秘められるべきでない☆もの

 

 

 

下ネタしゃべりまーーす

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

セックスってみんながみんな好き、なわけじゃないらしい。

 

女友達と生々しいほうの下ネタを喋るとき、私は大抵 「好き?」と訊く。

「そういうことするの(女同士の会話でセックスという単語は使わないことが多い)、好き?」と。

「好き!」という答えはわりと少ない。

「好きやと思う」は ままあるにしても。

私でさえ(でさえ?)「好き………ではないと思う」と答えていた(今はたぶん違う風に答える、どういう風にとは書かないが)。

 

だから女の人においては、みんながみんなセックスを好きではないこと、については知っていた。

 

 

でも男の人においてはなぜかどうしても、ほとんど全員がそれを好きだというふうに認識してしまっていたわけだ。ちょっと前まで。

ぜんぜんそんなことないらしいですね。

性欲と、じっさいの性交は、別のところにあるようですね。

 

それはたぶん 食欲と空腹が別のものであるようなことなのだろう。

 

 

 

 

しかし女の人がそれを好きではないということのほうが、理にかなっている気がする。

なぜなら女の人は大抵の場合、男の人ほどポルノに触れてきていないからだ。もちろん、例外もたくさんいる。

しかし 男の人、あるいは男の子に許される"勃起"という可視の現象に対応するものは女の人あるいは女の子には用意されていない。

生理現象として、見えてしまって許されるべき場所まで、晒される恥ずかしいなにか、が、私たちにはない。

「欲情しても仕方ない」という逃げ場が女の人には用意されていないような気がする。

だからこそ、本能やからと開き直ってセックスを"楽しむ"という選択肢があんまり表立って用意されていないように思う。

 

 

 

 

それに大抵の場合、その行為は男性の射精によって終わる、ことが多い。

私だってそれが当たり前だと、ある時点までは思っていたし、それについて疑問さえ持たなかった。

 

疑問のきっかけが、山崎ナオコーラ『長い終わりが始まる』を読んだとき。初めて「あ、」と思った。

ずいぶん昔に読んだから、内容をめちゃくちゃ覚えてるわけじゃないけど。

「セックスはいつ終わるんだ?」「射精によってだけセックスが終わるなんて変だ」みたいなことを書いてたと思う(もう一回読む。ごめんなちゃい)。

 

男性の射精により、終わり、そして訪れる"仕方ない"・"生理現象として"の、賢者タイム

そんなものを押し付けられた女性がセックスを好きになるわけがないのだ。

だってそんなもんじゃあ 女の人にとったらなにがなんだかわからない。好きな人に触られて気分良くてその終点が挿入、よくわからない運動、のちの射精〜fin〜なんて。

目まぐるしく変わる状況、聞いたことのある手順、男性主体に行われるあれやこれ。ずっと少女のようにその行為に加担するしかない女の人だってたくさんいるはずだ。

教えてくれる場所がない。女の人にとってセックスがどういうことか、どんなふうにでも振る舞えるということも、その行為を楽しんでもいいということも、言いなりになる必要はないということも。

誰も教えてくれないままでみんな、処女を捨てた。

 

 

でも、男性が射精してだけ、セックスが終わるわけじゃ絶対、ない!!!!!

だって性行為とは相互理解のうえで成り立つんだから。

そういうことを教えてくれるなにかが、男性のなかにはある縦の文化が、女性にもあればいいのに。

 

 

 

ということで私は思った。

射精によってしかセックスを終わらせられない、というより 射精によってセックスを終わらせる男性は、本当にはセックスを好きではないんやろうなと。

 

そうそう、好き嫌いの話でした。

 

 

性欲と セックスに対する積極性が 重なるときはあれども、

男性に備わってる生理現象がイコール、セックスへの渇望ではないのだな〜、という。

 

逆に言えば セックスを好きという前提を時には被らないといけない男性もしんどいよなあ〜。

セックスを好きではないという前提を被らないといけない女性もしんどいやろうけど。

 

 

 

 

ビッチの定義ってなんなんやろうな〜と思うんですよ。

人生で一度だけ面と向かって「金髪ビッチ!」と言われたことがありますが(6年ぐらい前のことまだ根に持ってるんかい)。金髪はええわ、勝手にビッチにすなぁ〜。

私は自分をビッチだとは思いません。

でも、ビッチの定義によっては私はビッチになってしまうのかもしれません。

ぱぱっとネットで調べると、いちばんに検索結果として出てくるのが

「誰とでも寝るようなとんでもない尻軽女」

というものでした。

 

そもそも「誰とでも寝る」、というのが なんというか…………。

言下に、"男性優位"を含んでるような感じがしませんか?

私がじゃっかんフェミニストだからそう思うのか?

 

男性が「誰とでも寝る」ことを咎められることはないでしょう? ある? あるのか??

チャンスがあれば寝る、のを だめなこと、とする文化って世界中、なくない?

「据え膳食わぬは男の恥」という言葉が、日本にだってあるじゃないですか。

エロい女がいたからヤった、に対して 批判的な意見ってなくない?

 

というか「誰とでも寝るような尻軽女」って言葉にそもそも、女性側の選択権ってあるのか?

まるで女性にはセックスにおける意見なんてないかのような。

言い草ではないですか?? 知らんけど。

 

 

だからまあ〜

セックスの話ってもっとされるべきなんではないかと思う。

恋人同士でもそう、同性間でもそう。

とくに女性同士ではもっとなされるべきやと思う。

なにが正しいか、は、存在しなくても、

なにが間違っているか、なにを強制されているかなにを拒否すべきか、そもそも それは楽しんでもいいことなのだということや、必ずしもマゾヒスティックでいる必要もないし 意見したからといってサディスティックになる必要もない、ということ、いろいろ、なんか、

話し合うことで パブリックな場所に持ってくることで、ポジティブな方に昇華できるなにかがある気がする。

 

どうしてセックスは男性間でだけ楽しい話題なんだ、

どうして「女の下ネタは生々しい」なんて言われなければならない?

どうして私たちは私たちの間だけで性の話題を楽しんではいけないんだろう。

 

 

 

そういう欲求や話題を恥ずかしいと思うことがまず、男性によって培われた都合のいいミステリアスへの願望の結果、なのだ!!!

 

だから私はこれからも開けっ広げに性の話しまーーーーす

 

 

おやすみっ