誰かを赦すという行為は、
過去の傷ついた自分を少なくとも蔑ろにする行為だ。
傷つけられたときの鮮血を忘れ、
長引く化膿とそれに伴う発熱を忘れ、
塞がった傷をぶつけたときの鈍い痛みを忘れ、
ガラスの破片のように散らばった棘を時々踏んでしまうことそれ自体も忘れ、
ぜんぶ忘れてでも、傷つけてきた相手を失いたくないと思う、
天秤にかけて 今の相手の存在こそが大事だからと言い聞かせて、
そして過去の自分を裏切る行為だ。
過去の自分を裏切ってさえ 相手を求める行為だ。
そのことを忘れてはいけない。
あなたが誰かを赦すとき、あなたは過去の自分を自分の傷を蔑ろにしている。
悪いことではない。まったく。そうやって生きていく。そうやって生きていかなければひとりぼっちになってしまう。誰もが誰もを赦して、赦されないと孤立してしまう。
でもだからこそ、私には絶対に赦さない相手がいる。
過去の自分、今では塞がりかけた傷 それをつけられたときの自分をなによりも大切にしたいから。尊重したい、裏切りたくないから。
あのときの私には 私の味方は 今の私しかいないから。
まあみんなも ほんまに赦すべきか、赦さないべきか
考えてから赦したほうがええと思うわ。
知らんけど。