襟足にサンシャイン

 

 

 

 素晴らしく晴れていて、コテージ群は海の波のように白く、輝く壁で葉月たちを迎えた。

 葉月は太陽に満足し、穏やかに吹く海風に、攫われないよう幅広の麦わら帽子をおさえる。反対側の手にはボストンバッグを提げていた。

「葉月ちゃん!!」

 駐車場の奥から声がして、また卯月を置いてきてしまったことに気づく。袖なしのワンピースを着ているので、みるみるうちに日差しが肌に染み込んでいくのがわかった。

「葉月ちゃん、どこ?」

 卯月はいくじなしというか、不安症が過ぎるというか、とにかくどこへもひとりでは行けないし、いられない。生まれたときから側にいた年子の姉や、同じ年に生まれた幼馴染の葉月と、かたときも離れずに育ったからだろう。

 でも、それにしても。葉月はたとえば生まれ育った県を出たとき、見慣れた景色から離れたところで卯月を見るとき、とくに感じる。私はひとりででも生きていかれるように育ったけどな。

 もたもたとトランクを開けて、キャリーケースを引っ張り出している卯月を見ていると、不思議な気持ちになるのだ。自分より四ヶ月も早くこの世に生まれたくせに、どうして何もかもが彼にとって目新しいのだろうか。

「ここにいるよ」

 卯月はその声に顔を上げ、先に行かないで、わかんなくなっちゃうから、などと言いながらトランクを閉めて葉月のもとに急いだ。

 こぢんまりとした門を抜け、ホテルの入り口ではオリーブの木がたくさん植えられ、花をまだつけていないローズマリーが動物のように生き生きと茂り幹を隠している。もちろん植栽であるそれらに、しかし溢れる野趣が、涼しげな潮風と共に異国情緒を醸し出す役目を果たしていた。

 葉月はフロントのある正面の棟を逸れて、コテージのある方へ向かった。高台になっていた駐車場からは見えた海が、木々や建物に阻まれて見えなくなっている。

「葉月ちゃん、チェックインしないと」

 ごろごろ、がろがろと音を立てるのは卯月のキャリーケースだ。荒削りのオレンジがかった石畳の上を、小さな車輪が跳ね回りながら進むので音がうるさい。

 だからキャリーケースって嫌い、と葉月は思う。あんな風に小さな子どもか馬鹿な小型犬を連れているみたいにして自分の荷物を運ぶなんて滑稽だ、と。歩調を早めた。一棟貸しのようになっている、部屋の真っ白い漆喰の壁には、それぞれ数字が書いてある。101、102、103……右左とテレコに、奥に行くに連れて数字は大きくなる。

「葉月ちゃん待って」

 建物の影に入り、また日なたに出て、また影に入る。通路は、外気のなかに しんとした木造のおうちの部屋の匂いがする。開け放たれた家々の、2階の窓。

 宿泊棟が途切れ、海がふたたび見えた。太陽にぴらぴら焙られて、青魚の鱗のようにきらめいている。

 風が湧き出るように吹いて、葉月はまた帽子をおさえた。眩しさに目を細める。まぶたに、日が、さんさんと落ちるのを感じる。薄い皮膚を通して眼球があたたまるのを感じる。前髪のしたに汗が滲む、

「卯月、」

 葉月はようやく振り向いた。この景色を見せてやりたかった。太陽を感じさせてやりたかった。のろまでドジでひとりじゃなんにもできない卯月に、引っ張ってもらわないとどこへもいけないキャリーケースそのものみたいな卯月に、ほら、どう思う、と、見せてやりたかったのだ。

 しかし卯月は、まだ宿泊棟の群れの中にいた。オリーブの木夾竹桃の鉢植え、白い壁と茶色い窓枠、鉄でできた柵に囲まれて、巨大な鞄と寄り添いあって立っていた。

 その、夏を楽しむ素振りのひとつも見せない立ち姿を、葉月はなにも言わず見つめる。

 時間がまだ早く、他の客は到着していないようだった。平日、清掃員も見当たらないホテルはひどく静かで、夏にしかない緩慢さで時間が漂っている。不可逆であるはずの流れが、強烈な太陽の光で淀んで、どこへも行かずにそのへんに、ずっと漂っているようだった。

 卯月は帽子を被っていない。

 染めない黒くて襟足の少し長い髪を、首にまとわりつけているのだった。

「戻ろう」

 海や風、海岸に設けられたレストランやそのバルコニー、白いパラソルなどに背を向けて、いっそ後ろ足で砂をかけるようにして、葉月は振り返った。

 肩にかけたボストンバッグは大きいばかりで軽い。彼女を待つ男のそばを通り抜け、チェックインに向かう。

 

 

 

 

おわり