アルコールに死ぬ

 

 

 

寝ゲロしたことも、泥酔由来の怪我も、笑い話として母親にするわたしなんですけど

父親がお酒由来で死んだときに「あの人らしい死に方やわ」ってなんとなく言った母親を思い出すと、ちょっといかんなと思うわけですよ。

 

わたしは「あの人の子どもらしい子ども」なのかもしれない、というか百パーセントそうだ、と、このまま死んでしまうのではないかと便器を抱えながら思うときに思う。

 

中学生のときからお酒は好きだ。もちろん一緒に飲んでくれる人ができたのは大学生になってから。人とお酒を飲むことの嬉しさったらなかった。それでもそこまでお酒好きな人が周りに多くなくて、ほんとうはお出かけしたならいつだって〆にお酒、お昼からでもご飯食べるならお酒、飲もうと言いたかったけど、やめておいた。

でも最近お酒好きな人との付き合いが増えて、そうしたらもう筋金入りのお酒好き、お酒好き歴10年弱という経験と高校のときから居酒屋ハシゴして日本酒イッキしてた父親から受け継いだ血、ふたつも理由がある、わたしにはお酒を好きな理由がふたつもあるぞ。それがまあ爆発。して今。

 

わたしに、濃く濃く父親の影を、母親は見ているのだろう。

父親の顔をみんなが見たら、似てないと言われるだろうけど、口元とかちょっと似ているのだ。笑ったときの感じとか。

それを 父親と結婚までした母親はたぶんわかっているだろうな、と、そういった特徴について発見して、わたしのなかに、ああ、父親を見ているのだろうなと思うとちょっと固まってしまうね。

 

死ぬんじゃないかと思うほどにお酒を飲むのはほんとうにもうやめよう。

と、死ぬんじゃないかと思うほどにお酒を飲むたびに決意する。

いつのまにか飲み過ぎている。いつのまにか泥酔を超えている。いつのまにか便器の前にいる。

命を削ってまで飲むものではない!はずのお酒がわたしの人生には必要不可欠なのだ…とほほ