ヘイルメリー

 

 

「これはな、ジョイントって言うねんや」

「このままやったらお前みたいな初心者には吸いにくいからやな、煙草の葉を混ぜるわけや」

シダがぶつぶつと説明ともつかない口調で話す。意識は手元に集中されていて、それでなくてもふだんから、オナニーみたいな喋り方しかしないのに余計に聞き取りにくく不鮮明な言葉たち、それらには意味がないのに私は一生懸命聴いてしまう。

「この紙にはノリがついとってやな、おうちょっと舐めてみろや」

ここ、とシダが太い指で紙のはじを示す。シダの指の爪は肉に食い込んでいて醜い。ほとんど削れてなくなりそうに、指の肉に埋まっている。シダは爪を噛むのだ。

私は舌を小さく出して、差し出された紙を触った。舌で触った。シダが自分も舌を出して首を振る。私は倣った。端から端まで唾液で湿った紙を素早く、シダは巻いた。

部屋は暗い。読書灯だけが点いていて夜だ。もう眠りに入ろうかというときにシダが起き上がり明かりをつけた。私のなにか計り知れない理由で彼は脂汗をかいていた。入眠という簡単に思える作業がものすごく苦になるときがあるし、そういう人もいるのだそうだ。

「キャンディみたいに捻ったら完成や、お前もう一本作るか? これ吸うか? お前まるまるやったらききすぎるかいな」

シダはへんな方言で話す。テレビで聞く大阪弁の、それもすごく昔の人みたいな語尾だけど、生まれが北関東なのでそれは大阪弁ではなくてただユニークな、歪な言葉遣いに聞こえる。しかし誰も聞きたがらないほどざらついて深い音のシダの声にはその言葉遣いが妙にマッチしていて、私はいつも注意深くシダの言葉を聴き、そしていつもと同じ調子のその声の調子に安心するのだ。

シダは私をしきりにお前、お前、と呼ぶ。おう、とか乱暴な調子で呼びかけたりする。そのぜんぶが微笑ましく愛らしいと感じることも、私はあるのだ。

シダはライターでジョイントに火をつけた。フィルターのほうを咥えて短く何度も息を吸い吐き出す。ちりちりと紙の先が燃える。赤い輪がどんどん窄められた口に迫っていく。地獄のようだと私はいつも思う。この、煙草やマリファナのジョイントが短くなっていくさまは地獄のように悪いものがどんどん迫ってくる様子のように感じる。炎も出ないのになにかが確実に燃えて無くなっていくのは見ていてどこかちぐはぐな感じがして恐ろしい。

「ほら」

妙な匂いが漂いだした。一度服についたら一生とれないんじゃないかと思うような匂い。それでも不快ではなくて、ただ異質で、異質なのに身体や植物や動物と同じリズムを持っているように感じる、異物ではないような、でもやっぱりエクストリームだというような、強烈な匂い。

私は小さな筒を咥えて、息を吸い込み、思い切り咽せた。シダが満足そうに笑っている。

「煙草の葉っぱがお前には多すぎたんか」

でも大麻草だけじゃ燃えにくいから入れなあかんのや、ほら貸してみお前、ちんたらやってたら火が消えてまう、シダはぶちぶちと話す、私は頭がくらくらした。

シダがライターをがちがち鳴らして火を点け直す。またすぱすぱと短くジョイントに空気を入れる。短いまつ毛、と私は思った。伏せられた目にびっしりとかかる、同じ長さに短いまつ毛。

私は今度は咳き込まずに、ゆっくり煙を吸った。交代ばんこにシダも吸う。お前は吸うのが下手や、フィルターべちょべちょにすんな、と聞こえる。

次第に満足が訪れる。吸い終わってシダが灰皿に短いシケモクを押し付けた。私たちはベッドに腰掛けている。私は私に足があるのを見る。足指をばらばらと動かす。その芋虫みたいに鈍いさまが面白くて、私はくすくすと笑ってしまう。面白いという、感情よりもっと爆発的ななにか、衝動に近い反射、鋭く尖った光線の塊、が私の空洞のなかをあちこちぶつかって駆け回る。駆け回っては大きくなり、ぶつかるたびに激しくなる。私はお腹を抱えて笑い出してしまう。夜なので小さな声でしかし笑い止むことなくずっとずっと笑ってしまう。次の瞬間、シダが隣にいることを思い出した。シダのてまえ、お行儀よくしようと思う。私は笑い止む。シダを見る。隣の男を見る。髪の毛がいがぐりみたいに短い。シダは笑い出した。夜なので小さな声で。私も笑い出した。ふたりでベッドに寝転がる。寝転がることが面白くて笑う。仰向けになり、仰向けになったことが面白くて笑う。それからごろんと向かい合う。向かい合うことが面白くて笑う。シダが私に布団をかける。布団をかけたこととかけられたことが面白くて、笑う。

気づくとシダは起き上がり、私の手を引いて台所に向かう。その間じゅうくすくすとひくひくと痙攣のように笑っている。私は私たちはきょうだいみたいだと思う。きょうだいみたいであることと実際にきょうだいであることの差というのはなんだろうと考える。0.1秒でそして考えるのをやめる。なにを考えていたのかを忘れる。シダが冷蔵庫を開け、笑いやんだ。

「お湯を沸かせ、2リットルだ!」

私は夜なかにお湯を沸かすということの非日常性がわからなくなっている。大きな、家にあるなかでいちばん大きな鍋に水道の蛇口を開けて水を満たす。シダが塩を放り込む。火を使うのは危ないかもしれない、と私は思う。思うそばから忘れる。ふつうだから大丈夫ふつうだから大丈夫ふつうだから大丈夫、ふつうだから大丈夫。

それで沸騰する前の鍋にシダがスパゲッティの麺を袋に残ってるだけまるまるいれた。さいきん一回しかスパゲッティをしていないからまだたくさん残っているのに。

私たちはいーち、にーい、と数える。声に出して数字を数えて、茹ですぎないように火を見張る。

シダが茹で上がったと思えるパスタの湯を切り、銀色のボウルにあけてオリーブオイルと塩をかけた、ペペロンチーノだ、と言った。私たちは並んで立って食べた。シダはお箸でずるずると食べた。私はフォークとスプーンで食べた。笑っていなかった。いちばん真剣だった。シダの、指に埋まった爪。シダの指を噛む癖は誰かがやめさせなければいけない。