のやつです。

生徒たちの性に関する悩みを 高校生である主人公がアマチュアセラピストとなって解決していくという話なのですが、

それぞれの性の悩みを通して主人公周りの関係性も変化していったり それと関係あるけどないところでいろんな関係が変化していったり 大人たちも悩んだり して めっちゃ おもろくて

 

なんでそんなに面白かったんかというと

私が性的なことに興味津々な子どもだったこともあるし、

いわゆるキャラクターもの、登場人物の個性が強くてそれだけで話が進んでいくドラマが好きということもあるし、

LGBTQ+について、レズビアンとゲイとバイセクシュアルだけではない視点からもアプローチしてるってこどもあるし、

ふだん もやもやしてた女性の性についての言及もあるし、ってことで

刺さるポイントが多かったからハマったんですけど………

 

若干ネタバレあるから 今すぐ観るつもりがあった人は注意してください!

 

 

登場人物のなかには、

イカルチャーに傾倒してるゲイの男の子がいたり、そうでなく好きになった人が男だったため結果的にバイセクシュアルになる男の子がいたり、

恋愛対象も自分のセクシュアリティも定まってないけど女として見られるのは嫌だというノンバイナリーの女の子がいたり、その子のことを好きだけどどうしても女の子として見てしまうから一緒にいることを断念する男の子がいたり、

女同士の友情や思想への理解が高まってカップルになったバイセクシュアルの女の子たちがいたり、

ゲイの友達を家族のように大事にしてるけど絶対に性的には見ないノンケの男の子がいたり、

 

登場人物それぞれにセクシュアリティについての定義があって、全員に「これが嫌だ」「これが自分だ」という主張があるのですよ。

 

英語にはtheyという人称があって、私たちは学校でそれを"彼ら"と訳すと習いましたが

LGBTQ+の人を表すときに使われる一人称なんですよね!

そんで、ノンバイナリーの子が「She」で自分を表した子に対して、「sheじゃなくてtheyね」ってちゃんと訂正する場面があるんです。

それを受けて 言った子も、「ああごめん」ってフランクに受け止めてて

それを主張できる環境にあり、それが批難されることこそが批難されるべきであるという雰囲気のなかで育てたなら、本当に「個性を育てる」育ち方をしてきた、といえるのではないのかと思うのです。

 

だって「個性」って かなりジェンダーに依らない?

例えば 自分が男というジェンダーであると信じていればスカートやハイヒールは絶対に履かないし、

女であるという自信があるから"女性の服装"をできるわけで………

男と女の2種類しか基本的に日本では公に認められてないから、多くの人がそれに当てはめた格好をするし…………。

 

未だに ズボンの制服を履いている女の子を見たらぎょっとする人は多くて(うちの母親もそう)、

そして 私たちの時代には スカートを履かないという選択肢さえなかったのだということに 改めてびっくりする。

そんなこと思いつきもしなかった!

スカートを履きたくない、なんて!!

だって風が吹いたらぴらぴら簡単に下着が見えるし(もちろん下に体操服履いてたけど)、体冷えるし、意味不明やん!!

好きで着てないならスカートってまじで意味不明じゃない?

なのに 強制される服装、役割にノーと言う人は自分含めていなかった。その選択肢さえ知らなかった。

私たちには 自らのジェンダーについて考える機会など一度も与えられなかった。

 

ドラマのなかで、「校長が代わって独裁的、前時代的な校風になってしまった!」の展開があって、

 

・もともと服装自由→完全男女別の制服に。例外は認めず、体にフィットしたものを着用

・化粧・染髪禁止

・廊下にラインを引いて左側通行

・ポップな色の内装→ぜんぶグレー

性教育の授業は男女別 LGBTQ+関係なし、身体の性別によって判断

・禁欲を奨励

 

という惨状に一時的に なったんやけど、いや、日本やん!!!って思った。

私が受けてきた教育やん!!!左側通行こそなかったけど!!!

まじで日本の学校って 社会主義国の建物みたいじゃない?(この表現は安易かつキャッチー、それはわかってるけど言いたいことわからん!?)

まじで性教育の授業ってあれなんやったん??そんなにも女性器って秘められしものなん????

 

まずもって、性を恥ずかしいものとしてるのは誰やねんって話やねん!!!

性的な行為の結果生まれてきたのに、性的な行為が恥ずかしいものなわけないやん………。

ってドラマでも言われる、「性的な行為は恥ずかしいことじゃない!」(だから1人で悩まないで、あなたは"変"じゃない!)みたいなこと。

恥ずかしいこと・タブーにするから 正しい情報を得られず、1人で抱え込んでその結果 避妊せずに性行為してしまう人がたくさん出てくるんやんなあ。

オープンにして、欲の存在を認めて、話し合うテーブルの上に出すことで、望まない妊娠を防ぐことができるわけで

原始的な欲望から目を背けてなかったことにしたって、あるんだから!

あるものは あるんやから それをどうしていくか、コントロール下に置くことは思春期には難しいから、それにどうやって安全に対処するか、を教えてくれないと!!!!

