待ち合わせ革命

 

 

 

「待ち合わせ」ってものが苦手だった。

まあ今だってちょっと苦手。なにしろ普段から継続的に会う友達がいないから、みんな大なり小なり久しぶり。そういうコンタクトというのは緊張するから。

でも、苦手だった理由は別にある。

 

けっこう厳しいほうだった。相手の遅刻に。

自分はちょびっと遅刻するくせに。

なんでなんかなあって改めて考えてみると、私は待ち合わせを「〇〇時にどこどこに行く」というスケジュールだと定義していたからだとわかった。

だから、〇〇時にどこどこにいない友達に腹を立てたし、ちゃんと自分は〇〇時に着いてるのに、なんであんたは遅れてくるわけ?と思っていた。

 

でも、待ち合わせって違うんだった。

その人と会うために 暫定的に書き込まれる予定なのだった。ということが最近わかった。

会えるならべつにどこでもいいのだ。

ぶらぶらしてたところに 友達が不意に合流するのだって待ち合わせのうちのひとつだし、その後にどこに行くかに 予定というのは 依る。

 

もう待ち合わせの与えるプレッシャーったらなかったけれども そう考えるともっと気軽なものに思えた。

物事は 見る角度によって変わるんやなあ。

 

 

これが自分のなかで最近起こった、待ち合わせ革命の話。

 

 

 

 

 

あともうひとつ。

私の好きな英語の言葉はだんぜん「Don't give a shit!!」(=気にしねえ、関係ねえ、クソどうでもええ、みたいな心意気の意味)なのやけど。

カナダにいるときに元恋人に教えてもらった言葉で、私はその言葉を聞いた瞬間から大層気に入った。

I don't give a shit about whatever they said to me!!って感じで、それまでの私にしっくりきたし、そこから日本に帰ってしばらくの間の私にも馴染んだ。

みんなが大事なものと自分の大事なものに相違があってもドンギバシ(Don't give a shit)やんかって思ってた。

でも 最近ずっと ドンギバシって言えなかった。そんな勇気なかった。give a shitしまくってた。

みんなが大事にしてるものを大事にできない自分がシット、くそやんかって思っちゃった。

そう思っちゃったことを自覚してたし、そんな自分を否定した。

元恋人と完全に別れたのが大きかったのかもしれない。彼はドンギバシな私が好きやったし、ぜんぶ受け入れてくれてたから。

 

でも なんか昨日ぐらいから ひとりでもドンギバシに戻りつつある気がする。

自分のペースが、とか 今は休眠期間、とかももうドンギバシ。

クリスマス一緒に過ごす恋人がいない、とか ひとりで眠る夜は寂しい、とかももうドンギバシ。

いやクリスマスはじゃっかんドンギバシじゃないかも。

新しいブログのタイトルにしたほど、スウィッチのアカウント名に設定したほど、大好きな言葉 DONGIVASHIを 私は自分のもとに取り戻しつつあるんじゃないか?

その言葉を見るたびに、自分はもうドンギバシじゃないのに、って ドンギバシやった自分が羨ましかったけど。

また ドンギバシに戻れるかなあ。戻れたらいいなあ。と思い中……これ自分の言ってる意味読んでくれてる人に伝わってんのかな?

ドンギバシって書きすぎてわけわからんくなってるね。

ドンギバシがそもそも、固有の言葉すぎるしな。

 

まあいいや、ダイエット頑張ってもっと魅力的になって、もっともっとドンギバシしてやるんじゃ👌

いまはとりあえず、いまはね、そういう気持ち。