アゲハ蝶?

 

 

 

 

もう私はぜんぶぜんぶぜんぶぜんぶぜんぶぜんぶ!!!!!!ぜーーーーーーんぶ!!ぜんぶぜんぶぜんぶ!!!!!!!!!!!

許したいのだ。

 

許したい。

それが自然の摂理に従っている限り、男性が男性的であるがゆえに、女性が女性的であるがゆえに、人間的な性質のすべてに理由があるゆえに、傷つけたり自己中心的になってしまう人たちをぜんぶ許したい。

 

許したい。許したいのは、けっきょく母親と父親なのだけれども、母親と父親というのは女性と男性の根元にあるものなので、だからけっきょく、すべての男と女を許したい。

 

感情的な女を許したい。女の身勝手さをくるくる変わる気持ちを許したい、独占欲やマウンティングを許したい、怠惰を欲張りをワガママを許したい。

男のぜんぶを許したい。キラキラしたものに心揺さぶられても結局安定を求める馬鹿げた保守を許したい、ナルシズムに基づく庇護欲を身勝手な性欲を独りよがりな構築を根本的な寂しさ孤独を許したい。

 

女のたくさんのものに向く興味を愛したい、飽き性を愛したいし大げさなリアクション、無意味な第三者視点を意識した行動を愛したい、無知を無思考を愛したい。

男の汗を愛したい、虚勢を空洞を愛したい、自己陶酔を理論を美学を愛したい。

 

ぜんぶ許したい。できれば愛したい。

いっときに味わいたい。味わって過去になって過去にされても、というより、常に続くなにかにはなりたくなくて、誰かにとって継続的ななにかではありたくなくて、いっしゅん輝くなにかになりたい、私が続くのは私のなかだけでじゅうぶんだ、

あなたの散発的なエネルギーを愛したい。

エネルギーの暴発を許したい。

ほんのひと匙無責任な優しさで喉を潤したい。

 

 

ほんとうの意味で男みたいな女なんて存在しないのだ。

女はずっとどこまでもなにをしても隅から隅まで女だ。どれだけマニッシュだとしても。だって余分なものがなにもないもの。なにも切り取られない、女性性はどうやったって切り取ることは不可能だ。

 

 

おそうめん

 

 

 

さいころ、と言っても私が中学生で妹が小学生だったころまでは、祖母は1人で住んでいた。

車で10分の距離に、私の生まれる3ヶ月前に亡くなった祖父の遺物たちと共に。

その家で私たちはさまざまなものを食べた。祖母はお料理教室の先生だったから。

いちばん心が躍ったのはなんといっても白鳥のシュークリーム。ふわふわした羽と可憐で華奢な首を持つ、当然シュークリームなので茶色い肌なのに風格を持つ白鳥然とした、あのスイーツ。ホイップクリームの嫌いな子どもだった私は、なかにたくさん詰められたぎっしり重いカスタードクリームが大好きだった。バニラビーンズのつぶつぶ。

あと妙に覚えているのが、湯葉を食べた夜。母と妹と祖母と私、父もあそこにいたかもしれない。みんなで囲むお鍋に、あとからあとから膜が張って、それをすくってお出汁につけて食べた。お鍋に入った乳白色の液体を祖母は牛乳だと言い張った。私にとってはなんであっても不思議な現象と食感でエキサイティングな体験だったのだが、祖母は「豆乳やって言ったら嫌がって食べないと思って」牛乳だと嘘をついたらしい。意味不明の嘘。

そして妹が吐いたのは、お素麺をつける麺つゆにネギを入れすぎたから。ネギがなにしろ大好きで、だからたくさん入れて、入れすぎてその風味によって気持ち悪くなって吐いた。私たちは笑ったけど妹はしんどそうだった。お素麺。祖母が大量に茹でて、そして、冷やして、それらは一口ずつに束ねてお皿に盛られていた。お素麺はそれがスタンダードなのだと思っていた。今、自分で茹でて、自分で冷やして食べて思う。あれはなんというかとても贅沢な食事だったのだと。

お正月には魚嫌いの私たちのために大トロを買ってきて食べさせられた。マグロなんてとくに嫌いで、脂ののったべとべとの大トロはぜんっぜん美味しくなくて残すと文句を言われた。数の子も味が濃くて食感が気持ち悪くて嫌だった。

すき焼きのときには、紙か竹かなんかよくわからないものに包まれた上等のお肉が用意されていた。お野菜のふんだんに盛られた、あのプラスチックのざる。ラードの溶ける匂い。たっぷりのお砂糖とお醤油と、いちばんはじめに私のお皿に菜箸で、入れてもらえる大きすぎる牛肉、あれを、頬張る幸せ。

大好きだったダークチェリーパイ。サクサクのクッキー生地のパイの上に、砂糖漬けのダークチェリーとふわふわの甘い生地。薄いのにずっしりと重い、私のためにほとんど4分の1くらいに切られた一切れ。

 

人は変わる。

人が変わるのは、でもどうしたってフィジカルなことなんじゃないかと思う。

老いるのだ、身体が老いるのだ。

そして老いる前に、たくさんいろいろを経験していろんな場所を見て人と会って愛を重ねて友達や家族をつくって、周りの環境を整えないといけないのだと思う。

すべてとの関係性に、折り合いをつけて、趣味を見つけて知識を蓄えて、老いに備えなければならないと。

 

 

私はさいきんはもうほんとうに何を食べても心から美味しい。

2日前に茄子をごま油で焼いたのをお味噌汁にぼちゃんして食べたら感動的に美味しくてお昼も夜も今日はそれを食べた。夜に至っては丼にお味噌汁をつくって食べた。

オクラが美味しくてたくさん買ってマリネにしてある。ちょっと漬かりすぎて酸っぱいけれど夏なので酸っぱいものは美味しい。

社員食堂のお昼ご飯で出る鯖の香味揚げとかサワラの西京焼きとか、お寿司屋さんでビールと食べる鉄火巻きがもう心から幸せに美味しい。

ほうれん草の白和えが、ひじきの煮物が、トマトのマリネが、白菜のお漬物が茗荷が、ピーマンが、ほんとうに美味しい。

ぜんぶ、子どものころ、祖母の家でご飯を食べていたとき、大嫌いだったものだ。

それらはまったくもって不味くて食べられたもんじゃなかった。

そして私は大好きなお肉をたくさん食べる。昨日も3日前もステーキを焼いて食べた。ウインナーが大好きな子どもだった、そのままいつもアルトバイエルンを冷蔵庫に常備してある。豚ばらの薄いのをしゃぶしゃぶにしてお素麺にぶっこむ。子どもの頃からあなたは肉食やねえと半分呆れられてきた。

 

今が、成熟の遅い私の、子どもと大人のあいだなら。

私が蓄えなければならない事柄は山のようにある。

このままただ歳をとるわけにはいかない。

切迫感が私を襲う。

野菜がお肉がお魚が心からすべて美味しく、読む本に書いている意味がお腹の底からわかり、そして中学の頃から育ててきたそばかすがようやく魅力的なかたちになって、お花の食べ物の人間の匂いがすべて鮮烈に鼻に刺さり、毎日めちゃくちゃたくさん眠る。

このままが続くわけがないと思う。

この、すべてが世界のすべてがまだまだ新鮮で目に刺さりそれを受け入れることのできる柔らかな肉体を持つときに、すべてを、すべてを経験しなければならない。

 

