親しくない理科【14/31】

 

 

 

小学生のとき、私立だったからか、自由参加型の校外学習が盛んに行われていた。

私は低学年のころの毎年のスキー教室以外、めったに参加しなかった。しかし月に一度かなにか、盛んに参加していた子たちは、いたように思う。

なにしろ友達の少ない小学生だったため、そのへんのみんなの事情、クラスの当たり前、にすこぶる疎かったけれど、きっとみんな、示し合わせて今週は行こう次はパスしよう、などと決めていたのだろう。

樹氷を見に行くプランや、なにがしかの草花を見に行くプランなど、旅行会社のようにさまざま取り揃えられた校外学習を率いるのは、理科の先生だった。

それはおじさん先生で、"ひねくれた大人"のお手本のようにいつも顔を半ば顰め、半ば笑って、生徒の相手をしていた。みんな、あの先生が好きなようだった。

私ももちろん、好きだったけれど、その頃から「人間なんて好きになっても好きになり返してくれないに違いない」という思想は健在で、だから、積極的に懐きにはいかなかった。

今思えばあの先生は、よく生徒の相手をしてくれていた気がする。邪険に扱うような素振りをする、そのことによって逆に、生徒を可愛がっていることが伝わってしまうような、嫌な感じのしない、ほとんど唯一の先生だったのではないか。

 

しかしこの話の主題は、その先生ではない。

私が参加した校外学習の目的が、今回の主役だ。

それは雲母。うんも。なんて、神秘的な、かわいい響きだろうか。うんもだって。うんも。声に出せば、自然と笑みが溢れる言葉。うんも、にっこり。

それがなんなのか、未だに私はわからない。

日曜日かなにかに、バスで他の生徒たちと連れ立って、向かったどこかの山奥の、切り立った崖のふもと、少し抉れた穴ぐらを、掘ればきらきらひかる雲母たちがばらばらと、発掘される、発掘というにはあまりに簡単に手に入ったきらきらだったのだけれども。

きっと理科のおじさん先生が解説をしてくれて、同伴の先生やらはんぶん先生になりかけている人たちやらが、付き添っていてくれたのだろうが。

なんにも覚えていない、覚えているのはただ手に取ればぱらぱらと、いとも簡単に層になって崩れる不思議な物体。なにかの結晶、土とほとんど変わらない、土の中に発見するきらきらを寄せ集めたような、でもとにかく個体を保った・もの。

ひとりにひとつ、CDケースより少し分厚い、綿が敷き詰められたプラスチック製のパッケージが配られ、その日の獲得物たる雲母を、恭しく配置する。

金色が主である雲母、黒色がちな雲母、大きく発掘できた雲母、平らな雲母、個性的な雲母の面々をそれぞれ、足場の悪い山の中に散らばって眺める。

やったあ。

なにに対してのやったあ、なのか、そもそも雲母を欲しかったのか、本日が楽しかったのか、わからないままに思った気がする。

なんだかたくさん、初見の、きらきらした、剥がれるタイプの、珍しいっぽい、石かなにかを、ゲットした、やったあ。

そして私たちはまた、マイクロバスに乗り、学校のある方へ帰る。

隣に誰が乗っていたかも、誰かが乗っていたのかも、仲良しの子と話せたのかも、仲良しの子がいたのかも、なんにも覚えていないけれど、

あれ以来、というのは雲母探索以来、校外学習に参加した記憶はないので、のちのちよく味わってみれば、その日の感触は大してよくなかったのだろう。

 

ちなみに、私が小学校卒業の日、そのおじさん先生に会いに理科準備室へ訪れ、した質問が、

「お風呂入ってるときって皮膚呼吸できるんですか?」

だった。

先生は顔を半ば歪め、半ば笑顔で、答えてくれた。

「皮膚呼吸はできひんけど、以外で呼吸してるから大丈夫」みたいなことを、言われた気がする。