カタタ【31/31】

 

 

 

ピカソみてきた。

 

きのう、NHKを点けたら、滋賀にピカソがいっぱい来てると言っていたので、きょう、観に行ってきた。

美術館に行くとほんとうにほんとうに疲れてしまうので、決心がいる。あの疲れ方はほんとうに異様だ。何をするよりも疲れる。途中から、ベッドに飛び込んで眠りこけたいという欲求とただただ闘うことになる。

だからそんなに頻繁には行きたくない。

 

加えて、私はべつにピカソを好きではない。シュルレアリスムを好きでないのと同じ理由で、好きではない。主観的すぎるものは苦手なのだ。

ピカソについての知識もとても少ない。恋多き天才、横顔の鼻と真正面の顔が同居する変な絵、坊主頭、ママが産まれたときにはまだ生きていたこと、ゲルニカ

それなのにどうして日帰りででも、滋賀まで行ってきたというと、小さい頃からみてきたからだ。

なぜか、祖母の家にはピカソの絵があった。あの、キュビズムの時代の、変なパーツの配置の、女の顔と花の絵だ。

今はもうない祖母の家には子ども心に変なものがたくさんあった。指の折れた仏像とか赤い張子の牛とかどう考えても恐ろしすぎる能面とか。そしてピカソはそのなかのひとつだった。

 

それで、まあ、マイマインドにあったので、ピカソが、だから、はるばる佐川美術館。

おもしろかった! とても。200を超える作品と、彼の女性関係にともなう作風の変化(きょくたんな!)、「見たものを描くのではなく感じたものを描く」という言葉。

とくに最後の言葉は、彼の変な絵に関する私の解釈を劇的に変えた。ぜんぶ、表現したいのだろうと思ったら、楽しくなった。女の裸体に、おっぱいも、お尻も、同時に描かれているのをみて微笑んだ。有名な「泣く女」では、多面的な女の性格をキュビズムで表現しているのだと知り、感嘆した。

 

しかしまあ、アフターオール、いちばん印象に残ったのは、彼のエネルギーだ。

80を超えても制作を続けたのだ。晩年の作品はリノリウムを使った版画が多かった、なぜなら、それ以前に使っていた木材よりも、彫りやすいから。たくさん作品を生み出せるから。たくさん作品を生み出す!? そのためのエネルギーに、彼は生涯、溢れていたのだ。

考えてみれば当たり前だ、恋をするには体力がいる。誰かを次々好きになり、人の気持ちを蔑ろにすることは、もちろん褒められたことではないが、とにかく、人を好きになるというのは、それも新しく好きになり続けるというのは、ほんとうに体力のいることだろう。

この世のすべてのなかで、恋にはいちばん体力がいると私は信じている。誰かを好きになること、好きでい続けること、許すこと、許し続けること、魅了すること、魅了され続けること、笑い合い、話し合い続けること。

恐ろしく元気でないと、恋というのは成せない代物だ、と思う。

ピカソエナジーは半端ない、そして、そんな活力に溢れる人間の減る世の中、恋をしない人ばかりのなか、ピカソのようなエナジーに溢れる若者だけが、なにかを生み出し、社会を牽引していけるのだろう。

 

だから、恋をしない人間は植物だ。

植物は静かだ。風に揺れてしか音を立てない。

動かないし、語らないし、なにも好きにならない。

ずっと同じところで、身体だけ老いて、周りを駆け回る動物たちを眺めるだけだ。

恋をしない、恋を求めない人間は植物で、そんな人たちが多い社会で、動物はより大きなぎらぎらとしたにぶい光を放ち、植物の目に嫌に眩しい。"嫌に"眩しいのだ。

そして植物は夢を見る。植物がするのは、光合成と、身体的成熟と、老いと、夢を見ることだけだ。動物になって駆け回る夢を見ること。

 

とか、いろいろ考えられるのはしょうじき、美術館からやっとの思いで家に帰ってしばらくしてからだ。

建物を出る頃には疲れ果て、ほんとうになにも考えられず、音楽さえ聴きたくなく、なにも摂取したくない。今日もただお腹ばかりが空き、バスに乗りながら眠って窓で頭を強打し、とりあえず滋賀に来たということで近江ちゃんぽんを食べた。それが美味しいのかそうでないのかもわからないまま、お腹がぱんぱんになり、暑いなか少し歩き、変な町だなここは、カタタって名前も変やし、TSUTAYAとライブハウスとスタバと町の本屋の廃墟を見て、おいおいカルチャー死す町やないか、若者はひとりもおらんのか、パチンコと家族向け外食チェーン店しかないやないか、なんやこの町、おいピザハットとケンタッキーが合体したお店あるやないか、と思って見ているとその店の前をメガネの白人が通った、なんや、カタタの町はアメリカやったか。

 

堅田という町は、アメリカでした。