このままここにいられない。早く別のどこかへ行かなければ。

私に残された時間は長くはない。

なにを食べても同じになる、晩年の祖母はよくわからないものばかり食べていた、私にはあれは心から悲しかった、あんなにつくるのが食べるのが好きな人だったのに。

時間は取り戻せない、もし私たちの身体が衰えないなら、すべてが意味をなくしてしまうだろう、輝きを失ってしまうだろう、いつか老いるのがわかっているから、わかっているのに若さを浪費する、諦めてはいけない、先を見据えて目が座ってる若者はゲボだ、立たねば。

歩かねば。

そこに留まるという決断は怖い。決定的な決断なのにそれを下す自覚は少ない。

 

刹那を生きることが未来を生きることだ。

消費的なのではないのだ、理解しなくたっていいけど。

 

 

心に

 

 

 

魔法が、女の子にしか使えないのはどうしてなんだろう。

 

女の子の視線に魔力が宿るのは、たぶん、江戸時代の幽霊に女しかいなかったのとちょっと関係があると思う。

男の人が実際的で現実的なぶん、地面がそういったもので支配されてしまっているぶん、たぶん女は少し浮かなければいけないのだと思う。宙に。

 

私は抱きしめる。信じられないほど熱くて芯のある体温ごと、汗の匂いや硬い髪、わけのわからないほど異質な身体を。

触れて初めてわかる違いにほっとするのだ、男、なんて、きゅうくつな性別に生まれていない自分に、柔らかな脂肪で核心を隠す安心に、少しずるい、不感症のこころ、精いっぱいなにも感じないでいようと、感じないようにしながらなにかをそれでも受信してしまいそうになる、けど、違う生物の、考えることなんてわかるわけないと、空からふわふわつむじを俯瞰して。

 

じっさい男という生き物の機構ほどグロテスクなものはないし女の体臭、私は女の体臭にはもうほんとうに我慢がならない。吐きそうになる。

 

私はちょっと呪いが使える。

人を憎むこともできるし心から嫌悪することもできる、そういう、強い負の感情は、なんらかの作用を起こすものだ。

同様に女の子には魔法が使えて呪いだって使えるはずだ。呪いはかわいくないし怖いからみんな秘密にしてるだけ。私たちはみんな平等に人を、とくに男を、呪うことができる。

 

精神、ソウル、心同士身体抜き、で恋愛するなんて狂気の沙汰だ。

なににってすべてが肉体に宿るのに。プラトニックラブがいちばん気色悪い。射精できずに逃げ場をなくしてただ金玉のなかで腐る精子みたいにくさそう。

ごめんね、ノーオフェンス、誰かを傷つけたいわけではないのだけど、身体で恋をしないならもうメタバースに行けばいいと思ってしまう。

肉体で眠り続けて脳みそだけぎょろぎょろ動く崇高な夢のなかで誰かというそれぞれ名前の自分と生きていく、のは、なんだか、耳に心地よい、優しいランデブー。

 

切って血の出る肉体を捨てれば傷つかずにすむんだろうか。

失恋はもうこんなに、涙がでるほどは痛くなくなるだろうか。

痛みを知らなければ痛みは痛くないだろう。悪いのはだからやっぱり精神ではなく肉体なのだ。

 

 

彼の地、伊勢

 

 

伊勢市一泊二日の旅をしてきました

というか三重県に24時間も滞在してない。だらだらの旅。

 

基本、私がひとりで遠出をするとき、それは旅行でなく旅になる。

行き当たりばったりで、計画性がなく、加えて適当で愚図な性格だ、旅そのものもそうなる。

旅行というのはきちんとしたスケジュールと名産品や名所の列挙に基づく、言うなればタスクの積み重ねだ。

旅は違う。旅はその土地の匂いや風を感じたらもうオッケーだ、何を食べても食べなくてもどこへ行っても行かなくてもオッケー。とかそういうことを昔本で読んだ。

 

出発は14時。前日にビール2杯で酔っ払ってしまったから顔はぱんぱん、低気圧で頭は働かない、でも、決めていた。そろそろひとりでどこかへ行かないといけないと思っていた。

下されてしまった決定には従わなければいけない。当日行きたくなかったって、頭を働かせる必要はない、宿を予約して、そして、そこまで電車やバスに乗って行く。なにも考えずにそれをする、だって、もうそう決めてあるのだからね。

 

そしてほんとうに頭を働かせずに出かけて、Googleマップの経路に反抗したら電車を一本逃してしまった。

鶴橋から乗れと言われていた電車に、上本町から乗ろうとしたら乗れなかった。仕方がないので遅ればせながら鶴橋に行く。暑いし人多いし電車ないし、しんどくなって、居たくなくなり、とりあえず布施まで進む。鶴橋よりも空いていて、いくぶん暑さもマシだ。そしたら、ゲリラ豪雨が見られた。

f:id:nico-fuumi:20230710152102j:image

数十分それを見たり、本(バイブルである村上龍『愛と幻想のファシズム 上巻』)を読んだりしていたら、目の前に来たはずの電車を逃した。

「そろそろくるかな〜」と思って表示板を見ると、その電車の表示はもうなかった。本当にびっくりした。

仕方ないので、もう多めにお金を払って特急で行くことにした。また、暑い鶴橋に戻る。時間があるし、お腹が空いたので、おうどんを食べた。

構内にあるおうどん屋さんは信じられないくらいキンキンに冷房が効いていて、サラリーマンやおばさんがそれぞれひとりで麺類を啜っており、図書館のような眠たげな雰囲気で、

f:id:nico-fuumi:20230710152343j:image

日本人なら誰でも知ってることが、得意げに貼り紙にされていた。にっこり。

そして特急券を買って、列に並ぶ。途中で、反対側のホームに並んでいたことに気づき、急いで正しいホームに並び直して、無事に乗れた。

この時点でもう16時くらいになっていた。

特急電車は好きだ。進行方向に座席が向いているし、窓が大きいし、冷暖房が効いているし、なによりもお出かけの感じがあるからだ。

たとえば難波の駅で、名古屋行きの特急が滑り込んでくると私は飛び乗りたくてたまらなくなる。それに乗っている人が羨ましくてたまらなくなるし、それはなにか今ここではないどこか素晴らしいところへ(つまりこの場合は名古屋なのだが)連れて行ってくれる銀河鉄道スリーナインのような、逃避行の立役者みたいな、親密かつ非日常な素晴らしいなにか、に見えるのだ。

そして伊勢志摩。私はその土地が大好きだ。何よりも小さな頃から連れて行ってもらっている、旅行といえば伊勢志摩。今はもう有名だが、まだ別荘村からホテルになったばかりかなにかでまったく知名度がなかった頃の志摩地中海村に、初めて行った小学生の頃は心が踊った。

ママが運転する車、ぐねぐねと木々の間を抜けると、大きな門があって、到着してからホテルの人が開けてくれる、そして、海。凪いだ海に浮かぶ島々、海からの風に揺れるオリーブの木、ぽつんと浮かぶレストラン棟の温かな明かり、静かでひそやかな白い壁の小さな町、明るいタイルでできた噴水の広場……。

地中海村だけじゃない、鳥羽水族館で見たペンギン、昔ながらの真珠屋さんでアコヤ貝から真珠を抉り出したこと、怖くて嫌なのに無理やり乗らされたスペイン村のアトラクションで顎を打ったこと……。

とにかく、たくさんの初めてのこと、嬉しいことと楽しいことがいっぱい詰まっているのが伊勢志摩……というより鳥羽や、志摩なのだ。

 

