世の中には、おもしろくない女の子がいる。
真面目で、頑張り屋さんで、お酒を飲まない女の子だ。
冷静で、欲望を持たず、彼氏は持っている女の子だ。
彼女たちはユーモアに笑顔を、疲労には落胆を、流行には衣擦れほどのタッチを、それぞれ与えるけれども、そのどれも彼女たちを動かさない。
心を動かさないでいられるのだ。家族や、恋人に関することでなければ、彼女らには傷をつけられない。
彼女らは、美味しいご飯やスイーツを欲さない。スタバの新作やインスタでバズったケーキは必要ない。
ただ同じお店の、同じメニューを、同じ大切な人と摂取するだけで満ち足りるのだ。
そう、彼女たちは簡単に満ち足りる。
もちろん満ち足りた彼女らは、社交の場にも出ず、夜に飲み歩いたりもしない。だって満ち足りているから、道端や雑多な店々で、なにかを探す必要がないのだ。
欠けたもののない満月のような彼女らは、家からでる必要がない、
彼女らは生まれた頃から家にある食器や、生まれたときの記念に買われたランチョンマット、赤ん坊のときに座っていた椅子などに囲まれ、それによって満たされている。
わたしたちはある意味では常に、彼女たちになりたいのかもしれない。
そしてある意味では常に、彼女らを憎んでいるのだ。
あんなふうに 満ち足りた、お地蔵様のような顔で、すべてを得て家庭に収まってしまう、彼女らに羨望の眼差しと、同時に心からの軽蔑の眼差しを、向けている。
ファニーになる必要も、女っぽくある必要も、媚びる必要も強くある必要も着飾る必要もない彼女たちはぺたんこの胸で無言、微笑みを湛えてただ生きる。
おもしろくないけど、敵を作らないわけではない彼女たちを、でもわたしは、嫌いではない。
芯が通っているからだ。
いけ好かないし可愛くないのは、媚びないからだ、もちろん。
自分の大切なものを既に持ち、新しく獲得しようとしないために、ハングリーさがまったくない、まったくない若者はもちろん可愛くない。
だから少し好きでさえある。
おもしろくない女の子たち。
おもしろくある必要のない女の子たち。
満ち足りた、満月のような女の子たち。
私はそれになりたいとは思わないけど、仲良くなれないとも思わないのだ。