わからないんだから💢💢💢💢💢💢💢

ネット上には💢💢💢💢

ポルノの方が多く溢れてるんだから💢💢💢💢💢

 

 

この話題になったらキレてまうねんな!!!💢💢💢💢

おい!!!💢💢💢💢どうしても女性器のとこを日本語で言うのは憚られるのムカつくな💢💢💢💢💢💢💢

 

 

まあ………

しかし 同ドラマのなかでは、あれっだけ性のことについて扱っておいて

セックス賛美のような表現はまったくない。

これがほんまにすごい。これが"エデュケーション"やなと思う。

「愛を確かめ合う行為だから〜♪」とか、「とってもいいことだよ〜♪」みたいな 性行為そのものを美化する言葉はほんまに使われない。むしろ身体的接触なしにでも愛なんて成立する、ってスタンスやと感じた。

登場人物は盛んに「心の準備はできた?」と確認し合う。

セックスは、対話だからだ。

確認して、確認して、少しでも嫌そうな素振りが見えたら一歩下がって、待って待って、様子を見て、話し合って、話し合って、カップルで2人で、おこなう行為だから。

ポルノの真逆だ、だから性教育にこのドラマが役立つと思うのだ。

 

たぶん 日本では男性優位の性行為がまかり通ってると思う。

ポルノのことになればみんな饒舌だが、実際の性行為に対する感想についてとなれば、というか性行為がどういうものか、についてはあまり話さない。

男性、女性、というロールプレイが当たり前になってるからやと思う………んやけどどう?

男性がしたいもの、女性はさせてあげるもの、みたいな共通認識って実際、ないですか?

だから「女の子は簡単に体を許してはだめ」なんやろうし。

体を許す、ってなんやねん気分の悪い!!

「2人ともしたいこと」じゃないことをすんな!2人ですることがどっちかにとって嫌なことであるなよ!!ぼけぇ

 

 

私は どこかでずっと 自分はヘテロセクシュアルであると言い切れず生きてきた。

それは実際の恋愛関係を経験する前からだ。

女性と性的な関係になりたいと感じたことは一度もないが、女性に魅力を感じたことは何度かある。

それは「可愛いな」というだけのこともあるし、「この人と過ごしてみたいな」と思ったこともある。

そういう感情はあれど、女性に"欲望"を感じたことがないから、恋愛対象は男性だけだと こないだ結論づけたけど、

恋愛関係って性的な事柄が絡まなくても成立するもんね〜。

私たちは教育や創作物を通して 小さなときからシンデレラになること=最上のこと・目指すべきこと、と植え付けられてきたが故に セクシュアリティにも疑問を持たずに育てられてきたが

LGBTQのどれかに当てはまらなくても、ヘテロセクシュアルにも色々あるし、人間の数だけ性志向というのはあるのだから、

ジェンダーについての話は常に他人事ではあり得ないのだ。

 

どうしても 名前がつかないと分類ってやりにくいから、「友達」という関係性の人たちの中でさえいろいろと自分のなかでは 意味が違ってきたりするのに、

友人関係を表す言葉が「友達」しかないから、どんな近さ・親しさ・信頼度の人でも友達と呼ぶように

「男性が恋愛対象」とか「恋をしている」とか 感情や関係性を表現する言葉が少ないからないものになってる気持ちってあるんじゃないかな?

「好き」にもいろいろ種類はあって、「じゃあその人とセックスできるの?」で判断しがちなところはあるが、お互いに「セックスはなし!」の共通認識があれば、性行為抜きにでも恋愛関係は成り立つのだから。

だから友情だって高じればじゅうぶんパートナー関係になりうるし、それを片方が望まなければ成立しないし、っていうのは男女なんて全く関係なく、そうだ。

 

 

だからムカつくんが

「家行ったらそういうことでしょ論」やわな〜。

コミュニケーション下手か!!!!

暗黙の了解なんか存在、するか、ボケェ!!!!!

みなさん、それを避けるためには「私はおうちにお邪魔しますが、セックスはしません」と明言しましょうね。

しやなあかん世の中がクソやけどな!!!

 

「○○ならそういうこと」っていう形式美、早くなくならんかなーー!!!!

ディスコミュニケーションでしかないのになーーーー!!!!!!

 

よくあるやん、恋愛関係において、「好きって言ってなくても一緒におるんやから好きってことやろ」みたいなやつ。

「好きじゃないやつと一緒におるわけないやん」ていう察してばなし。

そういうの!!!

そういうのやめてぜんぶ伝えないと!!!

 

だから〜〜〜

髪型かわいいね、も!

今日の服ええやん、も!

好きだよ、も!

毎日ありがとうね、も!!!!

ぜんぶ!!!言えや!!!!!!

あなたに触りたいのですがよろしいですか、も!!!!

今日はセックスしたくない気分やねん、も!!!!!

家に来るということは、性行為をするということかな??も!!!

いいえ、単純に家であなたと話したいだけやけどあかん?、も!!!!!

言え!!!!!!!

ムカつく!!!!!

 

それを言える下地を作るのが 関係性を作るってことであって、

これ言ったらあかん言ってもいいの境目は常に攻めていかなあかんし、間違えたら謝らなあかんし、

それがぜんぶほら、性教育にも現れてるやん。

なんとなく声に出したらあかんのかな、って認識を植え付けてるから 性について限られた知識しか持たずに、誰にも聞かずに、"暗黙の了解"というクソを信じてみんな大人になるんでしょう。

 

ね。

性の話になったらめちゃくちゃ熱くなってしまうので、

友達に笑われてしまうかもしれません。

どんだけ性に熱心やねん!って。

でも セックスエデュケーション、性教育は私たちの根底にあるもの、時に制御の効かない欲望で、原始的なもの、なので 絶対に大事なのです。

笑われるべきでない、軽視されるべきでないものだと思うのです。

私たちの世代が、今の子どもたちの親世代の中心となっていくのですから、私たち自身がまず、性教育について考えるべきではないのかなあ〜。

だから笑われてもいいです。

私はたぶんまた性について熱く語るのでしょう。

 

『セックス・エデュケーション』、ネトフリでちょっと前にめちゃくちゃ推されてたから観た人も多いと思うけど めちゃくちゃおすすめ!なので観て〜〜〜

 

あ〜〜〜〜 やりづれぇ〜〜〜〜〜〜

 

 

 

じゃあね!