それで、伊勢市駅に到着したのはもう18時過ぎ。まだ辛うじて明るい。

到着すると圧倒的な密度で、「夏!」の空気が襲ってきたので怯んでしまった。都会の湿度はコンクリートからの蒸気がほとんどなのだろうけど、田舎のそれは違う、植物の呼気が、蒸散の気配がむんむんするので密度が違う。こっちだ、と思う。私の知っている夏はこっちだ。駅前は日曜日も相まって気だるげで、見るものすべての色がなんとなく褪せていて、よかった。

駅から宿に歩く道すがら、蟹すぎる水路があったので思わず写真を撮った。

f:id:nico-fuumi:20230710155459j:image

この蟹口密度が500mくらい続いていて、夢中になってしまった。彼らは動きが速い。コンクリートの裂け目から姿を現したと思うと溝まで駆け抜けるその姿に釘付けになる。

伊勢市駅から歩いて10分のゲストハウスにチェックインした。

一泊それでも4000円弱。

f:id:nico-fuumi:20230710160354j:image

受付の人がくれたマップ。

f:id:nico-fuumi:20230710160439j:image

頭が働いていなかったので、「伊勢は初めてですか?」と訊かれて「いえ、何度か……鳥羽って……伊勢ですか?」と答えたりして、コミュニケーションがままならなかった。

ままならないながらに「この辺でお散歩して楽しいところはありますか?」と、お散歩に行くのですという意志を示すために訊くと、よくぞ訊いてくれました!という感じで受付のメガネの男性がマップをくれたのだった。「河崎町というところが楽しいですよ!」「僕もよければ一緒に行きますよ!」「もうあと一組しか今日は到着がないし」

私はあんまり意味が分からず、「ええ…?そうなんですか?」という曖昧な返答をしてしまった。男の人は細い体に日焼けして、シルバーのごついアクセサリーをつけているしメガネだし、髪の毛が繊細そうで前に付き合っていた人に似ていたので私は一緒にお散歩に行くなんて嫌だったし、意味がわからなかった。どうして一緒に行くなんて言うんだ?

最終的に「マップありがとうございます!じゃあちょっと行ってきますね!」と言って宿を出てことなきを得た。

ゲストハウスの人ってお散歩についてくるの普通なん??

そもそも、お散歩は友達か家族か恋人とお喋りしながらするか、そうでなければひとりでぐんぐん歩くのが楽しいのだ。どうして何も知らない他人としないといけないんだろう。ゲストハウスを出発してからもしばらく考え込んでしまった。それくらいよくわからなかった。

そして河崎町というところにとりあえず向かう、地図が読めないので道端で睨めっこしていたら、微ロン毛のおじさんが私を追い抜かしながら「何かお探しですか〜?」と言って去って行った。

私は「いやあ地図が読めなくて〜」とちょっと小走りになりながらその背中に返事をした。おじさんが振り返ることはなかった…………。

なんなんや、と思いながら道に迷い、川に出る。

f:id:nico-fuumi:20230710161514j:image

この川には、鯉もいたし、石鯛みたいな縞々の海水魚もいたし、ミドリガメっぽい亀もいた。あとで、水面をキラキラ揺らす小魚の群れも見た。私は汽水域が好きなので川沿いに歩く。

遊歩道が整備されていて歩きやすく、川を通る風は少しだけ温度が低い。すれ違ったおばちゃんが、「こんばんは、夜は涼しいね」と声をかけてくれたので、汗だくの私は「ほんまですねえ」と笑い返した。

迷っているといつのまにか河崎町についていて、昔ながらの蔵の町並みと、いま風なカフェとかが混在していて、たしかにおもしろかった。

f:id:nico-fuumi:20230710162357j:image

古本屋さんや"川の駅"とかもあって、日曜日の夜、ほとんどがもうお店を閉めていたけど、そぞろ歩きが楽しかった。

あと、こんな
f:id:nico-fuumi:20230710162400j:image

"内と外の概念が逆転した家"もあったし、

こんな
f:id:nico-fuumi:20230710162404j:image

シラスという小さなお魚の名前をクジラくらい大きな文字で書いてるお魚屋さんもあった。

変な時間におうどんを食べたのでお腹が空いていなく、「ぎゅーとら」というわくわくするローカルなスーパーに寄るも

f:id:nico-fuumi:20230710162700j:image

なににも食指動かず。

宿に一度戻り、お風呂セットを持って銭湯に行った。歩いて10分、さっきの川沿い。汗だく。

どうして暑い思いをして銭湯に行くかというと、街中で広告を目にしていて、「汐湯」というのが気になっていたのと、宿で割引券をもらっていたからだった。汐湯というのはどうやら、伊勢のどっかの神聖な海水を毎日汲み出してきてあっためてお湯にしているやつらしい。禊のために海水を浴びる文化があったんやって。

でも、大阪でひとりで銭湯に行って、あんまりいい思いってしたことない。銭湯ほど地元に根差した場所はないからだ。排他的な場所で、しかも全裸にならなければならない。素っ裸でなにを隠す必要もない地元のおばちゃん達が大きな声で喋り、お湯に浸かり、サウナを占領している。田舎でも同じだ。

巨漢(敢えて漢という字をそのまま使う)のおばちゃんが、会う知り合い会う知り合いに「体重計乗ったら1キロ増えてたあ、最悪やあ」と言ってて芯から恐かった。

「昨日食事会で割り勘負けしたないから食べてしもて1キロ増えてたあ、また地獄の1週間の始まりやあ」と。

私は「割り勘負け」という言葉があることを知らなかったので、カルチャーショックも相まってめちゃくちゃびびってしまった。

で、汐湯は、ぽかぽかしたけれども、なんかよくわからなかった。たんじゅんにお風呂は気持ちよかった。巨漢おばちゃんは恐かった。

そしてコンビニで買ったカップ麺を携えて宿に戻り、キッチンで食べた。食べていると昼間の男の人が出てきて、少し話した。

彼は北海道出身で、リゾートホテルやゲストハウスのスタッフをしてきており、今度鹿児島に自分のゲストハウスをつくるのだそうだ。

「北海道いいですよね」と私が言うと、「北海道ねえ、なにもないっすよ、住んでる身からすると」と笑った。そういえば私が到着したとき、「このへん別になんもないですけどね」と笑っていた。

今回泊まったところは男女6人ずつくらいドミトリーがあって、ファミリー用の個室も3部屋くらいあったので、運営するにはスタッフが4,5人要るけれども、もっと規模が小さければ1人でぜんぶやることも多いらしい。受付も清掃もサービス類もぜんぶ?超たいへんやな……。とはいえゲストハウスというのはたくさん出会いがあって楽しそうだ。

奈良には来たことがないと言う。「鹿児島行かれる前にぜひ奈良行ってみてください」と私が言うと、「奈良ってでも大仏と鹿以外なんも思いつかないんすよね〜」と言う。「探したらなんなあるんでしょうけどね〜」と。

こいつのやるゲストハウス流行るんか?と思った。

話していると男性のスマホが鳴り、彼は私に失礼をして電話を取りながらベランダに出た。「はい、お疲れ様です、メンヘラで〜すw」。

あーやっぱりこいつ嫌、と思った。

夜の22時過ぎ、カップ麺で満腹の私はコーヒーを飲み、歯磨きをして、『愛と幻想のファシズム 上巻』を読んでいるうちに眠った。

アメリカのホステルでも、コーヒーは無料だった。コーヒーの市民権というのはものすごいものがあると思う。働いているホテルでも社員食堂でコーヒーが無料提供されているし、前のところでもそうだった。

