男の人と、関係性を結ばずに、ただ欲望のままに、接していて気づいたことがあります。
欲望は関係性を破壊する罠だということです。
目の前の男の人を知りたいと思うと、肌の質感や匂いがどうしても気になってしまって、そう感じていることが相手にも伝わってしまって、それで一瞬の以心伝心は嬉しく、それに伴う気軽な関係は楽しい。
単純に見た目を褒め合って、表層的な性格を褒め合って、慰め合ってくっついて眠るのは心善いことです。
けれども、そこには関係性がない、あるいは、少しだけ築いた関係性が一瞬で破壊されてしまうために、やっぱり性行為のあとにはなにも残らないのです。
考えてみれば当たり前でした。
女の子と仲良くなるのだってかなり時間がかかります。
話していて楽しいと思っても、簡単には食事には誘えません。というより話していて楽しい段階までお互い気を許すのにも時間はある程度かかるのです。
それがどうして異性になれば、一瞬で関係を築かれると思うのか。
たぶん、見つめあってぱちぱちと何かが弾けたときに、通じ合ったと錯覚してしまうなにか、電波が誤送信されてしまうのだと思います。
なんにもないのに、ただその場に居合わせたというだけで、運命的ななにか、極上に楽しいなにか、があるように、勘違いさせてしまうような。
なにかが始まるという根拠のない予感はでも、急いてすべてを一晩で経験してしまうとそれで終わる。始まる予感が、楽しい気持ちそのままに、ピークのままで終わる。
甘い朝は甘いままで終わってもう二度と訪れない。
なにも知らないのにすべてを知ってしまったような、もう、なにも知りたいことがないような気になって、相手に興味がなくなってしまう。
知らないのに知っている、この矛盾が、急激に相手への興味を失せさせる理由なのでしょう。
女友達と話すのは、事実確認ばかりで、なにもかも調和の上、知っていることと知らないことがほとんど同じにすべて一緒くた、知識欲なんて関係なくて単純に空間を共にして他愛ないおしゃべりをすることが楽しい。知りたいという欲求では話さない。笑い合うことが楽しくて、その時間をもっと持ちたくて女の子とは友達になる。
男の人と話すのは、もっと知りたい、どんなふうに考えるのか、どんなふうに友達と話すのか、どんな声で笑うのか、どんな目で見つめるのか、知りたい、知りたい、そこに限度なんてなくて、誰も止めてくれない。女同士のなかにはある、一定の超えてはいけないライン、周知のラインが男の人との間にはない。どんなふうにでも超えられる、一線をかるがる。そこに軽蔑はない。
女同士の間にはある、軽蔑がないのだ。
ひとりとひとりでいられる。だから度がすぎる。
どこまでも一対一だから、ひとりひとりユニークで、私だってユニークなのだ。
私はだからひとりひとりを、ちゃんと好きなのだ。ちゃんとみんな、好もしい。好もしくうつる。とても素敵でご機嫌に、善いものとして。
とはいえ誰も大事にしない私は誰にも大事にされないので、知りたいという欲求だけで突き進むとどんつきに突き当たる。
ぐんぐん消費する、なんにも知らない知りたいからすべてもう知っているにしてがらくたにする、途方もない食欲の私は化け物だ😫