私たちは死から目を逸らすし、それを私たちによって許可されてる。
もうメキシコの治安終わってる地域みたいにそのへんに死体でも転がってるほうがいいんじゃないのと思う、死者との距離はあまりにも遠すぎる。それは医療の発達のおかげやろうし、死にかけでもなかなか死なない、なのに死の象徴みたいに心身ともに枯れた老人が跋扈しているおかげでもあろう。
ずーーーっと、終活に引っかかってる。
お葬式を準備しておきましょう、下見にどうぞ、ってまるで住宅展示会みたいに。いや、それよりももっと、結婚式場の見学みたいに。
冠婚葬祭、すべて生きてる人のためのもので、
宗教なんてじっさいに信じてる人もいないのにもはや続ける必要もなくて、
それなのにみんなが お葬式や法事やっていろいろ理由つけて集まるのは、死者を偲んでのことで
生活のなかで 痛みを忘れようとして、まともに感じまいとして、死者へ思いを馳せることを意図的に避けるうちに いろいろ遠くへ 意図せず追いやってしまう、そのことさえも悲しんで、せめて時間を作って死者のことだけを考えてその話をする空間を作る、
生きてる人間のコミュニケーション、会話、が主役で
それに宗教的な行事のスタイルがたまたまフィットしてるから採用してるだけであって(今は、ね)
お葬式なんて 生きてる人がやりたければやればいいし、
やる必要もないほどの人間にはやらなくてもいいのに
生きてる間に自分のお葬式の準備をするなんて
愛されたいと願っても愛されず、愛される努力もしない、それなのに形式的なものに縋って、世間体ばかり気にして、
そんな老人の成れの果てに対する悪どい商売じゃないか、お葬式業界の。
なんかいつももやもやする、
綺麗に飾られた会場を見学する老人の画に。
愛されてれば規模が小さくてもなんであってもお葬式も法要もするさ。若者が。