 

まあ、そして次の日、深く深く眠った私は起きてここがどこかわからなくなり、他人のがさごそ動く音でああ、ゲストハウスか、大阪にいないんだった、と思った。

思いながら9時半くらいまで寝た。ゲストハウスのスタッフの人たちは清掃に忙しくしていて、それを尻目にゆっくり用意をし、チェックアウトの時間10時ちょうどくらいにキッチンで地図を見ていると、また昨日の男性が話しかけてきた。

「今日はどっか行くんですか?」私のスマホを見て、「え?賢島まで行くんですか??」、私は何もまだ考えていなくて海に行くことだけ決めていたのでそう言った。

「お伊勢さんは行かないんですか?」そう言われるとお伊勢さんまで数分の距離まで来て素通りというのも憚られる。「僕もまだ行ってないから今日行こうと思ってたんですよ、今日休みだし。一緒に行きますか?」

私は基本的にオープンな人間だし、ゲストハウスに泊まるくらいなのだからよっぽどそうだ。そして今日やることも決まっていない。海にはぜったいに行きたいけども。でも、「ぜんぶ回るなら〜……まあ終わるのは15時くらいですかね」という彼の言葉にビッグ・ノーが出た。

「今から行くとちょうどお昼くらいにおかげ横丁を通るのでそのへんでご飯食べればいいですし」とか言ってる。

「そんなにかかるなら、サワリだけご一緒しようかな……?」私はもう思いきり怯んでしまった。なにが嬉しくてこの"メンヘラ"と5時間もご一緒しないといけないのだ。ちょっとお参りして出てくるくらいならしたいけど、それだって別にこの人と一緒じゃなくていい。

私の気が乗っていないのを察して、「まあ大阪にお住みならいつでも来れますしね、海を楽しまれたほうがいいかもしれませんね」と彼は優しい言葉をかけてくれたので、私はこれ幸いという感じで「そうします!💫」と笑顔になった。

それで、リュックを置かせてもらって身一つ(さいきんハマってるローライズのジーパンのポケットにICOCAスマホも『愛と幻想のファシズム 上巻』もぜんぶ入れて、首にブルーシールのがま口👛かけて)揚々と外に出ると文句なしの快晴!あっっっつい!!早起きの蝉さえ鳴いてる。

少し歩き、バスに乗って浜へ。電車とバスを選べるなら、私は必ずバスを選ぶ。住宅街のなかなど、線路の干渉し得ない生活の場を分け入るのが路線バスのおもしろいところだからだ。

浜の最寄のバス停に着いたら、なんか、豚まん屋さんがあった。吸い寄せられてしまうほど目立っている。どうしてこんなところにあるんだ、と、ほとんど異様なのだ、その姿は。

f:id:nico-fuumi:20230710181324j:image

とりあえず海老マヨの練り物と、豚まんを買った。あつあつのふたつをぶら下げて歩く。

f:id:nico-fuumi:20230710181450j:image

いい感じになるアプリで写真撮って流行りのレトロにしちゃった。
f:id:nico-fuumi:20230710181453j:image

すみません……。

ふつうはこれらです

f:id:nico-fuumi:20230710181639j:image
f:id:nico-fuumi:20230710181642j:image

人は少ないけどちらほらいて、なんか赤福のお店もあるし、海辺ってだけじゃなくて観光地なんかなあ〜と思いながら歩いた。

f:id:nico-fuumi:20230710182108j:image

二見浦!

って見て思ったんやけど、難波に「二見の豚まん」ってあるよなあ?あれ一回しか食べたことないけど美味しくて好きやけど関係あんのかな。

f:id:nico-fuumi:20230710182111j:image

風がぶわぶわ吹いていて気持ちいい。海からの風にときどきひとすじ、冷たいものが混ざっている。炎天下歩いてきてあっついけど、影は居心地がよかった。座って、

f:id:nico-fuumi:20230710182447j:image

食べる!!
f:id:nico-fuumi:20230710182450j:image

豚まんにはちゃんと辛子つけてくれてて、餡には胡椒がたっぷり効いてて、美味しかった。

海老マヨの練り物は海老がいっぱい入ってて罪な味がした。

しかし練り物を食べながら私は考えた。この小ぶりのエビたちは、ぜったいに伊勢湾で獲れたものではないだろう。背わたの取りきられていないエビは、たぶん冷凍だ。ふんだんに入れてくれていて贅沢な感じがして嬉しいけども、これは目の前の海から獲れたものではない。

これはなんというか大きな矛盾を孕んでいないだろうか。目の前の海でも当然エビは獲れるはずだ。伊勢エビみたくブランドものでなくても、ふつうのエビが。それなのに、たぶん外国の、冷凍された、大量に獲れるエビを購入して飛行機やトラックに載せてここまで持ってきて、それで練り物に入れて揚げて販売する方が土地のものを買って売るより安いっておかしくない?

それを二見浦の海を見ながら食べても、私の食と景色は繋がらない。なんかうっすら詐欺にひっかかったような気持ちになった。これはおかしな話だ。だって豚まんの豚に関してはどこから来たかなんて気にならないんやから。

まあぐだぐだ考えながらぺろりと平らげて、石垣の先端まで歩く。
f:id:nico-fuumi:20230710182453j:image

フナムシいない。嬉しい。

遠くでクレーンが

f:id:nico-fuumi:20230710183817j:image

がしっとものを掴めるように爪を持った先端でなにかを動かそうとして頭を振っているのをニヤニヤしながら眺めた。

大きくて鈍い生き物みたいなクレーンは見てておもしろい。ゆったりした気持ちになる。穏やかでファニーだった。

海辺は松の防風林で、そのすぐそばに旅館が続く。荒れ果てたお庭や古い窓辺を眺めつつ歩いた。

アシカ。
f:id:nico-fuumi:20230710183820j:image

犬みたい!

f:id:nico-fuumi:20230710184107j:image

ここの旅館、潰れてるんかなと思って眺めてたら、
f:id:nico-fuumi:20230710183823j:image

白髪のロン毛の女性の後ろ姿が見えてめちゃくちゃびびった。見てたら、白人で髪の毛を白く染めた若い女の人やった。こういうところって確かに外国の人は好きそう。私だって誰かとなら泊まりたいもんな。ひとりじゃぜったい無理やけど。

f:id:nico-fuumi:20230710184313j:image

旅館 海水浴って書いてる
f:id:nico-fuumi:20230710184316j:image

けど、この辺りの浜は砂浜じゃなくて砂利とか石の浜なので、海水浴客はあんまりいなさそう。

見えづらいけど
f:id:nico-fuumi:20230710184319j:image

現役の車運転ゲームがあったのは、
f:id:nico-fuumi:20230710184322j:image

旅館まつしん。ここは結構かなりガチで泊まりたい。合宿とかしたいなあ。

この辺りまでくると、なぜか人が多くなってきた。外国人もちらほらいる。

みんな、なにしに来てるんやろう?と思ってたら、見えてきた。

f:id:nico-fuumi:20230710184702j:image

夫婦岩だ!!
f:id:nico-fuumi:20230710184708j:image

むかし、夫婦岩を模した白餡のお饅頭が大好きだった。伊勢に来るたびに食べていた。だから親近感があるけど、今の私にはまったく関係ない、いちばん遠いところにある言葉だ、「夫婦」なんて!

