ひとりぼっちの人がなぜ排他的であるのかというと
たぶんやけど
集団が排他的に見えて、そこに属さないまたは属せないから 自らを集団と同じところまで膨らませて
他を絶しないと 身を保ってられないからでしょう
ひとりぼっちの人がなぜ自我を保つことに必死であるかというと
誰かとの間に生まれるはずの確固たる自己、個人の人格が その人を救わないからでしょう
集団のなかに自分を置けば自ずと役割が見えて自己を、その場所を確保できるが、
その集団を持たなければ 自分ひとりで自我を確立させないといけないから。
ひとりぼっちの人がなぜひとりぼっちなのかというと
誰をもほんとうには心に入れられないからでしょう
他人に理解を求めないからでしょう
他の人間のなかには自分を見ないからでしょう、そうした方が楽なのに、幸せになれるのに、自分を自分のなかに閉じ込めてしまうからでしょう
ひとりぼっちの人がなぜ意思疎通を諦めてしまうのかというと
ひとりで居るため、言葉の意味が他の集団とずれてしまうからでしょう
自らの言葉で自らを語る、そんな者は他人から見れば宇宙人でしかないから。
ひとりぼっちの人は 心のどこかで繋がりを求めているのかしら
だからときどき、へんな繋がり方をしてしまうのかしら
ある程度の年齢になれば、ひとりぼっちの期間を長く過ごせば、集団との心地よい距離を学ぶことができるのかしら
ひとりぼっちの人の話は、誰がきくのかしら
ひとりぼっちの人が好きなのは自分だけなので、他人を心から愛することなんてできないんじゃないかしら
みんな、分担してそれぞれの人生を生きてる
あなたの分を端っこ持つね、私の分のそっちの角を持ってくれてありがとう、あの人に預けたあれ、実家に置いてあるそれ、
自分の人生を小分けにして もちろん核は自分で持ってるやろうけど、誰かに預けてその分背負って
うまいこと生活のなかに他人を織り込んで、だから寂しくないんやろうな
でも ひとりぼっちの人の人生は ひとり分の重み まるまるいっこ。
誰かに裏切られる悲しみを負わずにすむ分、
誰かに心を許す温かさを放棄している。
喋りながら歩く駅までの距離は短く感じるね。
その真逆が ひとりぼっちの人の人生には怒っているのでしょう。
しらんけど。