恋はなんと孤独なものか、ということを書いた詩が自分のノートから見つかった。

ふだん、詩は書かない。書かないけど恋のただなか、私はそれを書いて、たぶん数ヶ月後この恋が終わったときに読むんだろうと思った。

 

私たち、つまり女たちはあらゆるものを共有する。あらゆるもの、適度に軽くて暗くなくて、でもある程度には真剣な話、男の人について。

しょうじき、気になる男の子とのデートの日取りやメッセージのやりとり、小さな仕草のあれやこれ、ぜーんぶ話して(見せて)共有しちゃう。私たちにはそのへんの尺度や限度、一定のラインなんてない。

 

でも、ひとたび。

ひとたび、相手の前に出てしまえば、ひとりだ。

話して笑って食べて飲んで、ぜんぶ、あらゆることが不可知で魅力的でなにをもってしてもよく思われたい宇宙人みたいな男に、たったひとりで立ち向かわなくてはならない。

なんという苦行、息の苦しくなる大仕事、デートというのは恋というのは、孤独な戦争だと心から思う。

孤独で不可逆なのだ、ひとたび冒険に漕ぎ出せば二度ともといた場所には戻らない。

恋に落ちるのは突然で、unexpected、予兆なんてどこにもなくて、急に陸地から離れてボートは大海の上、そうして二度と、戻れない。

人は恋をする前とその後ではもう別人になり変わってしまう。それがどんな恋でも、猛烈に好きになった恋でも裏切られた恋でも、実っても実らなくても実った期間が一瞬でも数年でも、関係ない、恋は恋であるというだけでじゅうぶんに人を、打ちのめすほどの力で、叩きのめすような強さで、圧倒的に、変えてしまうのだ。

 

こんなに友達とたくさん遊んでも友達はデートについてきてはくれないし、友達が私を大好きだと言ったって愛される価値があると言ったって同じように言ってくれる男はいない。

恋愛というのはしょうじき言って孤独すぎる。文句を言いたい。こんなのはおかしい。寂しいし意味不明。

だから「恋に落ちたい」だなんて望みはてんで的はずれなのだと私は前回の失恋で学んだ。誰も落ちたくて落ちない。あんなに怖い落とし穴、避けて通れるならそのほうが今の自分の身のためだ。

誰かを猛烈に求めて好きになるなんて、その誰かに好かれたくて身を捩って暮らすなんて合理的じゃないのだ。

陸地はあんぜん。女たちと煮炊きのできる、孤独を感じずにすむ、陸地はあんぜん。