だから、友達夫婦やカップルが末長く一緒にいられますようにとお願いしておいた。f:id:nico-fuumi:20230710184705j:image

緑の濃い山と白い山。

そして、夫婦岩を越えて歩くとお土産屋さんと水族館のキメラがあった。

f:id:nico-fuumi:20230710185531j:image

フィルム風カメラ混ざってる。
f:id:nico-fuumi:20230710185534j:image
f:id:nico-fuumi:20230710185537j:image
f:id:nico-fuumi:20230710185540j:image
f:id:nico-fuumi:20230710185543j:image

↓典型的な日本の夏。お水と麦茶とポカリの売り切れた自動販売機。
f:id:nico-fuumi:20230710185546j:image
f:id:nico-fuumi:20230710185549j:image

看板に、"伊勢シーパラダイス"って書いてたんやけど、パラダイスって言葉昔の人好きよな。私も好き。

なんか、得体の知れないよいものでできていて、そして少し堕落した、退廃的な、甘い誘惑に溢れた場所のこと、って感じがする。余分なものでできた、貧乏な人の溢れる時代には悪になりうる、なんでもある場所のような。

今ってパラダイスはあるかな? もうないんじゃないかな。平成の中期でなくなったんじゃないかな。だから私は昭和期に惹かれるのかもしれない。

今、欲望はすべてにそれぞれ対処する場所があり、そのすべてにはそれぞれの名前がついている。"パラダイス"なんて曖昧な言葉を誰も使わない。お魚を観るなら水族館、お風呂に入るなら銭湯、女の子と飲みたいならキャバクラ、異性と付き合いたいならマッチングアプリ

パラダイスはカオスを内包している。シーパラダイスからはさかなの匂いがして、アシカの鳴く声と勢いの良いJ-popが流れ出てきた。なんでもありなんてこと、もう今の日本であるかな? アンダーグラウンドにはあるのかな? それだって、酒と薬と女、という名前がついているのではないかな?

 

パラダイスを冷やかして、JRの駅に向かい、炎天下を歩いていると現役で営業しているのに明らかに時代遅れな民宿や観光ホテルがたくさんあった。

これはそのうちのひとつ。

f:id:nico-fuumi:20230711000635j:image

"残酷焼き"っておもしろいな。生きたまま魚貝類を火にかける調理法よな? 残酷やとわかっててやってるなんて、歪んだ快楽だ。

国道っぽい道の脇には水産会社があって、働いている人がホースで道を流していた。生臭さが辺りに広がる。それに反してキラキラキラキラ、新鮮なお水が太陽を反射して輝く。道を轟音を立ててゴミ収集車が通って、また違う強烈な臭いが漂った。

道には車がひっきりなしに通るけど、人はひとりも歩いていなかった。田舎の人は歩かないし、そうでなくても暑すぎた。

道端に、"民話の駅 蘇民"という看板が出ていて、さらにブルーベリー味のソフトクリームの垂れ幕がかかっていたので、迷わず入った。

民話の駅ってなんや、あと、蘇民ってどういう意味や、と思いながら入ったけど中が涼しすぎてどうでもよくなったから結局意味知らない。

牛乳のソフトクリームにしたら、めちゃくちゃ盛ってくれた。
f:id:nico-fuumi:20230711000638j:image

量は、サービスとかじゃなくてスタンダードっぽかった。ちょっと冷蔵庫の味した。

蘇民って今Googleで調べたら、風土記に載ってる人の名前なんやね。一応施設のなかぐるり見たけど説明どこにも書いてなかってんもん)

かんかん照りの外が、ちょっと明度下がってきたし、ソフトクリームで汗もひいたので外に出た。さっきまで晴天だったのが、雲が多くなってきている。歩きやすいやん、と思った。

そして民話の駅の裏手を何気なく見た。すると!!

大好きなお花が咲いていた!!!

f:id:nico-fuumi:20230711002028j:image

大量の蓮の花!!!!
f:id:nico-fuumi:20230711002031j:image

見渡す限り!!まさにヘブン!!!
f:id:nico-fuumi:20230711002037j:image

まるで豆柴カフェに来たかのように、かわいーーー!!!と言いながら写真を撮りまくった。
f:id:nico-fuumi:20230711002041j:image

ほんまに蓮の花って完璧。大好き。上品で浮世離れしてる。清廉やのに派手。ぼてぼてと花びらが多いのにやらしくない。ほんとに大好き。

と写真を撮ってる側の空はまだ青いんやけど、この右側の空は雲で真っ白。気づくと、どんどこどんどこ言い始めている。

私は先を急ぐ。ごろごろごろごろ言っている空に向かって「めちゃくちゃキレてるやん」と独り言を言う。雷様が口角を吊り上げて太鼓を叩いているところを想像する。

駅は小高いところにあって、おまけにバス停みたいな"ひさし"しかない。さすがにびびった。避雷針が近くにある。ってことはそこそこ危ないってことやん!

f:id:nico-fuumi:20230711002937j:image

駅からの景色。
f:id:nico-fuumi:20230711002940j:image

人っこひとりいなくて、赤い文字の「真珠漬」はちょっとかなり怖い。

そしてたちまちざあざあの雨が降り、空がピチピチ光る。動画を録ったけど載せられないのが残念。ごろごろどかんという音と、雲に電気の跳ねるのが、混ざって見えて聞こえて、死んだら嫌だなと思ってめちゃくちゃびびった。

本来、そこから鳥羽のほうまで行こうと思ってたけど、雨がざあざあぶりなので諦めて、伊勢市行きの電車が先に来たのもあって、乗り込んだ。

乗り込んだのだが、ワンマン車両で、ボタンを押さないとドアが開かない仕組みになっている。ホームに滑り込んだ電車の、当然ながら目の前にあるドアのボタンを押して私は開けようとする。ひさしのないところに行くと、大粒の雨に打たれるからだ。開かない。締切の文字。大雨のなか、電車から車掌さんの声が聞こえる。「真ん中の車両から乗ってください」。

真ん中の車両は、大雨のなかだ。

「あのさあ、」だったか、「ふざけんな」だったか、「はあ?」だったか忘れたが私はとにかく悪態をついた。「いかれてんのか?」だったかもしれない。「開けろや!」だったかも。

たしかに、真ん中の車両の真ん中のドア付近にしか整理券の機械はなかったし、整理券がなければ乗ってきた駅がわからないから精算が不便かもしれない。

でもじゃあ私が乗った駅だけあんなにひさしちっちゃかってんし、私しか乗らへんかったんやから例外で私の目の前のドア開けてくれてなにの損がそっちにあるわけ??????乗り込む私に「真ん中のドア使え」ってアナウンスできるなら、乗り込んだあとの私に「真ん中の車両の整理券とれ」って言えない理由はないやろうが!!!!何のためにアナウンスの機械あるおもとんねん!!!私は怒り心頭で、びしょ濡れで電車に乗って、車掌さんを睨んだ。彼は運転中でこっち見てなかった。めちゃくちゃムカついた。意味のないびしょ濡れだからだ。

ほんとに尋常ではない雨なのだ。

f:id:nico-fuumi:20230711002944j:image

乗客のみんながみんな窓の外を見物するほど。

降りるときにぜっっっったいに質問しようと思った。「あれってドア、真ん中のやつしかほんとに開かなかったんですか?笑」って。ムカついてた。でも、まあ、降りるときには気持ちも収まったのでやめておいた。嫌な気持ちがぶり返すだけだからだ。「すみません」と謝られたって、「決まりですから」とキレられたって、私がびしょ濡れになったことには変わりはないのだ。悲しいけど。

