わな

 

 

たとえば書きたいのは、桃のような文章だ。

あのように瑞々しくほとんど液体、それなのにぎりぎりのところで理性を保つ本能と欲の塊、果てしなくふしだらで涎だらだら、豊かでファジーな手触りと持ち重り、と思えば繊維質。確かな歯応えとどこか青臭い香り、果汁が身体に飛べばたちまちべとべとの、後戻り不可能な絶対的糖分。

 

そうして書きたいのは、月のような文章。

夜空に唯一輝くけれど周りにも眷属を従えて寄り添う、限りなく音のない光。みんなを見ている、そしてみんなに見られている。反射することで存在を主張する、アクションよりもリ・アクション。くるくると日毎に形を変えるだけでなく、一夜のうちに踊るように色を変える、その気まぐれさと普遍的な生真面目さ。

 

そうして書きたいのは、沈丁花のような文章でもある。

ずっと鼻に香る、咲き始めの甘ったるい香りは、足元で擦り寄る猫、花束をもらった女、欲しいものをねだる子どものように完結して清潔で正しい。それでもわからない人にはわからない、香らない人にはいっさい香らない(らしい)、常に存在するくせに排他的なのが美しい。親しい位置に咲くのに高飛車、馴染む人には馴染むのに、心の余裕のない人には一瞥もくれない、冷たさ。

 

そうして同時に、桃や月や沈丁花のように、私がなりたいのだ。