ドラマティックなのはいつでも、物事ではなく心情だ。

ドラマティックというのはつまり、劇的な、大げさな、かつロマンチックで夢見がちな、という意味の。

 

さいきん 母子の失恋重なって、かなりダウンなディーズデイズ

本日も然り、とぼとぼ歩いていたら私の、目の前を歩くハゲの人

ハゲの人が、デニムの上下セットアップ着てて、マーチン履いててしかもその、

革のブーツの色のくたびれ具合が古着っぽくておしゃれで、いやいやお前ハゲてんのにイカしてんのかい。

と思ったらちょっと面白くて笑った、いじわるなセンスだけれども、捻くれている私のおもしろポイントにジャストミート、彼は私に元気をくれた

 

そうして数時間レイター、とぼとぼ働いていたら、10万円の落とし物があって、大金というのはそれだけで不穏。持ち主不明の大金というのはなんだかとっても禍々しい

お金というのがそもそも所属の明らかでない、不透明な、概念であるために、誰かに属していない、つまりお財布に収まったりレジに収まったり、お行儀よくしていない現金というのはちょっと闇属性。黒いオーラあり

しかも休憩していたら、封筒に入ったお金の忘れ物について問い合わせがあったとかで、心当たりはないか事務所に呼び出された。またお金。しかもきっと大金。そして誰も心当たりのない、もっと実体のない黒いオーラのお金

 

なにかが始まるなら始まりそうだと思ってしまうのは、それは私がドラマティックだからだ

おしゃれなハゲ、謎のお金、失恋した私、頻発する通り魔事件、自担のヘアカラーチェンジ、寒い12月、固まりつつある人間観、元気に歩く人が持つ杖、英語話者の"アリガット"、so on...

すべて、ほんとうには共通点を持たないのに、私という一点においてつながる。つながるとそこには物語が生まれる

物事に対してドラマティカリーな対応の私、ただそこにある物事。ちぐはぐなのでいつも、間違っているのは私のほうだけれども。

 

事件など起こってもらっては困るのに人が、とつぜん爆発したりしないかしらと歩く。思いながら歩く、ぼやぼやと。

自分にとって意味のない人間がこんなにあふれている場所で暮らすのはもういかがなもんかと思う、さいきん。ディーズデイズ、憂鬱な、ディーズデイズ。

人にはふつうであることをできないことを悲しいと思うのは人々がもっとなんというかしぜんに、すべてをオートマティカリーに、為しているのが羨ましくて私にはできなくてでもそんなことは、他の人には意味がなくて私にだって意味がなくて、でも、でも、やっぱり私はさ!

歩きスマホが気持ち悪いんですよ。

スタンダードになりつつある行為なのに、無理なんです、どうしても無理!

 

撤退すべきは私だ、物事に対して、ドラマティックに、過剰に、反応してしまうなら、適応できずに弾かれたということで、それでいうなら私はなににだって適応できず弾かれ続けるスマッシュボールスプラッシュ!なんだ、さあ、帰るか!

なんて帰る場所もないのに何度だって思う。人はいつだってどこかへ帰りたい。帰る場所をつくるために旅に出てどこかへ新しく帰るのだ。