ガチギレで伊勢市駅まで戻って、しばらく狐の嫁入りお天気雨を眺めたら、止んだので駅を出た。

なんとなくお腹が空いていて、お伊勢さんの参道にあるお店に入り、近江牛の串を買った。

f:id:nico-fuumi:20230711004509j:image

接客は終わってたけどお肉は美味しくて、歩きながら食べてちょっと機嫌が直った。

外は暑すぎるのでやっぱりあんまり人がいなくて、私はとぼとぼ歩く。宿に荷物をピックアップしに行こうとしていたのだが、まったく反対方向に歩いていた。

どこかへ旅行に行って、宿と駅と周辺の地理がわかってくる感覚が好きだ。好きやけど、方向感覚が終わっているためになかなか思い通りに歩けない。方向感覚が備わってないのに周りの景色は見たことがあるため、合ってると確信して地図を見ないからいつも余計に歩くことになる。

うろうろしてると見つけたお豆腐屋さんで

f:id:nico-fuumi:20230711004859j:image

飛竜頭を買った。

ひりょうず、または、ひろうす。

小説のなかでしか見たことのない食べ物の看板が出ていたので、昔ながらすぎてめちゃくちゃ入りにくかったけど、一回通り過ぎてやっぱり入った。

店内は真っ暗で、おじいさんが奥にいたので「すいません」と呼んだ。なんか思っていたより小さな声しか出なくて(珍しく)、2回呼んだら来てくれた。

「ひりゅうず……ひろうす?ください」

おじいさんは怪訝な顔をしながら「ひりょうずね、110えん」と言って、素手でひりょうずを掴み、ビニール袋に入れてくれた。
f:id:nico-fuumi:20230711004902j:image

飛竜頭(と禿げてるマニュキア恥ずかしい)。ぜんぜん味なかったしぱすぱすだった。でも、中にしいたけとかピンク色の生姜とかいろいろ入ってておもしろかった。これが飛竜頭かあ、と思った。

関東はがんもどきで、関西は飛竜頭と同じものを呼ぶらしい。がんもどきも飛竜頭にもどちらにも馴染みのない私には新鮮だった。読んだことのある小説では確か、主人公の元旦那が新しい奥さんと新しい家でひろうすを揚げているシーンがあった。

そして、味がない(たぶんお醤油とかをつけて食べるんだろう)飛竜頭を平らげて宿に戻ると、誰もいなかった。

「荷物もらいまーす!」と声をかけると、事務所から例の男が顔を出した。「おかえりなさい!雨大丈夫でしたか?」。

私はにこやかに返事を(「ちょっとだけ降られたけど大丈夫です」)しながら、おるやんけ、と思った。お伊勢さんにお詣り行くんちゃうんかい。そんなんやからこの辺なんもないって結論になるんちゃうんかい。まあどうでもええけど。

宿を出て、また駅に向かい、電車までまだ時間があるので、参道のカフェに入った。

なぜかお腹が空いていて、大きなカステラを頼んでしまった。

f:id:nico-fuumi:20230711010655j:image

後悔したことには、ソフトクリーム乗ってた。これって何人かで食べるやつよな?

でも美味しかったし、コーヒーがとっても、めちゃくちゃ美味しくて嬉しかった。

そして駅に戻り、トイレに行っている間に乗るはずだった電車を逃して、次の電車を待っているときに気づいた。

ポケットの『愛と幻想のファシズム 上巻』がない。

民話の駅でトイレに行ったときに、落とさないようポケットから出してその辺に置いたことがフラッシュバックの稲妻のように蘇る。

ああ。私のバイブルが。

誰か見つけて、そして、読んでくれますように。

一日中、おしりポケットに入れてたけど一度も読まなかった。歩いたり見たり食べたりしてて読む時間もなかった。ちょっとかっこいいかなと思ってた部分が確かにあった。尻ポケットに文庫本って、ちょっと渋いかなって、芥川龍之介か誰かの小説の主人公もやってたかなって、あと江國香織の小説の主人公の親友の恋人もやってたし、だから、かっこいいかなとか思って。『愛と幻想のファシズム 上巻』は分厚かったから座るのにも邪魔やったけど。

かなり凹んで、電車の中でどうしても読むつもりだったのにと萎えて、帰りしなに梅田で買って帰ろうと思って特急に乗った。

すると、ぜんぜん本読んでる暇なかった。びゅーんと走る列車を取り巻く気候が目まぐるしく変わって飽きなかったし(また雷がぴかぴかして、あと、雨を風が巻き上げて田んぼの上空を霧みたいに彷徨ってておもしろかった)、

f:id:nico-fuumi:20230711011258j:image

ブログを書き始めていたし、サザンを聴いていたからだ。

サザンはいいなあ。

そして上本町で近鉄電車を降りて、近鉄百貨店の本屋さんでロザンの菅ちゃんの『京大芸人』を買って帰った。

ほんとは『愛と幻想のファシズム 上巻』が欲しかったけどなかったので、Amazonで注文した。

『京大芸人』はもう読み終わったけどめちゃくちゃおもしろくて、地下鉄で読みながらくすくす笑った。

帰宅して散歩するとひまわりが咲いていた。

f:id:nico-fuumi:20230711011611j:image

夏だ。夏って好きだなあ。

やっぱりちょっと、憂いしなあ。

 

そして私の旅。

このあいだ、友達とコンビニに行って傘を買ったとき、店員さんが包装を剥いてくれたので私は、「剥いてくれてありがとうございます」と言った。すると女性の店員さんはフル無視をした。「え、無視?」という言葉さえも無視したので、友達は笑って、「なんでそういう目に遭うんでしょうね?」と言った。「そういうこと多ない?」と笑った。そうだ、そういうことは私の人生に(たぶん最近になって)、多い。

今回の変な人たちもそうだと思う。

私はひとりが好きで、ひとりでどこへでも行けるが、基本的に他人を常に求めている。書いてないけど夫婦岩の前で写真を1人ずつ撮ってたおばちゃんに積極的に写真撮影をしてあげたり、普段の生活でも電車で隣の人たちが道の相談とかしてたら声かけちゃう。というか他人との繋がりを拒否してる人間がゲストハウスになんて泊まらない。

だから、たぶん、関わろうとするからいちいちムカついたり傷ついたり拍子抜けやったりキモかったりする。関わらなければ無のはずだ。

でも関わってそれにいろいろ感想を持つのがおもしろくて、やめられないのだ。文句ばっか言ってるけど、でも、やっぱりおもしろくて笑いながら文句言っちゃう(大雨電車の車掌お前は別)。

とうぜん、景色や名勝を存分に観るのだって土地のものをたらふく食べるのだって楽しみのうちのひとつやし、それだけでもひとり旅って楽しいと私も思う。思うし、人間以外のものを徹底的に楽しむ旅行なら絶対に嫌な気分になんてなる隙がないだろう。

でも、まあ、なんでなんやろう、人から好かれにくいし人のこと好きになりにくいのに人との関わりを欲してしまう。他人の気配に安心してしまう。

旅の最悪なところは、帰宅しないといけないところ。ひとりぼっちの家に帰るのはほとんど恐怖で、だから帰宅してからも散歩に出かけてしまった。旅が終わらなければいいのに!なんて願ってしまう。

