孤独は
たしかに冷たく見えるだろう
それそのものが質量を持つかのように、概念のくせに、持ち重りがしてお前を蝕むように感ずるときがあるだろう
誰もいない、ひとりぼっちだ、何も持っていない、周りに在るものが少ないということなのに持ち重りするという矛盾は苦しいだろう
誰かがいてくれるとそれがまやかしでも、信じてみたくなるだろう
🌟なにか、ひとつ考える隙間をつくるとそこに孤独😖💦に対する自覚😧が流れ込んできて、恐ろしい🫣ので考えるのをやめる🌟
↑孤独でない人間がくだらないのは、↑だからだ↑😊
孤独でない人間なんてくその役にも立たないし大嫌いだ😊
お前が頼れる場所や人はたくさんいるしあるだろう、それはお前が孤独でないこととはぜったいにイコールではない
ひとりぼっちだ、本質的に私たちはみんな孤独だし孤独でないといけない、孤独でないのはおばさんだけだ、おばさんだってこんにちときたま孤独だというのに。
おばさんは周りの人たち(おばさんの周りにだっておばさんとおばさんでない人といるが)ぜんぶの出来事を自分に関係があると思い込むことで孤独から脱することのできたいわば人間としての完全体だが、その代わりに個を失っているので自我がない😔うじゅうじゅ
私たち若者はどうせエゴの塊で自我しか先行してないんだからそれがなくなっちゃったら嫌だと思うので💦
孤独をあのなあ誇れボケ
私たちはひとりぼっちだからものを考えることができる
インスタントな映像に溢れる世の中でぶじ目玉を休めて脳みそをフルに活動し頭のなかで言葉ひいては文化と取っ組み合いができる
思考を止めるな、よく田舎の人がスーパーのチラシでみかん入れや犬のうんこ入れをつくるだろう、あれになるぞ
あの質の悪い紙にこれでもかとインクが染み込んだ、情報だけの、広告チラシになるぞ
私は風を切る
働きに行くときのしょうもない格好でも、てろてろのTシャツで、腰で履くジーパンで、トートバッグで、風を切る
偉そうにいつでも歩く、なぜなら、孤独だからだ
誰も社会からは守ってはくれないし、解ってはくれないし、ナメられたくないし、下卑た笑みなんてぜったいに浮かべたくないし、お前ら全員どきやがれと思ってるし、だから、孤独の旗を靡かせるためにずっと風を切り偉そうに早足の大股で歩く
道を譲るときは「おら、行けよ、譲ったってんねんから」と上から目線でにこっとして立ち止まる、私が道を譲るときはぜったいに相手に譲らせない、だって相手が偉いと相手に選択権があると勘違いされたら嫌だからだ
自分の価値を決めるのは自分しかいないからだ、孤独だから、誰も「いていいよ」なんて甘ったれた許可、出してくれないから、だから私は怖い顔で偉そうに立つし歩く。
孤独は、誇らざるを得ないのだ、ものを考える人間として
孤独を放棄した人間はものを考えられないからだ
漫画本に夢中の小学生みたいにふらふら歩くな
孤独から目を逸らすためにだけ摂取する、その娯楽は小学生の漫画本より遥かに、ぺらぺらに薄っぺらい浅はかさ、その場しのぎの創作だ
ひとりでちゃんと風を切って歩け
ひとりで生きる大人みたいにひとりでもちゃんと歩け