私は恋愛経験が少なくて、元彼というものの存在がそもそも少ないのだけれど、彼らというものは基本的にはもう二度と会いたくない類いの人間たちだ。
どうしてかというと、それなりに気まずいしそれなりにむかつく、わだかまりもある、いろいろしちゃったしいろいろされたし、まあ要するに、圧倒的にそれらぜんぶを過去に押し込めてこそやっとなんとか美化している存在だからだ。
もう二度と会わないからこそ行った旅行が楽しかったと思えるし、会わないからこそ好みだった顔面のパーツを懐かしむことができる。
過去だから、距離を置いているから心に余裕を持って眺められるのだ。
しかしまあ最近、他人とお付き合いをしていない私にとって最新作の元彼(じつに3年前くらい)とは会う機会が多い。ゼロが理想なのだから1以上は多い、になるのだ。
この人がまあ〜、意味がなかった。私は基本的に何事にも意味があり、すべての過去が自分を良くも悪くも形作るのだと信じてやまないのだが、この人においては私のなかのなににもなっていない。いっさい。ほんとうに、私を構成する要素のなかに彼はゼロだ。
好きじゃなかったのに付き合った私が悪い。
留学時代のことで、寂しかったのだ。周りに関西弁を話す人間がおらず、故郷の言葉に飢えていた。しかもなにがほしいか、なにがよくてなにが悪いか、まったくわかっていなかったのだ。異国の地に混乱し、故郷を離れた解放感にも混乱していた。隙をつかれた。
つまりは、私の弱さをそのまま鏡でうつした妖怪のような男と付き合ったのだ、私は。
そんなに憎むほどのなにをされたんだと思うだろう。
不思議なことに、浮気もされていないし、傷ひとつつけられていない、なにより私は彼といたとき一度もヒステリーを起こしたことさえない。なにしろ、なにも得なかったのだから、傷さえ得ていないのだ。
悪いのはどこまでも、あんな男と付き合った私だ。
なんてことはない、すべてがフェイクだったのだ。
私には父がおらず、家庭に男性というものがなく、それについて知識が乏しかった、からこそ、男性性を常ひごろ強く求めている。それがなになのか、今よりもよく知らなかった私には、見極めることができなかった。
その人はそれを持っているようなふりをして近づいてきた。私の女性性を少しもリスペクトしなかったのに、自らの男性性を私に認めさせようとしたのだ。もちろん、年上だ。
具体的な部分に触れるのは侮辱になるし、意味のないことだからやめよう。しかし、私は欺かれた自分を恥じているし、あれは二度と繰り返さない。
フェイクはやめてほしい。
私は男性的でない男性を攻撃しているわけではない。
ただ、男性的であることを誇示したいなら、こちらの女性性を尊重し、敬意を払い、お互いに男女として存在するのが道理だと思うだけだ。
男女平等、けっこう。
重いものを持ってくれなくても、ドアを開けてくれなくても、奢ってくれなくてもいい。
それをしない男性を私はまったく非難しない。
もちろん男女間の肉体差を無視した、男女の単純な違いを無視した男女平等っていったいなにのこと? ととても思うけどそれは今は言わないでおくね❤︎
ただ、ヤリたいならご飯代出せば? と思う。
男らしい筋肉を褒めてほしいならジム行ってること喧伝すんじゃなくて重い荷物持てば?
一歩下がってついてきてほしいなら風上に立てば?
大きな声で笑いたいなら、普段から風切れるような身体を持てば?
愛想よく笑ってほしいなら笑わせられるくらいおもしろい話すれば?
ずっとにこにこしてほしいなら機嫌よくできるように気を遣えば?
とにもかくにも、女らしさを求めるなら男らしさを示せば? と、思う。
そしてそのすべてを、正しい交換をせず、私を女らしい気持ちにも特別であるような気持ちにもさせずに無の時間を提供してくれた最新の元彼を私はこんなにも憎んでいる。
もちろん、別れたときには憎しみはなかった。ただ、好きじゃなかったし好きではないし、もう限界だと思ったから別れた、いい人だと思っていたし優しかったから心は痛んだ。
別れたあとに、くそみたいな話を聞かせてきたから嫌いになったのだ。こんなに憎んでいるのだ。
人と別れるとき、そのあとも友人として仲良くすることに私は毎回トライはする。恋人はそのときどきのいちばん仲良しの親友であってしかるべきと考えるから、仲良く友人関係に戻られるならめっけもんだし、トライはしてみるのだ(まあうまくいったことはないんやけど)。
そのトライのうちの2回目ですでに楽しくなかった。新しく女の子と付き合ったけれども話が合わなくておもしろくないというようなクソみたいな話をしていて、空虚に大きな声で笑い、私はそれでもいい人だったからと耐えた。優しい人なのだからと、無意味であることにも気づかずになぜか耐えて笑った。
3回目に会ったとき、毎日楽しくない趣味もないモテないうまいもんも食ってないなどとクソの掃き溜めのような話をされたのでもう二度と会わないどこうと思った。私はそのときもうダイエットをしてその人と付き合っていたときよりはるかに女性的になっていたし、きちんとおしゃれをして女性としてよく見えるように整えて行ったのにそんなクソみたいな話を聞かされてほんとうにもううんざりだったのだ。
おもしろくも楽しくもないのに笑えない。魅力のない人間の前にいると力を吸い取られる。
4回目は偶然に飲食店で遭遇し、私は顔も見たくなかったのでほんとうに最悪だった、それを余すことなく態度に出したら彼はなんと傷ついたのだ。
傷つく権利がどこにあるというのだ、と、私はもう、憤慨した。あのとき、心の底からムカついた。
何をも本当には持っていないのに、どうして奪われたような顔をする? お前のものだったものなんてなにひとつないのに、たまたま転がり込んできたものがどこかへ行ったからって、どうして傷つく権利なんてあると思うのだ。
私がどうして笑顔を見せないといけないのだろうか。どうしてそれを求めるのだ。会話を、クソの掃き溜めのような会話を????
男らしさのフェイクしか提示できない男に??
私の、友人といるとき以外の笑顔も返事も目配せもぜんぶ、男らしさに対する女らしさなのだ。それは呼応で、等価交換なのだ。
おもしろい話もできない、友人でもない、他人にどうして笑いかけないといけないのだろうか。そう思って私は怒った。ぶちぎれた。私はもうお前と同じところにはいないのだと思った。お前の隣にいた無知で自分の欲にも無理解で天秤の傾きにさえ気づかないあのときの私ではないのだと。
話しかけられてもほとんど無視をした。反応を求められる筋合いがなかったからだ。
搾取だ、だってそれは。
私はそれをされたくないのだ。
二度と。
と、昔共にしてしまった生活のせいで、物を受け取らなくてはいけなくて今日、避けがたく(もちろん避けたかった、郵送してくれと言ったが言葉が通じなかった)会ったために怒りが再燃した。
加えて映画『セッション』を観たので、怒りが増幅した。
私にはペニスがないので去勢が行えないのだ………それは男同士でないと行えないために………。
あれば、去勢してやりたいと思う。男であることが相応しくない人間だと思うから。
そうすればたぶんその人はすごく楽になれると思うのだ。たぶん、重荷だろうから。意味がないし、男でも女でもないものになれたならいいだろうから。
人間は心に隙間があるとああいう無意味な関係を持ってしまう。気をつけた方がいい、自分が好きではないのに自分を好きだという理由で他人を近くに置くのはもうやめるぜ。
ま、女の子は ぜぇんぜん、べつ💓