だからまたすぐにどこかへふらっとひとりで行く。行かないではいられないから行くのだ。

 

 

 

 

 

手を振り上げて腰を揺らして全身で音楽を感じる、それはなにか小さな生き物の鼓動、心臓の脈動そのもののような、火傷しそうに熱いのに手を触れずにいられない、握りつぶす勢いで放さずにいられない、じゅうぶん程度に危険なエナジー

 

青い青い髪の、青いから温度の高い憂鬱さ漂うアンニュイな声と動き、もれる笑みが信じられないくらいにセクシーで、セクシーという言葉がぴったりなのに男性的でも女性的でもあるなんてアンバランスであるからこそ強烈な魅力が小さな身長から発散するリズム

 

瞬間、それしかない、瞬間それしかない、今でしか私たちは輝けない、私たちには今しかない、それは消費なんかではなくて、刹那的なんて儚さとは無縁で、ただ汗が空気に溶けて湿度が上がる、笑顔が目の鈍い光が、力強い光線その狭く鋭いあるいは広く淡い種類なんて関係なく、とにかく、もう、電子レンジの効かない鮮度で私たちは生きるのだ

 

 

 

 

Stay young!!



映画観るの向いてないで

 

 

 

サンクチュアリっていう、ネットフリックスオリジナルのドラマがめちゃくちゃおもしろかった。

母親が少し前にかなりハマっていて、強くおすすめされていたのだが、なにしろ題材がお相撲。

人生で、『アイシールド21』というアメフト漫画でしかスポーツに夢中になったことはない。しかも日本の国技?? っかぁ〜興味ない。伝統とはおしなべて自分とは離れたところで観光化されているものであり、生活とは完璧に切り離された場所にある。お相撲? ビッグ・ノー!

 

母によると、俳優さんが全員完璧にハマり役で、かっこいいの一言に尽きるとのこと。

それで先週くらい、軽い気持ちで再生したら最終話手前まで夜なべして一気に観た。めちゃくちゃおもしろかった。

 

でも、観ながらずーっと気になっていたことがあった。

ネットフリックスに登録している人は知っていると思うけど、チャプターを再生するごとに、画面の左上に注意書きが出る。

たとえば、「16+(言葉づかい)」とか出ていたら、登場人物がしきりにfuckとかshitとか言うので教育に良くないですよ、という注意喚起になる。他にも、暴力や性描写など、レイティングは細かく設定されているようだ。

そして、サンクチュアリ

再生するたびに、左上に、「16+ 自殺」と出るのだ。

 

いや、自殺て!!!!!!!

それってネタバレやんか!!!!!

許されへんわ!!!!許されへんわあ!!!!!!!

 

暴力とか性描写とかは書いてくれてもいい、気にならない。

愛も暴力もどんな映画にだって出てくることやし、それによって展開がわかってしまうわけではない。パッケージみたいなものだ。イタリアの街並みみたいなもの。サーフボードみたいなもの。核心にもちろん迫りうるが、物語の筋には言及せずにすむ要素のひとつでしかない。

だが自殺。

これはもう、完全に展開だ。大いなるネタバレだ。死だってもちろん、愛や暴力と同じくらいにどんな映画にも登場するものだ。しかし、自殺はその限りではまったくない。自殺はそれだけで物語だ。きっかけで、起承転結における転で、内容で、シーンだ。

サンクチュアリを観ているあいだずーーーーっと、「このなかの誰かが自殺するんだ」と考えていた。考えていたし、物語が進むにつれて誰がそうなるのかも読めて、そして、それが読めていないほうが面白くドラマを観られた。

 

わかる。

 

自殺が苦手な人、じっさいの辛い体験と重なってしまいトラウマになっている人、危険を避けたい人がいることは理解できる。

その人たちのために、その人たちが地雷を避けられるように、指標を立てているのはわかる。

わかるけど、わかるけど、わかるけど!!!

 

中学生の頃、初めて友達と16禁の映画を観たことを思い出す。

それは映画版の『大奥』で、柴咲コウが主演のやつだった。なぜって当時大好きだった関ジャニ∞の大倉が出ていたから、私は観るっきゃなかった。

制服でドキドキしながらチケットを買った。だってまだ13歳かそこらだったから。

年齢によるレイティングで隠されたその向こう側になにがあるのか想像もつかなかったし、背伸びしてそのなかを覗き込むときの高揚感と背徳感は、他のなにとも比べられない。

映画のなかで描かれていたのは、ネットフリックスの基準で言うと「性描写」と「自殺」。でも映画館のスクリーンにはそんな注意喚起なんて書いてなくて、ただ、「16歳以下の子どもは観てはいけない映画ですよ」と大人にいちおう注意されただけで何がだめかなんて私たちはぜんぜん知らなかった。だからもちろん刺激的なそれらに対して心の準備なんてできていなかったし、だからこそ衝撃も大きかった。

 

だってでもさあ映画ってそういうものなんじゃないの?

受け身をさんざっぱらとって再生する映画があなたに傷をつけるの?

パッケージだけではわからない何かが確実にディスクの(フィルムの、テープの、ファイルの、)なかにはあって、それを実際に2時間や3時間やそれ以上の時間、じっくりどっぷり初めて観るからかけがえのない質量を心のなかでしっかり保つのでしょう。

なんでも「予期していなかった」から素晴らしいし、展開からその先を予期できたとしても、予期したその過程にまた価値が生まれるのではないのか、物語って、べつに、要素を、並べたものではないはずだ。

圧倒的に押し寄せる物語の波に、言葉の風景の仕草のシーンの波のなかに、それにまともに打たれて波が引いたあとに、まだ残る何かがあなたに残った「なにか」だ。

 

もっと言えば、

16歳以下だってなんだって、

おい、

ぼけ、

性描写や汚い言葉づかい、暴力や自殺などなど、センセーショナルな出来事に

拒否反応が出るやつ映画観るの向いてないからな!!!!!!!!!!!!

ぼけ!!!!!!!!!

黙って韓流ドラマだけ観とけ!!!!!!!!!!!!!!!!さよなら!!!!!!!!!!!

 

 

 

 

「25+ 韓流ドラマが悪いって言ってんじゃない」というレーティングつけとこっと

 

 

 

最高に楽しい土日の日記

 

 

最高に楽しかったこの土日の話。

 

まず、土曜日はお買い物。

友達と6月末に行く沖縄旅行に向けて、水着を買いにりんくうのアウトレットに行った。

当初は難波の予定だったが、難波まで行くならりんくうまで行こうよという謎の提案に友達が乗ってくれたのだった。

電車で1時間超の、いわばプチ旅行だ。帰りしなに友達が言った、「遠いところに来た感じがするのにサイクルショップあさひとか言われると大阪かあ!てなって変な感じ」という言葉通り、気持ちはちょっとしたトリップなのに大阪府内で遊んでて周りは大阪人ばかりというのは変な感じだ。

それにしてもアウトレットというのはどうしてああも心をわくわくさせてしまうのだろうか。さいきんできた門真の三井アウトレットパークなんてしょうじき私は大好きだ。ミーハーでもいい。さっきも、用もないのに外観だけ見にチャリを飛ばしてきた。

大きい、というのがまず美点だ。大きな建物と広い敷地。たくさんの人々。やっぱりお祭り、晴れの日が好きな私なので楽しそうな"みんな"を見ると自分も楽しくなってしまうのだ。

