主語が、やはりでかい

 

 

現代人は、"いる"し"ある"ことが大嫌いなんだ

存在を常に否定している

存在することを常に拒否している

肉体を茶化して無視している

 

夏の夜に扉を開け放ち家の外とうちっかわの境界線がうすぼんやりとぼやけてしまい、隣の家の蚊取り線香やおじさんの吸う煙草の匂い、流れるラジオやテレビの音やおばさんのお皿を洗う音、虫の鳴き声居間の光、庭木の静かな呼吸の匂い、ひとんちの犬のぬくもりやきょうだいの走り回る音

ぜんぶ西洋式の家で立てきり、閉じこもり、イヤフォンでノイズにしてしまいキャンセル、空調で押し出す、ぜんぶ否定する、なかったことにする

 

みんな我慢ならないのだ、他人が。

自分のことしか許容できない、子どものようだ

子どもはまだ自分以外の存在を許容できないから、ひたすら耐えるしかない。

だから不機嫌なのだ、彼らはつねにふくれつら。

世界が不快なのだ、あまりにも未知で、でも、それでも許可なしに世界は存在する

拒否しても否定する方法を知らないから、無視しきれないから、柔らかいから。

 

おまえらは

家族から逃れて一人暮らしをする、家族はいるのに。

死から目を逸らして永遠に生きられるような顔でいる、みんな死ぬのに。

老いから目を逸らしてバーチャルに走る、老いは避けられないのに。

性欲から目を逸らしてAVを観る、性欲はどうしようもなくあるのに。

愛する人から目を逸らしてどうでもいい人々を消費する、愛する人はいずれいなくなるのに。

人類みんな平等のふりをする、違いや文化の相入れなさ、性産業や収入格差があるのに。

思い通りにならないことに我慢がならないから、思い通りにならないことは見えないふりをする。

 

でも、私たちの許容や、キャパシティなど関係なしに、すべての物事は、"ある"のだ。

存在するのだ、すべての事象は。

おじさんの足は臭いし、肉食の人種の体臭は独特だし、空気の読めない女は香水を振りすぎる。

ケーキを焼いて亡くなった家族に供えてもそれは減らずにずっとあり、腐る。

爪や髪は伸びるけど、身体から離れれば成長を止める。

へんな宗教にお金をたくさん払う人はいるし、お酒を飲まないと人と交流できない人もいる。

 

思い上がりも甚だしいのだ、存在しないことにするなんて。自分が上に君臨していて、足元のことなんて見えませんというように。

私には目の前のものが見える。だから怒るのだ。ほとんどすべてのことに心の底から腹が立つ。見えるから、存在してることを知っているから。

思い通りにならないからじゃない。どうしてそうなるのか、理解ができず、怖ろしいから因果がわからず、自分の道理に当てはまらない理不尽に腹が立つのだ。

「他人のことなんか興味ないし、ほっといたらいいねん」ってまるで大人の言い分みたいにみんな胸張って言うけど。

ほっといたかってあるもんはあるんやからそれを無視してるよりも怒るほうがよっぽどええやろ。

理解できないことを理解できないことも知らずに無視するなんて、びっくりする。そんなふうに物事を無視するなんて、その土地の言葉を20年くらいまったく理解しないままにその土地に住むようなものだと思う。

 

そうやって茶化しとけ

存在を無視して、見ざるを得ないときは茶化して、そして何も知らないままで老いて死ね。

おまえの見るVRの世界でのおまえの手足はきっと水分に溢れてエナジーに満ちているのだろうな、永遠に。

 

私はいまはお月見団子を、つくって食べるのが楽しみです。

あなたたちは季節の移り変わりも知らないだろうから、ヘアスプレーで固めたような色だけ豊かなコンビニフード食べててください。