ラブアンドヘイト

 

 

 

彼女らの関係はいつまでもラブアンドヘイトだ

 

 

愛して愛して、同じだけ憎み合っているように見える。

彼女は彼を男であるから強く愛している、たとえばうっとりと車のタイヤ交換について(ジャッキをとりだして軽々と、タイヤを換えられる、男というのはやはり)話したりする。

彼女はドラマティックであるため、感情的でジェットコースター。悲劇的でもあり喜劇的でもある、だから、きっと彼にはまったく理解できないんだろう。彼は上機嫌な彼女を好きで、笑って、女として綺麗でいてほしい。紅茶に添えられた角砂糖ほど子どもじみていなくても、たとえばフレンチの前菜におけるエディブルフラワーのようでいてほしいと思っているはずだ。

彼は背が高く大酒飲みで煙草を吸い、低い声で話す、そしてゴルフをする。

彼女はスタイルがよく、ファッションに長けていて健康的で、ほどよく小説や映画を嗜む。

ふたりとも嫌味でないくらいにはブランドものを愛用していて(これは正しくないかも。彼女が彼の成金じみた洋服の趣味を年月をかけて変えたのだそうだ)、ぜいたくな食べ物にお金を惜しまないし、贈り物が好きで、そして、どこででもよく楽しく歩く。

 

じっさい、私にはふたりの関係は理想的であるように見える。

週末のたびに会い、会わない日は電話をして、なにかに気づくたび連絡をとりあって。

求めるものについてぶつけ合って喧嘩して、別れてしまってはお互いがいないことに耐えられなくなりまた元に戻る、その繰り返し。

彼女らの関係にはいっさい生活が宿らず、だからこそずっと愛憎にまみれている。

彼女らは一緒にイオンモールには行かない、ニトリにも行かないし西松屋にも行かない。そのかわりにずっとつかず離れず唯一無二同士であり続け、いろんな場所へ旅行鞄を持って連れ立って行く。

身につけるものすべてが彼女ら同士の思い出をじゅんじゅんに染み込ませているし、場所のすべてが思い出を反芻し語る。生活を圧迫してしまうほどに、生活以外のものにお互いが濃く反映されている。

私はそこに生活の色が差せば終わりだと、炎は燃えていつか尽きるときがきてしまうのではないかと、思うのだが彼女は生活をも望むらしい。

考えてみれば当たり前のことだ、誰かを好きになればそこに破滅しかなくてもすべてを望んでしまうのは、道理だ。

度を失って引き寄せて、離さないでずっと温もりを感じていたい、当たり前だ。

ラブアンドヘイトを繰り返してぶつかっては離れてくっついて、疲れるだろうけどやっぱりドラマティックでナルシスティックな関係は、そのものが美しくてかつ自らも美しくいられると、女性であることを失わずにいられると私は、思うのだが、生活をも望む彼女の同時に私は味方でもあるのだ。

 

愛するだけ憎む。パワフルに、無尽蔵に。

愛おしむのと同じ力で殺したいほど憎むのだ。

彼女も私も、男の趣味があまりよくない。