そしてノリのいい友達。たくさんのお店をぶらぶら見て周り、「今日は買うぞ!」という心持ちであったにも関わらずお喋りとウォーキングだけが進んでいっさい開かないお財布。

というかお昼ご飯にトンカツを食べたのだが、それがずっとお腹いっぱいにさせてきて買い物の気持ちにならなかったのもある。前の買い物でもこの失敗をしたというのに、またした。だってぜんぶ楽しみたいんやもん。

けっきょく、13時にアウトレットに着いて買い物が始まったのが17時だった。友達はレイバンでサングラスを、ビームスでニットの帽子を買った。めちゃくちゃ似合っていてイカしていた。でもニットの帽子を沖縄に被って行かれないことにあとで気づいていておもしろかった。

私はさらに長い時間何も買わなかった。大好きなZARAとGAPとラルフローレンと、それからトミーヒルフィガーとかナイキとかをいろいろ見たのだが、ぴん!とくるものがなかった。

しかし18時過ぎくらいに、「これからテニスしに行こうか」という話になり、そうなるとスカートを履いているのでそれは難しい、そういえばジーンズが欲しかったんだった、というかラルフローレンの王道のTシャツが欲しい、となり、19時から閉店の20時まででGAPでジーパン(ローライズで昔風でかわいい!)、ラルフローレンでTシャツ(真っ白でポロのマークがさいこう!)を買い、閉店していく店々を横目にアウトレットを去ったのだった。

そしてそこから、たくさん歩いてへとへとの身体を引きずって、難波まで戻り、スポッチャへ。友達は「お腹空いてないけど甘いものを食べたい」と言って、コンビニで餅スイーツみたいなやつを買ってスポッチャに着くまでに食べていた。補給やんか。

21時くらいに入ったスポッチャでは、バッティングとテニスとダーツをして90分遊んだ。

テニスが目的だったのだが、びっくりするほどラリーが続かなくて、2人ともへとへとになった。お互いにサーブしかしていないのに。

とにかくもうへとへとになって、汗びしょになって、スポッチャを出て三田製麺所でつけ麺を食べた。「餃子を食べるなら麺は小盛りにしよう」と言い合って、10時間ぶりの食事を楽しんだ。夜なかの11時に。「これぜんぜん並盛りでいけたやん」。

とにかくとにかく楽しんで、水着を買えずに、素面で、終わった土曜日。へとへとになるまで遊べるのはやっぱり素面の日だなと思う。友達は、中学の友達なので、やっぱりお昼に遊ぶのがしっくりくると思う。とはいえいつも終電まで一緒にいるのだが。中学生の気持ちのまま大きな声で笑って、身体的にへとへとになるまで遊ぶ。なんて気持ちいい日だと思う。最高のいちにち。

 

そして日曜日。

大好きなアーティスト、SIRUPのライブに友達と行った。

ライブは18時から、集合は15時から。ご飯を食べてから行こうね、と言って集合したのだが、お酒好きの友達と私は、「やっぱり……景気付けに飲んで………行くよな?」と、示し合わせたように居酒屋に吸い込まれた。

そこで喋りながら私はビールと翠ジンソーダを2杯、友達はビールとサワーと翠ジンソーダを飲み、たくさん食べた。

SIRUPは最高であるという話、サークル時代の話、今遊ぶ友達の話、友達の友達の話などをしていたら酔った。

ライブ前であるのに、しっかり楽しく酔った。しかし酩酊というわけでもなく、ちゃんと入場に間に合うように居酒屋を出て、チケットの発券をしに会場近くのセブンイレブンに入る。

私は「ジンソーダ飲んじゃったりして〜」とか冗談で冷蔵庫の缶を撫でる。「飲んじゃおよ」と友達は笑う。「飲んじゃうかあ!!まだ行列やしなあ!」私たちはそれぞれ缶を手に手に、おつまみを1つずつ取って、チケット発券もちゃんとした。

私も友達も、ライブハウスは初めてである。横断歩道を渡りながらプシッ!と軽快な音を立てて缶を開け、zepp nambaの行列の勝手がわからずうろうろする。お酒を持ちながら。

そしてとうぜん、並んでいる間に飲み干して、いざ入場となったら友達が「ドリンクさあ、アルコールあるで!」、ライブというのはワンドリンク必ず買わなければならないようである。そのメニューには、しっかりチューハイとビール。「飲むかあ!!!!」

入場して前から5、6列目くらいを陣取って、飲み物をもらいに行く。私はビール、友達はチューハイ。当然、マナーとして、ライブが始まる前に飲み干す。直前に物販で買ったタトゥーシールを、私のボトルウォーターでぺたぺたつける。つけて、写真撮って、お酒飲んで、笑う。

そしてライブ。奇跡みたいに楽しかった。SIRUPはかっこうよすぎるし、みんなノリ良くて私たちはほどよく酔っ払っていてノリノリで、プチョヘンザして楽しみまくった。SIRUPはほんとに人懐こく笑う人で、魅力的で、奇跡みたいに湿ったいい声をしていて、歌が上手い。そして大阪弁でよく喋る。親しみやすいのに遠くて輝いていて、そのアンバランスさがまた魅力に深みを与える。

そしてライブが終わって、(「素面なったわ」「シラッフなったってか」!)友達は「明日有給とってんねん」と言った。

私は次の日、完全に働く。朝から働く。

でも、いいライブを観た後、すぐに解散するなんて寂しくてできない。

それで、歩いて歩いて日本橋まで戻り、立ち飲み屋へ。そこでビールとレモンサワーと追いサワー2杯、あともう何飲んだか覚えていない。2人でライブの熱い感想や下ネタを喋り、もうここでたぶん泥酔していた。

そして時間は深くなり、味園ユニバースへ。スナックがたくさんあるのを知っていて、友達もその雰囲気が好きだと思ったのだ。

そこでまた、「SIRUPがイメージキャラクターをしている」という理由でジェムソンを飲み、STONESという名前のジンジャーのお酒を飲み、あともう何を飲んだか覚えていない。ただ、マスターがめちゃくちゃナルシシストで、べろべろの私は調子に乗っていて、なんか気分悪い退店の仕方になった。

お店を出て、友達は「あなたはいつも出禁になるなあ!」と笑った。私も笑った。たしかに友達と前回飲んだとき、酔っ払いすぎてしょうもないお店を出禁になったところなのだ。

その友達とお酒を飲むと、無敵の気分になってしまい、そしてそれを彼女はまた焚き付けるので、調子に乗ってしまう。私たちは、私のせいなのだけれども、排他的で朗らかに上機嫌でたぶん他人からすると感じが悪くなってしまう。私たちだけで楽しいのに、存在を主張しすぎるのだ。まあいい。べつに、私たち以外しょうもない人たちしかおらんし。

そして私たちはそれぞれ、タクシーに乗って帰った。1時くらいで、終電からは1時間くらいしかすぎていないけど、帰った、もうとにかく、ふたりともしこたま、酔っ払っていた、当然だ。いちにちお酒を飲み通しだったのだ。

タクシーを使うことなんてぜんぜん厭わなかった夜だった。あんなに素敵なライブを観て、観た仲間と共有する夜を少しでも長く過ごせるならよかった。

最高のいちにち。

 

そして次の日、朝からトイレに駆け込み、電車の揺れに耐え、息も絶え絶え、出勤したのだった。

 

最高に楽しい土日だった。

という日記でした。